第30話 「バルバル農園のバアル」
「はぇ~~……」
「これがバルバル農園……」
よく分からない文字と、デフォルメされた愛嬌のあるキャラクターの描かれた、手作りの簡素な門をくぐって、俺たちはバルバル農園へと足を踏み入れた。
黄金の麦畑に囲まれた広大な農園の中に、小さな村落があった。そこにはオーク、ゴブリン、エルフ、ヒトなど、様々な人種が生活を営んでいた。
ここは楽園だ。魔界の中にあるオアシスだ。ここで立っているだけで心が洗われるような感じがする。
「ん?なんだおめえら。今日はもう行商は来ないはずだが」
俺たちが村の入り口で佇んでいると、近くを通りかかったオークに話しかけられた。容姿からして農作業の帰りのようにも思える。
「あ、えーっと、ここってバアルの領域で合っているかな?」
「バアルの領域?バアル様の土地って意味なら合っているが……」
一応バアルの土地、バアルの領域で合っているらしい。しかし、バアルの領域という言葉はあまり馴染みがないようで、もう少し言葉を選ぶ必要があるように思える。
「実はバアルに会いに来たんだ。どこに行けば会えるかな?」
「バアル様に?何か商談でもしに来たのか?」
「商談……。商談では……」
「まあ、似たようなものさ。よかったらバアル様のところに案内してくれないかい?」
ナイスだサクラ。またしても助けられた。盗賊の頭領を務めてるだけあってよく機転が利くようだ。
「まあ、ええが……。変な気だけは起こすなよ」
そう言って農夫のような出で立ちのオークは、俺たちを連れて村の奥へと進んでいった。
周りを見渡してみるといろいろな店がある。鋤や鎌といった農作業に使うであろう農機具が置いてある道具屋、自衛組織のための物であろうか、剣や斧なんかが置いてある武器屋の他、居酒屋、仕立て屋なんかが並んでいる。
そんな物珍しそうに見渡してる俺たちを、物珍しそうに村民たちが俺たちを眺めている。
魔界の地理はとんと疎いので分からないが、こうしてよそ者の俺たちをジロジロと見るという事は、ここにはあまりヒトは訪れないのだろう。魔界の中でも辺境の地にあるという事なのだろうか。なんだか見せ物にされてるような、妙な辱めを受けてるような気分になる。
そうして民衆の目に曝されながら村の中をしばらく歩いてると、ひと際大きな建屋の前へと連れられた。一目見て分かる。村長の家……バアルの屋敷だ。
「バアル様、客だぁ」
「いいよ、通して」
中から快活そうだが、落ち着いた若い女の声が聞こえた。バアルのものだろうか?
「入れ。間違っても変な気は起こすなよ。見張っているからな」
農夫のオークに見送られながら屋敷の中へと入っていく。中は広いながらも少し質素な印象を受けた。
壁には稲穂を模した紋章や、青い空と麦畑を描いたような絵画なんかが飾られている。これらを見て、俺はバアルは争いを好まず、平和と市井の営みを愛する人物なんだと感じた。
やがて奥の座敷まで進んでいくと、一つの大きな座間へとたどり着いた。そこには、一人の少女が立っていた。
「よく来たね。歓迎するよ、勇者たち!」
「き、君がバアル……?」
「いかにも。私がバアル。バアル・ゼブル。ここ、バアルの領域の主であり、嵐と慈雨、戦いを司る者、そして、豊穣の神よ」
そう言って佇まいを正すバアルと名乗る少女。その気配に、俺たちは圧倒された。
間違いない。この少女は間違いなく神そのものだ。俺の直感がそう告げている。このバアルという神に膝をつかねばならないと、俺の直感がそう言っている。
「バ、バアル様……」
「ア、アズマ……?」
俺は無意識のうちに動いていた。俺はバアルに膝をついた。そして、その顔を目に焼き付き、涙を流した。
理由は分からないが、止めどなく涙が溢れてくる。俺はいったいこれまで何を教えられてきたのか、理解できなかった。俺は目の前にいる神性を前に、ただ後悔の念に圧し潰されんとしていた。
「ア、アズマっ!どうしたんだよ!!?なんで泣いてるのさ!?」
「………」
バアルは黙って俺を見下ろしている。声をあげて泣いている俺を、ただ黙って静かに見下ろしている。
サクラとモエカは慌てふためくばかりで、ホバもどうしていいか分からず気まずそうにしている。コルネーはどこかへ行ってしまった。
「泣くな、人間」
「っ……!」
不意に声をかけられた。驚いて顔を見上げると俺の顔と同じ高さの所にバアルの顔があった。その瞳は慈愛に満ちており、まるで聖母のようにも思えた。
「……落ち着いた?」
「は、はい……」
「ん、よろしい。じゃあ、そこに座ろうか。後ろのお供たちも適当に座って」
そうして俺たちは、バアルに言われるがままに腰を下ろした。
「君たちがここに来ることは風の伝いで分かっていたよ。君たちがどうしてここに来たのか、その理由も」
「っ……!じゃ、じゃあ……!」
「残念だけど、それはできない」
希望を抱いた俺たちにバアルはあっけなく言った。鍵は渡せないと、バアルは言ったのだ。
「ど、どうして……!」
「ふむ……。どう話せばいいのやら……」
目を閉じて、バアルはしばらく黙り込んだ。
「何か深い事情があるみたいだナ」
「ホバ……?」
「オラも結構長い事生きている。そりゃあ、オラも先代の魔王が統治してた時代より後に生まれた身だがよ、いろんな話をダーディアンで聞いてきただ。おめえも他所の世界から転生してきた身なんだろう?どんな事情があったかオラもダーディアンでいくらか聞いてるだよ」
ホバは続ける。
「かつて人間に神と崇められながらも、その人間に裏切られたって聞いたが事あるだ。徹底的に貶され、自身を祀る神殿も破壊され、名前さえも奪われたってな。この人間も言ってただよ。おめえをベルゼブブって、呼んでただ。けど、本当の名前は違うんだろう?おめえも言ってたな、バアル・ゼブル。それが本当の名前なんだろう?」
優しく諭すようにホバが語る。
「……良く知ってるね。そっか。この世界にもちゃんと私の事を知ってくれてる人がいたんだ……。神としての私を崇めてくれてた人間が……」
「そいつはこの世界におめえがいる事を知ってるのか?」
「それは知らないわ。けど、微かに私を崇めている信仰の気持ちを感じる事はできる。この村の子たちも変わらず私を崇めてくれてるけど、遠く人間界の方から……微かに信仰を感じる事ができるの」
「恵まれてるんだナ、おまえさんも」
「……だね」
なんだか二人でしんみりした空気を作っている。このままでは話が進まないので、俺は話しを戻すことにした。
「それで、どうして鍵を渡すことができないんだ?」
「あぁ、そうだね。それなんだけど……」
「……オラは分かるだよ。おまえさん、ネメアの獅子に同情してるんだろう?」
「……え?」
なんだって?バアルがネメアの獅子に同情してる?
「どういう事なんだ?」
「おめえ、オラの話を聞いて分からなかっただか?バアルはネメアの獅子に自身の生い立ちを重ねてるだよ。オラもネメアの谷にヒトと獣が生まれ落ちた話を知っているだ。実際に耳にしただよ。神と人間の間に生まれた穢れた血の獣だってな」
ホバは続ける。
「目撃した人間によると、実際に雌の人間と雄の獅子がいただとよ。神に捨てられた穢れた混血のバケモノって蔑まれてただ。それのせいで二人は迫害されて、命を落としただ。その日には街の一角で人間共がバカ騒ぎしてたなぁ。それからしばらく経った後に、人食い獅子の話が出てきただ。オラもまさかとは思ったが……」
気難しい顔をしながら顎を撫でてホバが唸る。まさかこのオークは最初からネメアの人食い獅子の話を知っていたのか?
「バアルや。おまえさんも、人間に迫害され続けた二人の成れの果てが、ネメアの人食い獅子というバケモノだと思ってるんだろ?」
「………」
バアルが俯く。呼吸すらも止まっているかのように静かに俯いて黙っている。
「そう……だね……」
バアルは静かにつぶやいた。
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