第20話 これは罰だよ

 佳弥の涼しげな顔……

 こいつ、俺を毒見に使いやがった!!


 ……というか、そっか、万が一俺が毒を盛られても、佳弥がいれば治してもらえるんだっけ。

 いや、そうなんだけど、そうなんだけどさ、なんだろ、なんか理解できるが納得いかない。


 仕返ししてやろう……そんな思いが沸き起こった。


「うっ、ううううう……」


 喉を押さえ、いきなり俺は床に倒れ込んだ。そして痙攣の真似。いや、別に何ともないんだけど、自分的にちょっと迫真の演技。


 佳弥はどんな反応をするだろう。


 と……


「こ、虎守くん!?」


 さっきまでツンとしていた佳弥が、血相を変えて倒れた俺を抱き起す。


「なーんてな、う」


 そ……とドッキリかます前に、佳弥の唇が俺の口をふさいだ。

 絡み合う舌、のどを潤す佳弥の……


「治った? 大丈夫かい?」


 佳弥の腕に抱かれた状態。

 ……ど、どうしよう。


「あ、いや、その、全然大丈夫で」

「よかった」


 佳弥が俺を抱きしめる。


「毒が入ってたのはどれ、かな」

「いや、あのな」

「ボクが食べたものは大丈夫みたい。貝汁かな。痙攣となると……フグ毒かもしれない。まさかいきなりとは思わなかったね。仕方ない、今から」


 佳弥の振る舞いは極めてシリアスなもの。

 これは……あれだ。放っておくとヤバイ奴だ……


「す、すまん、嘘だ。冗談だ。毒なんて入ってない」


 部屋の中の空気が止まった。


「……どういう、こと、かな」

「驚かそうと思って、毒を盛られたふりをしただけだ。なんともない」


 佳弥が俺をじっと見つめる。

 冷たい……まさに絶対零度の刃。


「そ、そんなにマジになるとは、その、思わなくて……スマン」


 すっげー気まずい雰囲気。


「虎守くん」

「は、はい」

「世の中には、やっていい冗談と、やってはいけない冗談があってね」

「ス、スミマセン……いや、でもな、出された食事を食べるのに、そこまでリスキーだとは思わないだろ普通。そんなに危険なのかよ、この村」」


 そういうのは先に言えっていう。


 俺の抗議に、佳弥はふっと息をついた。


「月読尊さまは、『保食神うけもちのかみ』をお殺しになっている。そしてこの村は、保食神うけもちのかみの村、だからだよ」


 ……はぁ?


「おい、それじゃこの村は『敵』みたいなもんじゃないか。なんでこんなところで世話になってるんだよ」

「いや、村人や長が『敵』なのではないよ。ここは神話世界での『最前線』の一つでね」

「最前線?」

「うん。日本書紀では『ツクヨミノミコトが保食神を殺した』ことになっているけど、古事記では『スサノヲノミコトが大宜津姫を殺した』ことになっている。つまりここは、記憶が混在している場所なんだ。だから、月読尊さまに関する記憶を取り戻すための戦いの最前線、ということ、だね」


 佳弥がこの神話世界でやろうとしているのは、『月読尊さまに関する記憶を取り戻す』ことだ。


 ……何やら難しい話になってきた。


「敵でないなら、なんで俺たちが命を狙われるんだよ」

「ボクたちを狙うのは、この村の人々ではなくて、『素戔嗚尊スサノヲノミコト』の勢力だよ。彼らは彼らで、『記憶を奪い取る』ための戦いをしている。その相手の一つが『月読尊』の勢力、つまりボクたち、ということ。もうすでに彼らがこの村に入り込んでいる可能性もある」


 なるほど……なのかは分からないが、とりあえず『神話としての記憶』をめぐって『スサノヲ』と『ツクヨミ』が戦っている、ということのようだ。


「というかさ、そういうのは先に言ってくれ」

「食事が終わったら説明しようと思っていたんだよ」


 ったく、佳弥は『事後報告』が大好きなようだ。


「おっけー、じゃあ、飯の続きとしようか」


 佳弥の腕から起き上がろうとして、佳弥に止められる。


「せっかくだし、もうひとつ」

「な、なに」

「もしボクが毒を飲んでしまったら、助けてほしい」

「助けてって……俺に毒の治癒なんてできないぞ。自分ではできないのか?」

「うん。でも難しい話じゃない。その時はボクに」

「佳弥に?」

「キス、してくれるかな」

「は?」

「ボクの体の中の毒を、キミに移す。キミに移せば、治すことができる」


 そ、そうなのか……ほんとかよ。


「わ、分かった」

「できる?」

「もちろんだ」

「じゃあ、ここでしてみて」

「いっ!?」


 佳弥が俺を起こし、そして顔を突き出す。


「い、今は必要ないだろ」

「必要になった時のための練習、だよ」


 佳弥が俺をじっと見つめる。

 その瞳……湿度100%。


 なんでだよ……


 これまでは、俺を治すために佳弥が俺にキスをしてきた。俺は受け身だ。

 しかし、これは……


 考えてみれば、佳弥はためらいもなく俺にキスをする。

 きっと佳弥にとってそれは『治療行為』でしかないのだろう。


 しかし、俺にとっては違う。どこまでも『キス』でしかないのだ。


 人工呼吸とか、そういう切羽詰まった状況なら意識はしないかもしれない。

 でも今は、そんなんじゃない。練習と言われても……


「できない?」


 佳弥がふと、顔を曇らせる。

 そんな顔、しないでくれよ。


「わ、わかった。じゃ、じゃあ、いくぞ」

「うん」


 佳弥の肩を持ち、俺のほうへと引き寄せた。


 とうとう俺は、自分から、能動的に、『男』にキスしようとしている。

 いいのか? それでいいのか?


 いや、ちがう、そうじゃない。これは治療行為の練習だ!


 佳弥を見る。その潤んだ目が俺を見つめていた。


 か、かわいい……なんでこいつ、こんなにかわいいんだろ。

 って、いや、いやいやいやいや、練習、練習だ。これは練習なのだ!


 俺は一つ深呼吸し、覚悟を決めて、佳弥と唇を合わせた。


 ぷにゅっという柔らかさ。しっとりと濡れた感触。


「んっ……」


 佳弥の口から吐息が漏れ、佳弥の腕が俺の体を抱きしめる。


 ガラガラガッシャーン!!


 その瞬間、俺の心の中の何かが、激しい音を立てて崩れていった。

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