第15話 「獅子との出会い」

 あれからどれくらい歩いたのだろう。俺たちは一つのほら穴の前に立っていた。


 俺たちはその異様な雰囲気に話す言葉を無くしていた。ゴクリというサクラの固唾を飲み下す音もはっきりと聞こえるようだった。


 そして俺は直感した。間違いなくここはネメアの獅子の住まう洞窟だとはっきりと分かった。後は中に入って獅子を討つのみだ。


「……行くか……」


 そうして俺たちは、ほら穴の中へと入っていった。


 暗い洞窟の中を足音を立てずに進んでいく。震えるわずかな息遣いもネメアの獅子を刺激してしまいそうで、生きた心地を感じなかった。



 パキリ。



「ッ!!!」


 モエカが何かを踏んだようだった。どうやら足元の骨に気付かず踏みぬいたらしい。


『バカ、何やってんの…!』

『ごめんなさ…!』


 その時、洞窟の奥から何か言い合うような声が聞こえた。女一人と複数の男だろうか、それらが何か揉めているようだった。


「ほら、どうした?やってみろよ?」

「ぐっ…!ネメアの…獅子…!」

「ああ、そうさ。お前らが勝手にそう呼んでいるだけだがな。で、どうするつもりだ?この雌どもをどうするって?この宝玉をどうするって?言ってみろよ…?」


 岩陰に隠れて様子を見る。三人ほどの男が一つの巨影の前に剣を構えている様子が見える。

 一方の巨影は、臆することなくその三つの影をただ見下ろしている。その巨影の背後に、何やら二つの影がその背後に隠れているのが分かる。どうやら怯えているようで、この男との間に何かトラブルがあったのだと見て分かる。

 詳細はよく分からないが、男三人はネメアの獅子と思われるその背後の女を狙っているようだった。


「くそっ…!だああああああああああああああああっ!」


 影の一つが巨影に襲い掛かる。しかし、あろうことか男が振り下ろした剣は獅子の肌を撫でるだけで傷の一つも付けれなかったのだ。


「ッ…!」

「ふんっ…。ド阿呆が…」


 嫌な音と共に巨影の腕が男の胸を貫いた。息を詰まらせ、少しもがいたかと思うと、あえなく男は絶命した。

 ネメアの獅子はそれを確認すると、ゴミでも捨てるように男の亡骸を放り捨てた。


「ば、バケモノ…!」

「に、逃げるぞ…!」

「逃がすかよ……」

『ッ!!!』

 突如、俺たちの近くで炎が炸裂した。あと少し位置がずれていたら消し炭になっていたかもしれない。


「ぐっ……!!」

「さて、どうする…?」

「こ、このバケモノがァ……!!」


 男の一人がナイフを手にネメアの獅子に斬りかかる。獅子は微動だにすることなく黙ってそれを見ていると、男のナイフが獅子の身体をつるりと撫でた。


「な、なぜだ……。どうして……」

「学習しない奴らよ……」


 冷めた声で獅子が言う。獅子はナイフを……ナイフの刃を持つと、跪いた男の頭を取って自らに見せつけた。


「ナイフ……。貴様ら人間には効果的かもしれないが、オレにとっちゃあナマクラも良い所よ……。こんなものじゃ、オレを、傷つけられん」


 そう言って獅子はナイフを握り潰した。

 歪に変形したナイフが獅子の足元に転がる。それは、男たちを絶望させるには十分だった。剣でもナイフでもネメアの獅子には傷一つ付けられない。ナイフを握り潰した獅子の手も、何事もないかのようだった。


 背後には炎の壁が立ちふさがり、前方には絶対無敵の獅子がいる…。進退窮まった男たちは、もはや死を待つだけの哀れな子羊でしかないのだ。


「た、頼む……。見逃してくれ……。何でもやるから命だけは……」

「ほう……?なんでもやるか……。貴様たちは、この雌共に対しても同じことを言うつもりだったか……?」

「そ、それは……」


 獅子が目をやった先には怯えたように震える二人の女がいた。怯えるように互いに抱き合う二人は、静かに黙ったまま男の方を見ている。


「どうせここいらの目ぼしいものを奪った後、この雌共も犯すつもりだったんだろう?ならやることは一つしかないよな?」

「っ……!!」

「お前らが雌共をヤるように……オレも貴様らを殺してやるよ」


 そう言って獅子は足元の男の背中を踏み潰した。そのままゆっくりと最後の男に近付くと、獅子は男に語りかけた。


「何か言い残すことはないか…?遺言ぐらいは聞いてやるよ」

「バ、バケモノめ…!悪魔…っ、そんなんだからてめェは迫害されんだよ!!!」

「チッ…!」


 振り下ろした拳が男の頭に炸裂する。獅子の振り下ろした拳は、鈍い音と共に男の頭を消し飛ばした。血も何も出ておらず、直感的に体に頭が埋まったのだと理解した。


「さて……」


 ビクリと女たちの体が跳ねる。次の標的は自分たちだと思ったのだろう。そう言えば、この子たちはどうしてこの洞窟にいるのだろう?この子たちも何かを狙ってここに来たのだろうか?


「そこでコソコソしてるお前たち。何をしている?」

「ッ……!!!」


 ビクンと体が跳ねる。獅子は俺たちがここに来ていたのを分かっていたのだ。


「今日は珍しく来訪者が多いな。人間共がいよいよ俺を討伐しに本腰を挙げたか?」

「っ……!」


 圧倒的な存在を前に全身が硬直してしまう。意気揚々とネメアの獅子を討ちに来たのは良いが、いざこうして奴を前にすると腰が引けてしまう。


「ふゥん……。その出で立ち、その魂……。貴様らが噂に聞く転生者か……。それも暗黒神を打ち倒す勇者と来た……。その勇者サマが俺の縄張りに何の用だ……?」


 不気味に輝くエメラルドの瞳が俺を見据える。


「お、俺は……」


 剣を手にする事も忘れて、ただネメアの獅子を見上げる。もはや視線を外す事すらできなかった。蛇に睨まれた蛙とは、まさしく今の俺たちの事を言うのだろう。獅子に睨まれた俺たちは、どうすることもできなかった。


「くそっ…!」


 ふと、サクラが小さく声を漏らした。瞬間、ボンという音と共に辺り一面が濃い煙に覆われた。


「ぐっ…!?」

「逃げるよッ!!!」


 グッと手を引っ張られて出口に引っ張られる。無理やり火の中を突っ切ったのか、一瞬だけだが肌が焼けるような感じがした。


 外の明かりが近付いてくる。サクラに引っ張られて、俺たちは洞窟の外に出る事が出来た。腰が抜けている中無理やり連れ出されたせいか至る所を怪我しているが、そんな事を気にしている場合ではない。せっかく連れ出してもらったのだ。一刻も早くここから逃げ出さねばならない。


「アズマ!モエカ!立てるっ!?」

「ぅ……ぁぅ……」


 モエカが完全に戦意を喪失している。これでは自力で立つのは不可能だろう。


「ぐっ…!俺がモエカを連れていくっ!サクラ、援護を頼む!!!」

「へっ、やるじゃん…!ああ、援護は任せな!」


 震える体に鞭を打って無理やり立ち上がる。ちょっと押されればまた倒れてしまいそうではあるが、あの獅子とモエカを前では弱音など吐いていられなかった。


「さあ、行くよ、アズ……」


 サクラがそう言いかけた時、突如俺たちの前で爆発が起きた。突然の出来事と、舞い上がる煙の中でたじろいでいると、背後から獅子の気配を感じた。


「逃がす訳ないだろ…?」


 獅子が洞窟から姿を出した。絶体絶命の逃亡劇が始まる。

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