第32話 「呪われし者の生誕」
「…………」
またあの夢か……。忘れた頃に現れる忌まわしい過去の記憶。忘れる事の出来ない、魂に刻まれた記憶。私をこんな姿にした、呪われた刻印。兄上を殺されたあの時、私はバケモノに生まれ変わったのだ。
私は……。いや、オレはネメアの人喰い獅子と呼ばれる神々に捨てられた忌子だ。
オレに名前はない。名前ももらえないまま、オレは神々に捨てられたのだ。
かつてプロメテウスが教えてくれた。クロノスの生み出した放蕩息子が、この世界に来た時に最初に生み出したのがオレという存在なのだ。この世界で様々な種族を生み出し、その中の一人と交わって、オレが生まれたと、教えてくれた。
いわば、オレは失敗作なのだと、その話を聞いたときは思った。プロメテウスは否定したが、ならば何故オレは捨てられたのかと問うと、奴は黙った。そのことが、俺をより深く傷つけた。
それもあってだろうが、奴はよくオレを訪ねてきた。そうして、決まって温かいスープとパンをオレに分け与えてくれた。奴なりに気を遣ってくれたのだろう。オレはそれが嬉しかった。
しかし、それもあっという間に打ち砕かれた。すべてが変わったあの日、オレはただの少女からバケモノに生まれ変わったのだ。
そう、あの時から……。
☆
どれくらいの間意識を失っていたのだろう。気が付けば、私はボロ雑巾のように捨てられていた。
身体中に纏わりつく男たちの体液と、鈍い痛み。身体中を這い回る気持ちの悪い男たちの感触と、鼻を突く異臭……。そして、目の前には動かなくなった兄上がいる。
「兄……上……」
ボロボロになった体を引きずって、兄上の身体に縋る。
……冷たい。いつもその大きな体で優しく私の身体を包んでくれていた兄上の身体が、石のように冷たくなっている。
……認めたくない。兄上は死んだ。殺された。人間に殺されたのだ。私の目の前で、兄上は殺された。男たちは、私を犯しながら、目の前で、もっとも残虐な方法で、兄上を殺したのだ。
「ぅぅ……ぅ……ぁぁぁ」
男たちの体液が兄上に触れる事も厭わずに、兄上の身体に縋り、しがみ付く。冷たく、ぐにゃぐにゃとなった兄上の体は、私に兄上が殺されたという事実を、冷酷にも告げているように思えた。
「ぅ……ぅぁぁぁぁぁぁ……!あに……うえぇぇ……!」
亡き兄上の身体に縋って、大声で泣いた。泣いて、泣いて、声が枯れるまで泣いた。
どれくらい泣いたか、気が付けば、兄上の身体は固くなっていた。
兄上の亡骸から離れ、見下ろす。それを眺めながら、男たちのしてきた事を思い返す。
悔しい。恨めしい。負の感情が、怒りが、私の中から溢れてくる。
膝をついて、兄上の身体に覆い被さる。
再び涙が溢れてくる。しかし、この涙は悲しみから溢れてくる涙とは違った。
何故だ。何故私たちはこのような目に遭わなくてはならない?私たちが何をしたというんだ?何故、人間たちは私たちを迫害する?何故、父は私たちを捨てた?
何故、私たちだけがこのような仕打ちを受けなくてはならない?
悔しい。悔しい。悔しい悔しい悔しい悔しい。恨めしい。弱い私が恨めしい。私たちを迫害する人間たちが恨めしい。私たちを捨てたオリンポスの神々が恨めしい。私を捨てた父が恨めしい。私を救わなかったプロメテウスが恨めしい。
すべてが、私の敵だ。
悲しみが怒りに支配される。怒りが私を支配する。烈火の如く内側から溢れる憤怒の感情が、私という存在を塗り替えていく。
「う゛わ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ゛ッ゛ッ゛!゛!゛!゛」
私の物とは思えない絶叫が溢れてくる。抑えられない感情が爆発する。
「兄上っ……!貴方の力……もらい受けるッ……!」
兄上の亡骸に爪を立て、毛皮を裂く。毛皮を裂き、肉を裂き、ちぎる。
「ッ………!!!」
兄上の血で汚れる事も厭わず口に押し込み、飲み込む。
肉を喰らう。骨を噛み砕き、飲み込む。血をすすり、臓物をすすり、飲み込む。
兄上の爪で自らの身体を裂き、兄上の血と交わる。そして、その血と肉を喰らう。
私は狂ったように、兄上の身体を貪り喰らった。
兄上の身体が私の身体と混じり合い、溶け込む。兄上と私が一つになる。
「はぁっ……!はぁっ……!ぐっ……あぁぁぁぁッ……!」
身体が膨らむ。身体中が裂けるように痛む。呪われた力が、復讐の化身が、闇の波動が、内側から生まれてくる。
想像を絶するような痛みだ。身体が歪んで、変形していくのが分かる。私が私じゃなくなっていくかのような、快感にも似たような快楽が、体中を駆け巡る。
一瞬のような、永遠のような時間だった。気が付けば、私はそこにいた。
四肢は毛皮で覆われ、平たい爪は黒く鋭い鉤爪へと変わっていた。白い髪は茶色く染まり、真っ白だった私の髪は僅かなメッシュを残すだけとなった。
そうして、オレは生まれた。
私は兄上と一つになった。
「殺してやる……!一人残らずッ……!」
オレは、生まれ変わったのだ。
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