第30話 だから一人で先に行っては……

 急に明るい場所に出た分、視界を満たす光が余計に眩しく感じる。どこから襲われてもいいようにさほど大きくはない木の盾の陰に身を隠してはいたが……何も襲ってこない。


 拍子抜けして辺りを見回す。入り口の傍に木製の薄汚れた胴とこん棒が落ちているのを見つけた。

 きっと黄泉人の装備だろう。しかし『中身』がない。


「なんでこんなもの」


 落ちてるんだ――後ろを振り返って、佳弥がいないことに気が付いた。


「あれ?」


 どこかにいるのかと思い、辺りに向けて声を掛けてみるが返事がない。


「中かな?」


 不思議に思い、もう一度黄泉の入り口から中へと入った。明るい場所から暗い場所へ。一瞬視界が闇に塞がれる。


「おーい、佳弥ぁ」


 我ながら緊張感のない声。ここに黄泉人はいない――その思いが油断だったのだろう。


 次第に目が慣れてくる。慣れてきたはずの目に、しかしどうにも光の当たらない靄が映った。


 まるでそこだけ真っ黒にすすけているような……いや、見ようによっては、そこにぼやんとした黒い穴が開いているような感じ。


 その穴の中から白い右手が――それが黒いがゆえに、本当に白く見えた――外へと伸ばされている。

 黒いすすけたような塊から、白い右手だけが付きだしているのだ。その手が何かを掴もうとするように虚空に揺らいでいた。


 その右手、佳弥のもの。


「佳弥!」


 慌てて駆け寄り、その手を掴んだ。佳弥の手が俺の手を握り返す。

 佳弥を引っ張り出そうとしてみるが、佳弥を飲み込もうとしている力が強いのか、反対に俺まで引きずり込まれそうになった。


 何が、何が起こっている?

 こいつは、なんだ……


「来たれ、来たれ、鉄の剣、我の右手に」


 俺の言霊に呼応し、手の中に剣が現れる。それを握りしめ、佳弥を包み込んでいる黒い靄へと突き刺した。


 ずぶり、と表現するしかない感触が俺の手に伝わる。肉にナイフを入れたときに感じる、あの、言いようもない嫌悪感。


 その瞬間、佳弥の右手がビクンと波打った。何かを我慢するように、俺の手が激しく握られる。


 慌てて剣を引き抜く。その切っ先はドロッとした液体によって深紅に染められていた。


 すぐに気が付いた。これは佳弥の、血だ。


「か、佳弥!」


 剣は黒い靄をすり抜け、佳弥に刺さったのだろう。

 これじゃあ、斬れない。


「ど、どうすればいい!?」


 なんとか佳弥の手を引っ張ってみるが、強い力は佳弥を崖下へと引きずり込もうとしているようだ。


 崖下に何かがいるのか?


 しかしそれを確認している暇はない。どうすればいい? わからない。佳弥は返事をしてくれない。顔も体も黒い靄に埋まってしまっている。


 ふと、入り口に落ちていた装備のことが頭によぎった。あれは黄泉人のものだ。しかし中身はなかった。


 前にここから出たときにはあんなものはなかった。佳弥が感じた気配はあいつのものだったんじゃないのか?


 じゃあ、あれを着ていた黄泉人はどこへ行った。

 あれを脱いでどこかに走り去った?

 そんなはずはない。


 あいつは外に出て……


 俺は持っていた剣を投げ捨てた。


「来たれ、来たれ、火のついた松明。我の右手に」


 次の瞬間、右手に握られる確かな熱量。辺りが一気に明るく照らされる。それでも黒い靄は、黒いままだった。


「これでどうだ!」


 危険かもしれない。もしかしたら佳弥を『炙る』ことになるかもしれなかったが、俺は黒い靄に向け、松明をかざした。

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