第45話 これでキミはボクのもの

 星空――いや、違うな。


 月空、というべきか。視界のど真ん中には、青白く光り輝く大きな円。 それが夜空だとわかるのは、その青白い円の少し離れたところにいくつもの光る点と、点ですらない薄く光るもわもわがあるから――だな。


 体を起こす。岸の草の上に横たわっていたらしい。川の中にいたはずなのだが。肌寒さを感じ、体をこすった。体には何も着ていない。しかし、何かしらの傷もないようで、どこかが痛いということもない。


 少し離れたところ、水の流れる淵で、川に向かって座っている人影がある。俺は立ち上がり、その人影の後ろから近付いた。


「キミが、悪いよね」


 佳弥が、後ろを振り返ることなく、しかし明らかに俺に向けた言葉を発した。


「なんで俺が悪いんだよ。佳弥が勘違いをしてる。あれは大宜津姫が勝手に」

「違うよ」


 佳弥が俺の言葉を遮る。


「何が違うんだ?」

「ボクのこと。キミが悪いよね」


 ああ――『気味が悪い』ということか。


「いや、別に」

「見たよね。キミを傷つけた、あの黒い靄。あれは」


 佳弥も何も着ていない。足を折り曲げて前に出し、腕で自分の体を抱えている。その佳弥を後ろから抱きしめた。


 冷たい。


「寒いか」


 しかし、その問いかけには答えない。


「あれは、ボクの」

「もういい。それより、このままじゃ風邪をひいてしまうだろ。さあ、一緒に帰ろう」


 そう促したが、佳弥は体を固くしたままだ。


「ほら、さあ。女の子が裸で外にいたら、襲われるぞ」

「いいよ。虎守くんがそうしたいなら」

「……馬鹿言うなって」


 多分、冗談ではないのだろう。何とも言えない沈黙が漂う。


「怖く、ないのかい」

「何が」

「ボクのこと。月岬の女は、我を忘れると、ああなる」

「でも、佳弥が治してくれるんだろ? さすがにちょっと痛かったけど」


 うん、まあ、ちょっとどころではなかったな。


「ボクは、男だよ」

「いや、女だろ。正直、ずっと男だと思ってた。その、ごめん」

「男だよ。確かめてごらん」


 は?


「い、いや、どうやって」

「今、ボクは何も着ていない」


 ……


「いや、あのな、俺は、佳弥が男でも女でも、ずっと傍にいる。だからそんなことしなくても」

「確かめて!」


 佳弥は強い口調でそう言うと、さらに体を固くした。自分の言うことを聞かないなら、この場から絶対に動かないということだろう……


「知らないぞ、こう見えても俺は男だからな」


 そう言って俺は手を佳弥の下腹部へともっていく。佳弥の体に入っていた力が抜け、足が開いた。佳弥は少し吐息をもらし、俺の手を受け入れた――


「もう、ずっとボクから離れないで」


 佳弥の腕が後ろ手に俺の首に回る。


「ああ」


 俺の答えに、佳弥は俺の方を向くと、俺を抱きしめ、体を押し付け、そして口づけをした。


 しばらく二人、月空の下でそうしていた。誰かに見られたらという気持ちは、佳弥にも俺にも、たぶんなかっただろう。


「なあ、佳弥」


 ふと、そう声をかけた。


「なに?」

「じゃあ、黄泉比良坂で俺たちを襲った、あの黒い靄はなんだ」


 佳弥から出てきたものは、あれと同じ感じがしたのだ。


「あれは……ボクの、母親、だよ」


 その答えのあまりの理解不能さに、俺はしばらくの間、固まっていた。

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