第4話 授業と魔法と教師と


 リーライン魔法学院は、この国で一番の魔法学園である。


 城のように巨大な校舎は卒業しても知らぬ廊下がある程。


 二度目の入学となるトジ・ウジーノでさえ初めて見る部屋や行ったことの無い小屋が沢山ある。そのどれもが、不思議な部屋である。


 例えば、室内なのに夜空が広がっていたり、山奥にいると錯覚するような部屋。勝手に場所が入れ替わる教室や、謎の爆発が起こり封鎖された区画など。


 学園の周りには、森や湖といった自然と、少し歩くだけで賑わいを見せる城下町まである。


 教師はカルノ・スーリストを始め、優秀な魔術師が連なり、この学院の卒業生であれば、魔法を使う職種には困らないと言われている。


 そもそも、リーライン魔法学院の教師は卒業生がほとんどだ。


 約五十年前から現代魔法が急速に普及し、魔法はそれほど難しいものではなくなったため、魔法学園は増え、魔法を使う職種の人材は飽和し始めたと言っていい。


 名もなき魔法学園で成績が上位だとしても、魔法職に付けるとは限らない世の中だ。


 だというのに、リーライン魔法学院を卒業さえすれば、魔法職に困ることはないという。


 それはひとえに、カルノ・スーリストの存在が大きいだろう。


 両親は現代魔法の開発者であり、カルノ・スーリスト自身も幼少期から両親と共に研究し、リーライン魔法学院を首席で卒業している。


 そんな人物から魔法を教わり、これから一流の魔術師へと育っていくための学び舎。


 最難関とも言われる試験を突破した者のみが入学が許される、ある種神聖な場所に、不釣り合いな二人がいる。


 歴史学の授業は興味がなければ暇で暇で仕方ない。


 そもそも、教室にガラスのない水槽が浮かんで海の中にいるみたいだったり、動く模型が山を切り崩いし、そこに出て来たモンスターを狩る実演をする教室じゃない限り、大抵の授業は暇で集中できない。


 特に歴史学は、まるで眠りの呪文でも使っているかと思うくらい教師の口から発せられる言葉に瞼が重くなる。


 たまに小テストをされるが、トジとミントは一度も合格点を取ったことがない。


 それも仕方ないのだ。眠くなるだけじゃない。もう一つ、授業に集中できない理由があるからだ。


「のう、ミント」


 トジはミントを小突いて、教科書を読んでいる先生の頭に視線を向ける。


「ああ、分かってる。トジも思ったか」


「うむ。やはりそうじゃな」


「間違いねー。ちょっとやってみるか」


 そう言ってミント小さく唱える。


『ルムゲ』


 すると、緩やかな風がどこから吹きはじめ、黒板を使っている教師の頭にある大切な髪の毛がユラユラと揺れる。


 だが、ただ揺れているだけではない。


 普通なら毛先が揺れる程度だが、その髪の毛は根元から。もっと言えば髪の毛全体が規則正しく、一つの被り物かのように揺れるのだ。


―――フフフ。


 どこから笑い声が上がった。


 トジでもミントでもない。


 教室にいる誰かが気づき、堪えきれずに噴き出したのだ。


 それを皮切りに次々と堪えるような息遣い、ねえねえ、と指さされるカツラ。


 トジとミントは顔を合わせて、してやったりと笑った瞬間。


「―――イテッ」


 ミントの手から杖がはじき出された。


 そして、カツラの教師がこちらを見る。


「授業が始まると毎回、私のカツラをはがそうとする輩がいる。だが、私のカツラには逆行呪文が掛かっている。もしも魔法の力を感じ取れば、自動的に反撃する仕組みだ。さあ、今声上げたのは誰かな?」


 してやったりという顔をする教師に、ミントはしょんぼりと杖を拾う。


「やはり、ミント・クルールお前か。そして、トジ・ウジーノ。お前もだろう。二人は教室に残るように。以上、今日の授業は終わり」


 ガヤガヤと退出していく中、トジとミントは、やっちまったなと顔を合わせカツラ先生のところへと向かう。


「さて、二人とも。もう一度、私のカツラを飛ばしてみなさい」


「え?」


「は?」


「今度は本気で、カツラを飛ばそうとしなさい」


 てっきり怒られるもんだと思っていたので、言われて意味がすぐに理解できなかった。


「先生のカツラを飛ばすんですか?」


「そうだ。本気でだぞ。しかし、私に危害を加えてはいけない。カツラだけを綺麗に飛ばすんだ」


「……分かりました」


 何が何だか分からないまま、ミントはとりあえず杖を構える。


 手のひらサイズの、鉛筆に近い長さの杖は、ミントの愛用している杖であり、彼自身の魔力に反応し、魔法を放つ。


『ンクモケ』


 どこからか風が吹く。


 しかしそれは、先ほどの優しいそよ風とは違い、叩きつけるような、立っていられないほどの強風。加えて、黒い雲が現れ、雨粒とゴロゴロと鳴る雷を呼び寄せる。


 嵐である。


 叩きつけるような雨と風が教室全体に広がり、机や椅子が舞い、壁にぶち当たり、物凄い音がする。


 トジは必死に踏ん張りながら、叫ぶ。


「ミント―――やりすぎじゃ―――」


「え―――なんだって―――」


 あまりの嵐に声すら届かない。


 だが、トジは見た。


 その嵐の中でさえ、カツラは先生の頭に乗っかり、揺れてはいるが決して落ちることはない。


『モケワスヘムケ』


 先生がそう唱えると、今までの嵐は何だったのか。パッ弾けるように雨風は消えて

なくなり、小鳥のさえずりでも聞こえてきそうなほどの静けさが教室を支配した。


「嵐を生み出すのはいいが、それを制御できなければ意味がない。それに、私のカツラはこの通り。残念だなミント君」


『シヒシビオ』


 先生が唱えると、教室に散らばった机や椅子がひとりでに動いて、嵐が来る前の元の教室へと戻っていく。


『ルウヨ』


 先生が唱えると、水浸しだった教室が綺麗さっぱり乾いて行く。


 先生のカツラも濡れてぺったりしていたのが、あら凄い。ふっさふさの草原のように生い茂っている。


「さて、次はトジ君だ。勿論挑戦するよね」


「はい」


 そうやって挑戦的な目をされては頷くしかない。


 だが、あの嵐でも吹き飛ばなかったのだ。あのカツラには何か仕掛けがあり、ただの強い風では吹き飛ばせないのだろう。


 ミントは応援するようにこちらを見て、頷く。


 ミントの無念を晴らすためにも、トジは出来るだけ強力な魔法を放つことにする。


 トジの杖は先生やミントのような小さくて使いやすい物ではない。


 肩の辺りまである、老人が歩くときに使うような大きな杖だ。太さは腕と同じくらい。てっぺんに黒い宝石のような石がついている。


 トジが若い時はこのような大きな杖が主流だったのだ。


 その杖を前に出し、唱える。


『フゥ・ルム・モハヘトユ・ルムルソ・ルヘクヒナム・ラワムリ』


 杖についていた石がにわかに輝きだし、そして物凄い風がカツラを煽った。


 それはカツラが自分から浮こうとしているように、下から風が吹いてくる。


 余りの強さに先生の顔が上に引っ張られ始める。


 だが、そこまでしても先生のカツラは取れない。


 こうなったら意地だ。


 トジは魔法を止めることはせずに、さらに魔力を込める。


 すると、ほとんど浮きかけた先生が苦し紛れに唱える。


『ナィ・ンスニソハルネモ・リロケ』


 だが、何も起こらない。


『ナィ・ンスニソハルネモ・リロケ』


 もう一度唱えるが、何も起こらず、とうとう先生は僅かに浮いた。


「と、トジ君。一旦止めてくれ」


「そう言われても、カツラを取ってみろと言ったのは先生じゃ」


「ストップだ。私に危害を加えないという条件付きだ。今の私は上からつるされてる状態だ。どう見ても危害があるだろう」


「……それもそうじゃな」

 ようやくトジが魔法を止めると、先生はホッと一息ついて、トジに問う。


「今のは古代魔法だね」


「はい。ワシ―――俺はこっちの方が得意なので」


「私の解除魔法が効かなかったのはどうしてかな?」


 カツラ先生は本当に分からないというように首を傾げている。


 考えられる可能性は二つだ。


 一つは、解除魔法が間違っていた。


 もう一つは、先生よりもトジ・ウジーノの魔法の力が強力だったから。


 だが、それを言ったところで、素直に聞き入れるだろうか。


 トジの思い浮かべる教師像は、堅物で、生徒はあくまで生徒であり、意にそぐわなければ例え間違っていようと訂正せずに、むしろ当てつけのように間違った方法を押し付けてくる。


 そこまで意地の悪いのは、ほんの一握りだが、大体は似たようなものだ。


 カルノ・スーリストはいい例で、魔法に関しては柔軟な考えを持っているが、それ以外では堅物であり、基本的に生徒に興味はない。


 だから、このカツラ先生も同じだろうとトジは思ってしまう。


 教師とは、特に魔法学園の教師は皆そうゆう者だと。


「先生の魔法が間違ってたんじゃねーの」


 だから、言いにくいことをズバッと言ってくれるミントには感謝しかない。


 何か小言でも来るだろうと予想したトジだが、驚くことに先生はふうむと考え込む。


「ふむ。確かに、トジ君は、属性と精霊を繰り返していた。いや、属性の次に補助属性、その後に精霊と補助属性の精霊か。確かに、古いやり方だが、解除するには同じ手順を踏まなければならないのか。そうかそうか。さすがトジだ」


 なるほどなるほど、と頷く先生の頭にはカツラが健在である。


「おっと、考え込んで悪かったね。だが、トジ君、君は古代魔法に精通しているようだね」


「……まあ、そうじゃな」


「ならば、そうゆう道もあるのかもしれない。確かに今は現代魔法が一般的だが、古代魔法を忘れていいわけではない。トジ君はその道を進んでみるのはどうだろう。私でよければ手伝うよ」


 カツラ先生は真剣に言っている。


 トジ・ウジーノの将来を真剣に考え、手を差し伸べているのだ。


「考えておきます」


「そうか。ぜひそうして欲しい。と、そろそろかな」


 ん? と首をひねったトジとミント。


 だが、次の瞬間には、ミントの周りに嵐が吹き荒れ、トジは髪の毛が上に引っ張られる。


「あばばばばば」


「いたたたたたた」


「言っただろう。私のカツラには逆行呪文が掛かっていると」


「あばばばば、それを、分かってて―――あばばばば」


「いたたた、反則じゃ。反則、いったったた」


 ミントは嵐の中で、トジは若干浮かびながら、不平不満を言うが、カツラ先生はしてやったりと満面の笑顔を浮かべるだけである。


 その笑みに既視感を持ったトジだが、髪の毛を上に引っ張られる痛みですぐにどこかへ行ってしまった。


 そして、しばらく経つと魔法の効果が終わったのか、嵐が止み、トジの髪の毛も無事に元通りになった。


「先生!」


 ミントが抗議しようとしたが、カツラ先生が先に言う。


「もしも、今年中に私のカツラを取ることが出来れば試験は合格としよう」


「―――本当ですか」


「ああ、約束だ。ただし、私に危害を加えずにカツラを取れたらだ。やるかい?」


 目を合わす必要もなかった。


「やる」


「勿論じゃ」


 二人の返答に満足したのか、ニコニコとしながら、カツラ先生は言う。


「それと、私の名前は、カラツだ。カツラ先生ではない」


 それを聞いてるのかいないのか。


 トジとミントは、どうやってカツラを取るのかを相談し始めてしまった。


 やれやれと、カラツ先生は教室から出ていく。


 その背後から、ミントは魔法を放つ。


『ルヘケワヨ』


 その呪文と同時にミントの叫び声が響く。


「うわあああああ」


 無様に浮かび上がったミントと、やれやれと肩をすくめながら去っていくカラツ先生。


「ふむ。強襲ではダメか」


「おい、トジ何とかしてくれ。お前がやれって言ったんだろ」


「ほっほっほ。しばらくそのままでおったらどうじゃ」


「おい、ふざけんなよ。トジー!」

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