第7話 恥は一瞬、後悔は一生

 もう春とはいえ、日が落ちれば肌寒く、まして夜中の一時となれば厚手のローブが必要なくらいである。


 城の中にある寮の部屋は、入学時の成績順に二人一組で分けられている。


 当然、一番下と下から二番目であるトジとミントは同室である。


 リージョと約束の場所に向かうために出かける時、ミントは未だ宿題をやっていた。


「あーこんな事なら、午後の自由時間に少しでもやっておくんだった」


 カルノ先生が担当しているのは、魔法学という大雑把なくくりの授業であり、魔法に関することなら何でも宿題になってしまう。


 先日の授業では、古代魔法と現代魔法の違いと利点を学び、そのことに対するレポートを書くというのが宿題となっていた。


「なー、トジ。カツラ取る時、古代魔法使ってただろ。現代魔法との違い教えてくれよー」


「ワシ―――俺は現代魔法を詳しく知らぬから無理じゃ」


「……そういやそうだったな。まったくこんな事ならもっと早くからやっとくんだったぜ」


「ほっほっほ。クラブを見て回っておったのだから、そんな時間は無かろう」


「ちくしょー。でも、マジカルクッキングクラブはよかったな」


「うむ。そうじゃな」


「あーあの子の名前聞いておくんだった」


「なんじゃ。女の子目当てじゃったのか」


「いや、そうじゃないけど、ついつい可愛くて」


「では、何をやっていたか見てないのか」


「え、うーん。まあ、ちょっと目が離せなくて」


 トジはやれやれと肩をすくめてため息をつく。


「小瓶の中で作られる最小ケーキは見物じゃったのに。まあよい。ワシはこれから出かけてくるぞ」


「え、こんな夜中に何しに行くんだよ」


「忘れたのか? リージョと約束したであろう。夜中の一時に叫び欅と」


「あ、あー。そういやそうだったな。本当に行くのか?」


「うむ」


「やめとけって。リージョはただでさえやばいってのに、叫び欅なんて」


 ぞーっと寒気がしたのか、ミントは小さく震えたのを誤魔化すように羽ペンにインクをどっぷりつけた。


「叫び欅に何かあるのか?」


「いや、あるって訳じゃないけど……ただ噂があるんだ」


「なんじゃ」


 部屋には二人しかおらず、窓の外は真っ暗闇だというのに、ミントは辺りを見回して、声を一段小さくして言う。


「叫び欅には、亡霊がいるって聞いたんだ。それも甲冑を纏って毎晩苦しそうにうめいて、近くを通りがかったら斬りつけてくるって」


「……にわかには信じられぬな」


「いや、ほんとだって。トジみたいな奴が調べに行って、翌朝保健室のベッドで目を覚ますってのはよくあること。って先輩が言ってた」


 不安そうに首から下げたペンダントを握っている。


 ペンダントは、村の皆から託された大切なお守りらしい。


「ふむ。ならば、その噂も調べに行くかの」


「はあ? 本気かよ」


「うむ。本気じゃ」


「はあー。分かった。もう止めねぇよ。明日、保健室のベッドに迎えに行くのだけは勘弁な」


「うむ。そっちこそ、無事に宿題を終わらせておくのじゃぞ」


「はいはい」


 深い溜息と共にミントは肩を落として、机に向かい始めた。


 さて、これからどうやって叫び欅まで行こうか。


 城の中にある寮だが、当然夜中の外出は禁止である。


 個室から、皆が集まる談話室までは自由だが、その一歩先に踏み出した瞬間から、見つかったら即、罰が与えられる。


 そもそも、寮は四つに分けられており、成績順に四等分され、当然の如くトジがいるのは成績が一番悪いウカヲ寮だ。


 そのため、夜間の出歩きにはそれなりに注意されている。


 ただの新入生であれば外出は不可能だろう。


 ただの新入生であれば……。




「トジ、お前ウカヲ寮入ったことあるか?」


「いや、俺はコワモコワ寮だし」


「だよなー。お前真面目だし。ってことで、面白いもん見せてやるから、来いよ」


「いや、いいよ。精霊術がもう少しで完成しそうだし」


「んにいってんだ。研究なんて休憩してからやればいいだろ。いいから来い。秘密の抜け穴教えてやるよ」




―――懐かしい。


 本当に懐かしい思い出である。


「まさか、あんなことが役に立つとは。分からぬものじゃな」


 古代語でわるい、という意味のウカヲ寮。


 対して、当時はゆうしゅう、という一番上のコワモコワ寮に属していたトジ。


 クラブで出会った友人である彼は変身術と逆行魔法が得意で、度々トジを変なことへと誘っていた。


 箒で飛んで城の天辺にイースターエッグを置きに行こうとか。変身術で一番怖い先生を驚かそうとか。授業で使う道具に逆行魔法をかけようとか。


 しかし、トジはほとんどの誘いに乗らず、研究に心血を注いでいた。


 その数少ない誘いに乗ったのが、ウカヲ寮から外へと通ずる秘密の抜け穴を教えてもらったことだった。


「もっと誘いに乗っておればよかったの」


 あの時の友人はどうなったのか。


 もう六十年も昔の話だ。


 俗世から離れ、一人山奥の小屋に籠ったトジには分かりようもない。


 もし生きていたとしても、今のトジの姿はあの頃の、若い姿。本物とは思われまい。


「恥は一瞬、後悔は一生か」


 ウカヲ寮の談話室にある暖炉。その奥に手を突っ込めば紐が垂れている。魔法で防御された紐は炎に燃えることはなく、暖炉に手を突っ込むような馬鹿はいない。


 紐を三回引っ張れば、暖炉の壁がひとりでに動いて行く。


 そして、人一人が通れるくらいのトンネルが現れる。


 最初はしゃがんで入り、奥へ進む前にトンネル側の紐を引っ張っておく。そうしないとトンネルが隠れずに丸見えになってしまう。


 暖炉側の紐を一回引っ張るだけでもいいが、わざわざ面倒なことをする必要はないだろう。


 ローブの端に着いた煤を払いながら、だんだんと大きくなっていくトンネルを進んでいくと、そこは城の外である。


「あら、そんなところから来るのネ」


 秘密の抜け穴の出口に、何故かリージョがいた。


 幽霊のような白い肌に不釣り合いな大きな杖を手に持ち、焦点の合わぬ瞳でこちらを見てニコニコしている。


「待ち合わせは叫び欅ではなかったかの」


 驚いて尋ねると、リージョは鼻歌を歌うように言う。


「うん。でも、何となくココラ辺に来るような気がしたんダ」


 これが幽霊リージョと呼ばれるゆえんだろうか。


 まるで幽霊のように掴みどころがなく、薄気味悪いとすら思ってしまう。


「私も、どうしてキミがそこから来るって分かったか分からないノ。けど、時折あるでしょ。全てが分かっちゃうようナ感じ」


 トジの心を読んだかのような言葉に、一瞬ドキリとするが、すぐに言い換える。


「それは便利じゃの」


「うん。でも、大抵の人は怖がっちゃうんダ」


 そんなことまるで気にしていないように、飄々と告げ、風に舞うようにくるりと回る。


「最初は誰でもそうじゃろう。知らない人、知らないものは誰でも怖いものじゃ」


「ふーん。そうナんだ。キミは? キミにも怖い物ってあるノ」


「当り前じゃ」


「例えば?」


「……そうじゃのう」


 ふっと、過去のことを思い出す。


 まだ学生で、研究熱心で、それ以外のことは必要ないと割り切っていた自分。


 けれど、歳をとってから、あの時ああすればよかったとばかり思い、それでも自分を正当化するために言い訳をする。


 たまたま、若返りの魔法が成功したから、こうしてやり直せているが、もし違ったら。


 もし、あのまま死んでいったら……。


「ワシが怖いのは、何もしないことじゃ」


「?」


「恥ずかしいから、怖いから、どうせ無理だから。そうやって、何もせずに歳をとる。後に残るのは、何もしなかったという後悔だけじゃ」


 そして、あの時ああすればよかったと悔やむ。どうしようもないというのに。


「じゃからワシは、たとえ恥と、馬鹿と言われようと、行動することにしたのじゃ」


 言い終わってから、随分と恥ずかしいことを言ったと久方ぶりに頬を染める。


 言っていることと矛盾しているようだが、やっぱり恥ずかしいことは恥ずかしいし、怖いことは怖い。


「すごいね」


 だから、リージョがそう言ってくれなかったら、この場を去っていたかもしれない。


「キミって、不思議」


 トジは初めて、リージョと目が合った気がした。


「そうかの」


「うん。私の研究対象にしたいナ」


「それはお断りさせていただく。さて、そろそろ叫び欅に向かわなくてよいのかの」


「ああ、忘れテた」


 本当に今思い出したように、再びどこか遠くを見つめながら、こっちだよと歩き出すのだった。


 その姿は幽霊というよりも、いたずら好きの妖精のようにも思えて、トジは一人で微笑む。


「どうしたノ」


「いや、なんでもない」


 やはり、来てよかった。ここに来なければ、リージョのことを幽霊のようだと思っ

たままだっただろう。


「そう。じゃ、はやく行コ」


「うむ」


 スキップをするように歩くリージョを追いかけるのであった。

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