第3話 「愛を騙る聖者」

 熱く潤んだ瞳が俺の視線を捉える。心なしかコルネーの息遣いも荒くなっているように思える。

 このままではマズい。俺の貞操も危うい。第一、なんだってこの女はいきなり俺を求めているのだ?


「待てっ!」


 急いで飛び退いて女から距離を取る。コルネーの熱い息遣いがここまで感じるようだ。この女は間違いなく欲情している。

 惑わされてはダメだ…。ここでこの女の誘いに乗っては、俺の勇者としての人生がいろいろと終わってしまう。俺の直感がそう囁いている。この女はただの修道女ではない。それだけははっきりと分かる。


「待てよ…?」


 ただの修道女ではない…?ではこの女から感じていた違和感はいったい…?

 その時、すべての合点がいった。


 ……おかしいと思っていたんだ。この女から感じる違和感に、たくさんの少年たち、そして、修道院の中でありながら俺を誘惑するという、普通の修道女では考えられない愚行。それにクスリまで盛っていた。極めつけは、この女から感じていた"闇属性"の波動…。

 ……そうだ。こいつは聖女なんかではない。修道女を騙る悪女なんだだと、俺は直感した。


「なるほどな…!」


 腰に差してた剣を抜く。女は狼狽えることなく潤んだ瞳を俺に向けている。


「……おかしいと思ったんだ。ここにいるのは年端もいかない少年ばかりだったな。老女も青年もいやしない…。答えろ、いったい何が目的でこんなことをしているんだ!?俺に毒まで盛ろうとして…!何が目的だ!?まさか、修道女ともあろう者が人身売買してるんじゃないだろうな!?」

「……まさか」


 女が不気味な笑みをこぼす。その時、ぞわっと全身を悪寒が襲った。


「貴方をここで食い物にしようと思っていたのですが、それも無駄なようですわね。このまま看過されるはずもありませんし、もう隠していたって仕方ありませんわ…。良いでしょう、私の真の姿、ご覧に入れて差し上げましょう…!」


 黒い波動が解き放たれる。その黒い光の中に、一人の悪魔の姿を見た。


「っ……!」


 悪魔のような羽、捻じれ曲がった一対の角、そして黒光りする長い尻尾…。修道服の下に隠されていた露出の多い淫靡な衣装、淫魔の特徴である刺青と淫紋…。そう、修道女と思われたコルネーを名乗る女の正体は、サキュバスだったのだ。


「サ、サキュバス…!」

「正解…。さて、どうかしら?これから私を斬るつもり?」

「当然だ、人々を惑わす忌々しい悪魔め…!ここでぶった切ってやる…!」

「無駄よ」


 サキュバスの瞳が俺を射貫く。瞬間、俺の体は緊張して動かなくなった。サキュバスの得意技、チャームだ。


「ふふっ、楽にしてなさい。すぐにイかせてあげるから…」

「ふっ、ふざけ…!」


 サキュバスがゆっくりと歩み寄ってくる。まるで蛇に睨まれた蛙、いや、サキュバスに睨まれた喪男だ。俺はここで搾りつくされて死ぬのだろう。哀れ喪男、サキュバスに絞られて死ぬ。一巻の終わり。そう思った時だった。


 ふと閃いた。あの少年たちは何の為に集められたのか。俺の勘が正しければ、あの集められたであろう少年たちはサキュバスのエサの筈だ。もし俺の勘が正しければ、それを利用しない手立てはない。


「少年、何をしている!」

「え!?」


 しめた!油断したな、バカめ!


「くらえ、サンダーボルトだッ!」

「ぎゃっ…!」


 チャームから解放された俺はすぐさま飛び起きて、身動きができないよう彼女の長い尻尾で彼女を縛った。彼女も男を弄ぶための尻尾で自らが縛られるとは夢にも思わなかっただろう。


「くっ…。あんな子供騙しの手に引っかかるなんて…」

「子供を騙してレイプしていた罰だ。憲兵の所へ連れていくから覚悟しろ」

「えぇぇ…。人間の大人はもう食べ飽きたのよ…」

「いいから歩け!」

「はいはい…。まったく、さすが勇者様だわね…」







 そうして、アングラの町に戻ってきた俺は、サキュバス……コルネーを憲兵に引き渡し、件の修道院の調査へ向かわせた。案の定、コルネーは迷子の少年たちを言葉巧みに騙し、修道院内で食い物にしていたようだった。サキュバスの快楽を知った少年たちが今後どうなるかは分からないが、無事に更正できる事を祈るしかないだろう。


 淫魔の異名が示す通り、彼女らの手にかかった哀れな男は、簡単にその快楽に溺れてしまうという。一度その快楽を知ってしまったが最後、簡単にそれから抜け出すのは難しいと言われている。


 サキュバスに魅了された大半の男たちは、新たにサキュバスを召喚して、その身を滅ぼしてしまうと言われている。自我の育ちきっていない少年たちが、新たな依存先としてサキュバスにその身を委ねるのは想像に難くない。


「ふわぁ…」


 大あくびをしていつもの居酒屋に入る。なんだかひどく疲れた。いつもの安ワインを頼んで、空っぽの胃に流し込む。危険な飲み方ではあるが、一瞬で酔えるのでいつもこうして飲んでいる。


「ふーん…。サキュバス一匹で2Lv上がるのか…」


 ステータスカードを見てみると、20Lvそこそこあったレベルが2Lvも上がっていた。割とあっけなく倒せたサキュバスだけど、そこそこ強いモンスターだったらしい。まぁ、チャームをかけられて搾られて死ぬというリスクを考えれば、妥当な経験値と言えるのだろうか?何がともあれ、良い経験になった。


「────それでもアイツらには追いつけないんだろうなぁ…」


 俺をパーティから追放したルーク共を思い出す。

 ……いいや、考えてもダメだ。アイツらのことは忘れてしまえ。俺は俺だ。仲間無しでは何もできない俺は、どこまでいっても一般人だ。俺はちょっと魔法と剣術が扱えるだけの何でもない一般市民でしかないのだ。高度な文明と学術が発達したアングラでは、誰でもちょっとした魔術を扱えるのだ。俺もその中の一人でしかない。


「────っだあああああ!!!やめだやめだあ!やってられっかこんな事ァ!」


 頼んでいたワインを一気飲みする。快楽物質が血管内を巡って脳みそを麻痺させていく。


 ダンッ!


「おかわりッ!!!」


 無愛想な太った店主が追加のワインを持ってくる。俺はそれを一気に飲み干すと、報奨金が入った袋をドカッと置いて居酒屋を後にした。


 定まらない視界の中、宿屋に向かって歩いていく。俺がいつも使っている安い宿屋だ。安いだけあって壁も薄く、隣で致している音や声もそのまま聞こえてくる。酔うとこれらの音も右から左へ抜けていくのでそう悪くはない。


「ぐう…」


 急速に意識が闇に溶けていく。それから俺は、泥のように眠り、深い闇の底へと沈んでいくのだった。

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