第38話 ボク以外の女に近づくなんて許せないな

 もう夕方、日は海の彼方に沈もうとしている。


 大宜津姫がいるはずの祭殿に向かおうとして、佳弥と少し口論になった。俺は、安全な場所である竪穴住居の結界内にいて欲しいといったが、佳弥は一緒に行くと言ってきかない。


 なおも強く説得しようとすると、佳弥は顔を俺の目の前に持ってきて、鋭い目つきで俺をにらんだ。


「そんなにあの女と二人きりになりたいのかい」

「あのな。『敵』の正体が全然分からないんだ。佳弥に何かあったらどうする」


 ふぅん……そんな声を漏らし、佳弥は俺の瞳の奥を覗き込んだ。


「じゃあ、いいよ。当然、あの女と何かあるなんてことないよね」

「当たり前だろ!」


 何があるっていうんだ?

 佳弥は俺にそんなモテ質があるとでも思っているのだろうか。


 まあ、佳弥は俺のことが好きなようだが、それは小学生の頃の思い出補正だろう。

 佳弥の気持ち自体悪い気がするわけもないが……もしかしたら佳弥は他の女に俺を取られると思ってるんだろうか。


 ……ないな。彼女いない歴=年齢の俺がそんなわけがない。


 それからしばらく、行く行かないの問答が繰り返された後で、佳弥はようやく俺の言うことを聞いてくれた。


「虎守くん、ずっと一緒だよね」


 佳弥はそう言って、笑って俺を送り出す。


 ずっと一緒にいるために、こうやって苦労してるんだろ……そう言ってやりたかったが、なんかそれも気恥しい。


 というか、俺の魂を取り返したら、佳弥にはもうこの世界に来ないように言うべきだろう。こんな危険なこと、佳弥がやる必要があるのか、まったくもって疑問だ。


 茜色が満たす村の中を祭殿へと向かう。人々は暗くなる前に用事を済ませたいのだろう、なんだか慌ただしく行きかっている。


 祭殿の前につくと、護衛の兵士が待っていたように俺を中へと案内した。中に明かりはない。建物の天窓から入る光で中は赤色に染まっているが、それはかなり高い天井のほうを照らすだけで、その乱反射だけが部屋の中の照明といえた。


「お一人でいらっしゃったのですね」


 大宜津姫が部屋の中央やや奥に座っている。逆光になって、その表情はあまり見えない。


「はい。俺一人でということだったので」


 そう――姫は、聞こえるか聞こえないほどの声でそうつぶやいた。


「今晩、姫の護衛をすれば、俺を殺した者が誰か、教えてくれるんですね」


 茸は渡した。あとはそれをクリアすれば――そういう約束のはずだ。


「ええ。でも」


 姫が体を動かす。布の擦れるカサっという音が、二度、三度聞こえた。


「でも?」


 まだ何かあるのか――自然と自分の声のトーンが下がる。


 天窓から入る光が次第に薄れ、赤色だった部屋に紫色が混ざっていく。もう日没は過ぎたはずで、黄昏時の残り光もすぐに無くなるだろう。


 刻一刻と影が増すほどに、暗がりの中から聞こえる姫の息遣いが次第に荒くなっている。


 妙だ――


 姫の体調がすぐれないのかもしれない。しかし俺の心の中は、姫を心配する気持ち以上に、どこか不吉な予感に満たされていた。


「大丈夫、ですか?」


 姫は部屋の中央。俺は入り口近く。その距離はまだ離れていて、姫の様子を見るには近づかなければならない。しかし俺の体がそれを拒否していた。


「私が、教えなくとも、すぐに、お分かりになります」

「それはどういう……」


 聞き返したが、途中で言葉を飲み込む。姫の様子が明らかにおかしい。床に手をつき、肩で息をし始めたのだ。


 外の護衛兵に知らせるべきか?


「姫、人を呼びましょう」


 立ち上がり、後ろを向こうとして、止めた。

 言いようもないような気持の悪さが全身にまとわりつく。


 この感じ――アレだ。


 暗がりの中、さらに黒いものが姫を覆っていく。いや、覆ってるんじゃない。姫の体からにじみ出てきているのだ。


 それらが、意志を持つ粘体となって、姫の周りをくねり始める。


「オトコ……オトコガ……イル……ミタマソニ……チカヅクナ……チカヅクナ……」


 まるでエコーのかかったマイクでしゃべっているかように、しゃがれた低い声が幾重にも重なり、部屋の中に響き渡った。

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