第2話 「慈愛の修道院」
一人、飲み屋で蒸留酒を煽る。ここ、知恵と魔法の町アングラは、かつて俺が暗黒神を倒すために出発した都市である。今では落ちぶれて、志高く出発したこの町で安い蒸留酒を煽るだけの人間になってしまっているが。
今では勇者という名前は見る影もない。あるのは勇者だった人間が、その日に稼いだ金で安い蒸留酒を煽るという惨めな姿だけだ。
「んぐっ…!」
安い蒸留水を一気に飲み干す。胃に沁みた快楽物質が全身を巡って脳みそを麻痺させていく。実に気持ちが良い。
「よう、にいちゃん」
「んぁ…?」
不意に声をかけられた。混迷する意識を相手に向ける。うまく認識できないが、どうやら俺に話しかけたことは間違いないそうだ。
「お前、アズマだろ。あの勇者様がどうしてこんなところにいンだ?」
「ンなことどうだっていーだろ…。俺だってこうして酒に逃げたくなるんだよ…。ったく…。ルークめ…」
「へへっ。なんか事情がありそうだな。暗黒神討伐がうまくいかねえってンなら、一回カミサマに相談してみたらどうだ?」
「むぅ…。カミサマか…」
適当に代金を払って外に出る。俺は男に言われた通り、カミサマのお告げを聞くことにした。いわゆる神託ってやつだ。
「えーと、アングラの神様って誰だっけ…」
ふわふわする頭でこの地で祭っている神様の名前を思い出す。当然ながら酷く酔った頭では思い出すこともできず、まぁいいかとふらふらする足取りで俺は修道院へと向かっていった。途中何回か吐くなどしたが、特に問題なく修道院へ向かうことができた。
☆
気が付くと、俺はベッドの中にいた。ふかふかのベッドと、朝の陽ざしが心地よい、最高の目覚めと言えるだろう。ある一点を除いては。
「お゛っ゛・・・」
……ひどい頭痛だ。視界もぐるぐると回るようでひどく気分が悪い。完全に二日酔いである。
「────ッ!!」
吐き気に襲われて急いで窓に飛びつき、外に向かって思い切り吐いた。最高の目覚めである。
「ぜぇ…。ぜぇ…。か、仮にも神託を受けにやって来た場所で吐いてしまうとは…。…って、ここはどこだ…?」
そう思った時だった。ガチャリとドアが開いた。
「お目覚めですか」
「ぜぇ…。ぜぇ…。君は…?」
一人の修道女が立っていた。濃い紫のの髪に金色の瞳……。おっとりとした顔つきは慈愛に溢れている。間違いない。俺は慈愛の修道院にいるのだ。
「私はコルネー。ここで修道女をしておりますわ。しかし、大変でしたわよ?近所の見回りをしているここの修道女の一人が、吐瀉物に塗れて倒れている青年を見つけたと、青い顔をして駆け込んできたのですから。私も貴方を見た時は、野犬にでも襲われたのかと思いましたわ」
「あ、あぁ、そうか…。まぁ、助けてくれたようで何よりだよ。ありがとうな、お姉さん」
「いいえ、私は当然のことをしたまでです。さ、お顔を洗ってご支度なさいな。朝餉ももうじきにできますわ」
そうして、俺は食堂にて他の修道女や信者たちと一緒に食卓を囲んだ。心なしか年端のいかない少年が多いような気がしたが、あまり気にしないようにした。つまるところそういう事なのだろう。世知辛い世の中だ。
「俺も元いた世界ではそういうニュースに事欠かなかったよなー…」
ぽつりと呟く。虐待、育児放棄、ネグレクト…。親の承認欲求のためにおもちゃにされる子供もいるとよく耳にしていた。ここにいる少年らもそれらの手から逃げてきたのだろう。そう思うと心が痛む。
「ところで、お名前を聞いていませんでしたわね。貴方、お名前は?」
「あ、俺はアズマって言います。ええと、ここに来たのには訳があって…」
「あら、アズマさん…?あの高名な勇者様がどうしてこんなところに…?」
「ええと、実は訳があって…」
☆
「まぁ、そんなことが…」
「俺、これからどうすればいいんだろうって…」
「仲間との不和。酒に溺れ、賭博通報で路銀を稼ぐ日々…。さぞつらかったでしょう。よくぞここへ頼ってくださいました。神も慈愛を与え給うでしょう。さぁ、お祈りなさい。貴方にアングラの祝福があらんことを、私からも祈らせてください…」
そうして修道女はカミサマに祈り始めた。
「……?」
心なしか周りの少年たちがそわそわしている。忙しなく右へ左へ視線を移し、何やらもじもじしているようだ。少年と言えば元気いっぱいでやんちゃなものだと思いそうだが、ここにいる少年たちは妙に大人しい。
そういえば、ここで目を覚ました時から妙な違和感があった。俺も知恵と魔法の町アングラ出身という事もあって、多少の魔法に関する知識や種類というものは心得ている。
俺は言いしれない不気味なモノを感じていた。闇、と言えばいいのだろうか。本来であれば、感じてはならない闇属性のような魔力を感じていた。
教会とは神を祭る神聖な場所であり、神の教えを説く所である。修道院は神の教えに従い、自らを律し、他の修道士達と共同生活を営むところである。つまり、そこに邪な感情は持つはずがないのである。持ってはいけないのだ。
しかし、ここはどうだろう。大人しく、何やらそわそわとしている少年たち。そして、それを囲む修道女たち。神聖なものに隠された、欲望のようなものが見え隠れしているような気がしてならない。
カトリックの神父が幼い少年に性的虐待をはたらいたというニュースが頭をよぎる。まさか、考えすぎではないのかと必死にそれを否定する。
だが、考えれば考える程もやもやは増していき、居心地が悪くなってくる。俺の本能もここにいてはならないと警鐘を鳴らしている。神託の事は置いておき、さっさとこの場所を去るとしよう。
「やっべ、吐きそう…。コ、コルネーさん、トイレはどちらに…?」
「あらまぁ、二日酔いですか?トイレであればあちらに…」
吐き気というのはあながち嘘ではない。変な事に巻き込まれる前にさっさと退散した方が良い。こんな所とはさっさとオサラバして、別の修道院で教えを乞うことにしよう。そう思いながら俺は外のかわやの扉を開き、吐いた。
朝餉を用意した修道女たちに申し訳ないと思いながら胃の中の物を吐き出す。粗方吐き終えたところで、吐瀉物の中に奇妙なカプセルを見つけた。
「……?」
薬…?何の薬だろう…?俺の中で更なる疑念が深まっていく。
……やはり、ここはただの修道院ではない。救いを求めにやって来た俺に、何か薬を盛ったのだ。
カプセルをポケットの中に入れ、俺はかわやを後にした。さっさと逃げようと思ったけど、これはただで済ます訳にはいかないと思った。ここには何かがある。それを解決しない限りには、立ち去る訳にはいかない。何より、このまま放っておいたのでは夢見が悪い。
「よし…!」
意を決した俺はもう一度修道院の中へと入っていった。中では食事を終えた修道女たちが静かに食器を片付けているところだった。
「コルネーさん」
少年たちの身支度をしていたコルネーに声をかける。声をかけられたコルネーは優しくこちらに微笑みを返した。この顔の下には言いしれない裏の顔があるのだろう。そう思うと、虫唾が走るようだった。
「あの…これなんだけど…」
「あら……」
懐から吐瀉物に混じっていたカプセルを取り出す。それを見たコルネーの顔が一瞬冷めた様を俺は見逃さなかった。
「これ、どういうことですか」
「あらあら……まぁまぁ……」
コルネーがゆっくりと立ち上がる。
「天使たち、先に部屋にお戻りなさい。私はこの方とお話があります」
「はぁい……」
軽い返事をして少年たちは部屋へと戻っていった。気付けば周りの修道女たちはいなくなっていた。ここにいるのはコルネーを名乗る怪しい修道女と元勇者の俺だけ。そこには怪しい雰囲気が漂うようだった。
「アズマさん…」
「………」
コルネーが小さく呟く。その声に、俺の心臓はドクンと跳ねた。
「私と……致しませんか……?」
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