第18話 なに、こういう女が好きなの?

「きもちわりぃ……」


 散々胃の中をシェイクされた。佳弥が馬を止めるや否や、俺はウマから転げ落ちるように降り、目の前にあった草むらに胃液を吐き出す。


 佳弥と密着してたら、なんか変な気持ちになって、もしかしたら俺……


 なんて心配は全く必要がなかった。

 ただ、吐くのをこらえるために佳弥にしがみついていただけだった。


「なあ、ここは『精神世界』なんだろ? なんでゲロっちゃうんだよ」


 抗議の声を佳弥に向ける。


「それもまた、『精神的な』嘔吐ということ、かな。大丈夫?」

「全然大丈夫じゃねぇ……」


 ウマに揺られたせいでケツも痛い。ボロボロ。


「手を」


 そう言って佳弥が俺の手を取った。すぐに、気持ち悪さと、尻の痛さが消えていく。


「な、治った!?」

「これで大丈夫、かな」

「おうおうおう、すごいな! 全然平気だ」


 これが佳弥の力か……便利なもんだ。


「ここからは歩いていこう」

「どこに?」

「あそこ、かな」


 佳弥が指さす方を見た。


 今俺たちは、少し小高くなった土手っぽいところに立っていた。大きな川の河口だろう。海が見える。


 海に向かって左手に、太陽が海に沈もうとしているのが見える。ということは、海の方が北ということか。


 天体が現実世界と同じように動いているならば、だが。


 川と海を背に大きな集落があった。もちろん、現代的な建物は一つもない。

 三角形の藁ぶき屋根がいくつも見えていて、その中にひときわ大きな四角い建物が一つ見えた。


 集落の周りには幅のある堀がめぐらされていて、角には背の高い建物が建っている。物見やぐらだろうか。


「環濠集落だな」

「そう、だね。目的の人物があそこにいるはずなんだ。ついでにいくつかの準備もさせてもらおう」

「ああ、そっか。誰かのところに行くって言ってたっけ……誰だっけ」

保食神うけもちのかみだよ」

「うけ……。まあ、いいや。佳弥は会ったこと……ないか」


 この世界に来ること自体、俺と一緒が初めてだというのなら、会ったことはないはずだ。


「そう、だね。でも、先方はボクのことを知ってると思う」


 佳弥の父親はここに来たことがあるそうだ。そしてあの集落の中にも『扉』があるらしい。


 二人で集落へと向かう緩やかな坂道を下った。平野部には遠くまで田んぼが広がっているのが見える。これが確保すべき食料と一致しているのなら、ここはかなり大きな集落なのだろう。

 近づいて分かったが、堀の内側にも木の柵が立て並べられている。集落の入り口には、門番らしき人物が二人、槍を持って立っていた。随分と厳重だ。


「何者だ」


 俺たちが近づくと、門番は警戒した様子で誰何してきた。麻の服だろうか、首の詰まったような上着と、ゆったりとしたズボン。兜と胴当てを着けている。体はがっしりしていて如何にも戦士という感じの男たちだ。


「月夜の加護を受けた者……月岬の一族が来たと、長に伝えていただけますか」


 佳弥は落ち着いた様子で門番にそう伝える。門番の二人は互いに顔を見合わせると、そのうちの一人が「少し待たれよ」と言って集落の中へと走っていった。


「言葉、通じるんだな」

「『精神世界』だからね。音に意味はない、かな」


 そんなに待たされることなく、男は戻ってきた。そのまま集落の中へと案内される。

 集落の中では人が行き来している。来ている服は皆、首と腕のところだけ穴が開いていておへそのところで紐で縛る形のもの――単衣に似ている服を着ている。


 男性も女性もそして子供もいるが、男性はみんな刺青をしていた。


……漁村、だな。


 案内されたのは、遠目からも見えていた大きな建物だった。柱に支えられた高床式の祭殿のように見える。建物部分は二階建てだ。


 なるほど、ここは『長』の住まいか。


「上がられよ」


 案内してくれた男が、建物へと昇る階段を指し示す。木の階段を上り、廊下(木の手すりまでついている)の中央にある扉の前に、佳弥と二人で立った。

 案内の男が中に声をかける。


「中へ」


 若い女性の声が聞こえてきた。扉が開かれる。中に入ると、随分と広い部屋の中央に、ポツンと一人、女性が座っていた。黒く長い髪が板張りの床一面に広がっている。

 袖付きの衣装を何枚も着重ねていて、頭には装飾が施された冠、首と腕には緑色の石が何個も数珠状についているアクセサリーをつけていた。


「ようこそ、私たちの村へ。やはり月岬の一族のお方は、不思議な恰好をしているのですね」


 可愛らしい声。顔もかなり幼く見える。下手をすれば俺より若いかもしれない。


 ぱっちりと見開いた二重の目。 瞳からは無数の星屑が飛び散っている。集落の者たちはみな日に焼けて肌の色は濃かったが、この女性は外に出たことがないのかと疑いたくなるほどに白い。

 見る者を溶かすような笑顔。唇はほんのりと桜色、湿り気が光沢を放っている。


 いや、なにこれ。めちゃめちゃかわいい女の子じゃないか。

 これが『長』?


 ……あれ、ちょっと待てよ。なんか見たことある顔だ。

 誰だ……誰だっけ……


 思い出した!


 オタク野郎のマサヤが、『コモリン、この子かわいいだろ。俺最推し。まさに完璧で超絶なネットアイドルなのだっ!!』などとほざいてスマホを俺に見せた、その画面にデカデカと映し出されていた女の子!


 名前は確か……


兎カ野うかのミタマ!!」


 ……しまった、思わず声を出してしまった。

 佳弥が不思議そうに俺を見る。座っていた女の子は、ほえ?という顔をした後、くすくすと笑いだした。


「ご、ごめん、なんでもない」


 はずっ! 恥ずかしすぎる。


「わたくしがこの村の長、オオゲツヒメ大宜津姫です」


 ぽんぽんぽんっと花でも咲いたかのような萌え声でそう名乗った女の子は、佳弥ではなく、俺のほうを見たままとろける様な微笑を見せた。

 女の子が少し頬を赤らめ、口元に手を当てる。


 マサヤに散々『お前もミタマソの奴隷になれ!』とか言われていたときには『何がネットアイドルだよ』とか思っていたが、なるほど、こうやって見ると確かにかわいい。

 マサヤが自分の財布を空にするまで推し活するのも……いや、理解はできないか。まあ奴の自由だが。というか、目の前の女の子がそのネットアイドルなわけがない。他人の空似ってやつだ。


 ふと、隣からドヨドヨとしたネガティブ・エアが漂ってくる。背中に走る、冷たい恐怖。


「コホンッ! お初にお目にかかります、月岬佳弥つきみさき かやと申します。これは、虎守こもり


 その女の子とは真逆の、可愛らしさも萌え要素も、そのミジンコもカケラもないドスの利いた声が佳弥の口から飛び出す。


 ……佳弥が怒ってる。おまけにすんげぇ目で俺をにらんでる。

 ってか、俺、おまけとしてついてきたペットみたいな扱いになってるんだけど。


 なんでだよ。


「なるほど、この方があなたの『守護』なのですね」


 なにが『なるほど』なのかさっぱりわからないが、女の子の口から見知らぬ単語が飛び出した。

 その意味を佳弥に聞こうとして、視線で殺されそうだったのでやめる。


 それなんて理不尽……

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