第16話 「VSネメア」

「ハァ……!ハァ……!」


 モエカを背負って必死に逃げる。時折りサクラがお手製の爆弾で獅子の足止めを試みるが、獅子は意に介せず俺たちを追いかけるばかりだった。


「ニィ……!」


 勢いよく飛び跳ねた獅子が俺たちへ目がけて拳を振り下ろす。俺たちは寸でのところでかわすことができたが、振り下ろされた拳は地面を大きく穿っていた。アレに当たっていてはタダでは済まなかっただろう。当たっていたらどうなったか、想像するだけでも恐ろしい。


「そらそらァ!!!逃げるだけじゃつまらンぞォ!!!」


 腕に纏ったイナズマをジャベリンのように放つ。獅子はわざと外しているのか、ギリギリのところで当たらないようにしているように感じる。


「さぁ、そろそろ仕留めるか…!」


 獅子が右腕に、より強力なイナズマを纏わせる。獅子は逃げる俺の背中……モエカに狙いを定めると、猛烈な勢いで迫ってきた。

 2mは優に超えるであろう巨躯が俺たちに迫ってくる。

 絶体絶命、そう思った時だった。


「くぅ…!」

「なに……!?」


 獅子が驚いたような声を出す。思わず立ち止まって振り返ると、モエカが張ったバリアに獅子の攻撃が塞がれていた。


「ハッ!まだ戦う意志が残っていたかッ!」

「わたしだって……戦える……!」


 モエカが俺の背中から跳び下りる。そうして杖を構えると、俺たちに向かって言い放った。


「ネメアの獅子の攻撃はわたしが受け止める…!みんな、走って!」

「走ってって…!アンタはどうすんのさ!?」

「いいから!!!わたしだってやれるんだから…!」


 震える脚で獅子と相対する。獅子はなんら構えを崩すことなく鋭い眼差しをモエカに向けている。


「くっ…!勝手にしな…!」


 そう吐き捨ててサクラは走りだした。俺はどうしていいか分からず狼狽えていると、モエカが叫ぶように言った。


「アズマくんも早く!早くしないとわたしたち全員アイツにやられちゃうよ!」


「ッ……!クソっ……!」


 俺はモエカに背を向けて走り出した。必死に走った。息も絶え絶えになり、肺が裂けるとも思った。俺はモエカを一人置いて、情けなくも逃げ出したのだ。


 ……ああ、俺のせいだ。俺が獅子を討とうなどと言い出したばかりにモエカやサクラを危険な目に遭わせることになった。特にモエカは腰が抜ける程怯えながらも、勇気を振り絞ってたった一人で獅子と戦おうとしている。それなのに俺は……。


「俺は……」


 思わず歩みを止める。俺はどうするべきか悩んだ。俺はモエカを一人置いて逃げるというのか?仮にも俺は勇者の名を与った戦士だ。その俺が逃げるというのか?


「………けない……」


 言葉が漏れる。


「そんな訳ない……。俺は………勇者だ………」


 自分を鼓舞するように呟く。


「俺は………逃げる訳にはいかない……!仲間を置いて逃げるだなんて……!」


 止めた足を返して、俺は再び走り出した。


「くそっ……!待ってろモエカ……!」


 必死に走る。足は震えて今にも転びそうになるが、その度に体に鞭を打って転びそうになる体を支える。

 足がガクガクと震えて言う事を聞かない。どうして走れているか分からない程に膝が震えている。それでも俺は走った。


 怖い。どうしようもなく怖い。やっぱりまた逃げるかという考えがちらちらと頭の中をよぎっていく。だけど、逃げたくないという思いがそれを上回る勢いで強くなっていく。


 モエカの背中が見えてきた。杖で身体を支えていて今にも倒れてしまいそうだ。


 ……俺がモエカを助ける…!俺が……!


「モエカアアアアアアアああああああああああああ!!!」

「あ、アズマくん…!?」


 剣を抜いて切っ先から光線を放つ。それは真っ直ぐと進み、獅子の眼前にまで迫った。


「くだらん……」


 獅子は露を払うように腕を薙ぐと、光線を片腕で消し去った。


「さっさと逃げてればよかったものを……。わざわざ戻ってきたというのか?」

「ああ、そうさ!オマエをぶっ倒しになっ!!!」

「このオレを?ハッ!!恐怖で頭がおかしくなったか!?」


 震える手足に力を込めて切っ先を獅子に向ける。獅子は何ら臆することなく軽蔑したような目で俺を見下している。


「戦う前から逃げるようなクズがオレに勝てるとでも思っているのか……?オレも舐められたものだな……!」


 ゴウと殺気立った獅子の覇気が辺りを支配する。思わず怯みそうになるけど、ない勇気を必死に振り絞って獅子を睨み返す。


「足が震えているぞ…?」

「ッ…!」


 次の瞬間、獅子が勢いよく俺との距離を詰めてきた。


「ッ……!!!」


 一瞬だった。獅子の巨躯が俺の目の前にある。


 冗長ともいえる獅子の右腕が飛んでくる。俺は、痛みも感じる間もなく殴り飛ばされてしまった。


「ぐッ……!があぁぁぁっ……!」


 ボディーブローのようにじわじわと痛みが襲い掛かってくる。獅子は威圧するように俺に歩み寄ってきている。


「くっ……そぉっ……!」


 痛みがひどくてうまく立ち上がれない。痛みでもがいている間にも、獅子はじわじわとにじり寄ってきている。


「馬鹿な奴よ」


 口元を歪ませて片足を上げる。俺を踏み潰すつもりだ。丸太のように太い足が俺の頭上を捉える。


 遠くで淡い光が灯る。モエカが呪文を唱えているらしい。


「勇ましく戻ってきたことは褒めてやる。だが、無意味だったな」


 ドン!


「……?」

「モエカ…!だァっ!!!」


 剣を薙いで獅子を怯ませる。モエカの攻撃もそうだが、やっぱり獅子の身体には傷の一つも付けられない。獅子の纏う衣服や鎧には傷つけられるのだが、獅子の身体自体にはまったく効果がない。毛の一本でさえ切り落とせないのだ。


 女の声と見てくれなのに、8尺を超える程の巨躯とその威圧感、ドスの効いた声低い声、そしてその圧倒的な覇気は恐怖を覚えさせ、俺に十分な力を出させなかった。


 それでも俺は戦わなければならない。戦わなければ俺もモエカもコイツに殺されるだけだ。


 獅子の剛腕と剣が交わる。獅子の纏う革の鎧を剣が切り裂く。しかし、そんなことも獅子は意に介さず愉し気に笑いながら俺を攻めている。

 攻めるも硬く、守るに難し。獅子の爪は剣を弾き、俺の鎧をバターのように裂いてくる。対する獅子の身には傷一つつかず、傷つくことも恐れぬ圧倒的な攻めは俺の身体と精神力を確実に削ってきていた。


「ぐっ……!」


 鋭い痛みと共に血が流れる。獅子の爪から迸る鮮血は俺を切った時のものだ。

 革の鎧と衣服に血が滲み、地面にボトボトと垂れていく。

 焦りと焦燥、血が流れていくことによる集中の乱れと獅子への恐怖のせいで思考がうまく回らない。


 視界が滲んでいく。呼吸は乱れ、足元がおぼつかなくなる。


「さあ、これで終わりかな?呆気なかったな、人間」


 エメラルドに輝く瞳が俺を見下ろす。……俺はモエカを救えなかった。もはや一矢報いる気力さえ残っていない。俺は静かに目を閉じるしかなかった。

 俺の冒険はここで終わるのか……。あきらめにも似たような感情が俺を支配した。

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