3・1
きのうのバイトをしていたレストランからほど近い細い路地。奥に入ったせいか薄汚れてひとけもない。
夕方だから調理中の晩ごはんの匂いが漂っていて、それだけがほっとできる。それでも、下町に慣れた私ですら近寄りたくない雰囲気の場所だ。
アルフォンスに倣いら角から頭だけを出す。
「あれ」
彼が指差すのは四階建ての一般的なアパート。両隣とぴったりくっついているけど、そこだけすべての鎧戸が閉まっている。
「なんかイヤな感じ」っアルフォンスに小声で伝える。
「だろ?」
「出入り口は真ん中のあれだけ?」
「ああ。裏手は窓のみだ。そっちも全部中が見えなくなっている」
頭を引っ込めて、アルフォンスを見る。
「怪しいね」
「……どう思う」
意地悪公爵令息は不安そうだ。
「犯罪系じゃないかな。悪いヤツらのアジト的な。もしくはあまりよろしくないパーティーをしてるとか」
「なんだよそれ」
「お上品な坊ちゃんは知らないのか。お貴族様が不道徳で破廉恥なことを楽しんでいるとか、変な作用のある薬を飲んで狂乱しているとか。居酒屋の客がよく話しているよ。ま、都市伝説かもしれないけど」
「兄さんは真面目なひとだ」
アルフォンスはそう言って唇を噛んだ。言葉とは裏腹に、兄が堕落している可能性を考えて不安になっているんだろうな。
昨日の追手の様子はただごとじゃなかった。彼らに後ろ暗いことがあるのは間違いないもん。
また角から頭を出して建物を見る。
「でもさ、見張る意味があるかな。これじゃなにもわからなくない?」
「兄さんのほかに貴族が出入りしていないかとかを知りたい」
「そんなの僕はわからないよ」
「俺は多少は。成人はまだしてないけど、うちのパーティーには、学生部に入ってから参加しているから」
「だとしても気の遠くなる話だね」
なにかいい方法はないかな。
真面目に考えようとしても、漂ってくる料理の匂いに鼻をひくひくさせてしまう。今日はお腹いっぱいなのに、習性って怖いな。
――そうか! この路地にだって住人はいる。
「アルフォンス、ちょっとここで待っていて」
角を飛び出し、建物のほうに走る。でも目当ては角地にあるおとなり。玄関のノッカーを叩く。しばらくすると、中年のご婦人が扉を開けてくれた。
「すみません、アル・コランさんを呼んでください。言伝を頼まれているんです」
「ここにゃいないよ」
だよね。ごめんなさい。
「あれえ。間違ったかな。じゃあおとなりかな」
「さあね。でもとなりはやめておきな。なぁんか変なんだよ」
「え! どんなふうに?」
わくわくしている風に装う。
「いつの間にか住人がごっそり変わっていてね。今のヤツらは会っても挨拶しないし、夜中もたくさん出入りがあるし。悪い人間の溜まり場になっているんじゃないかって噂だよ」
「うわぁ」ご婦人に顔を近づけ、「通報しないんですか」と小さな声で尋ねる。
「ただの噂話だし」ご婦人も声をひそめる。「どうもお貴族様も来ているみたいなんだよ」
「ああ、じゃあ関わらないほうが」
「そういうこと。だから行っちゃダメだよ」
「はい。ありがとうございました!」
ぺこりと頭を下げる。
それから一直線にアルフォンスの元に戻った。
「お前、なにしているんだよ」
「情報収集。仮説の裏付けがとれたよ」
ご婦人から聞いたことを彼に伝える。
「やっぱり僕たちの手に余るよ。誰か味方になってくれる大人はいないの?」
「いたらついて来てもらっている」
「そりゃそうか。となると、どうするかな」
目標の建物を見る。
あの中でいったいなにをしているんだろう。
見張るだけの仕事はラクでいいけど、ちょっとだけアルフォンスが可哀想な気がするからさ。なにかひとつでも情報がほしいな。
と、路地を青年がひとりやってきた。遠目にも高そうな服を着ている。
「アルフォンス」小声で彼を呼ぶ。「あのひと、貴族っぽくない?」
アルフォンスも角から頭を出す。
「ゴダン伯爵家のパトリックだ。兄さんの大学仲間」
パトリックとやらが
「友達同士で遊んでいるのかな」
そう呟いてから、きのうアルフォンスを追っていたふたりを思い出す。アレは確実に貴族じゃないし、貴族家の使用人でもない。どう見ても下町の人間だった。
パーティーかなにかの主催者がいて、きのうの追手はその手下。アルフォンスの兄たちは客として来ていると考えるほうが自然だ。
しかも覗かれたら困るパーティー……。
「ねえ、アルフォンス。ここはズバリ、お兄さんに正面切って質問をぶつけるのが最善じゃないかな」
彼は首を横に振った。
「逃げられて話にならない」
「でもここを突き止めたことは言ってないんでしょ? 通報か話し合いかと迫ったら、逃げないんじゃない?」
「そうか」アルフォンスは視線を下げた。「もしそれで兄さんが応じたら、本気でまずい案件ってことだ」
「……僕も立ち会う?」
アルフォンスが僕を見た。
「ユベールが?」
「乗りかかった船だし。バイト代をはずんでくれるなら」
「それ――」
なにかを言いかけたアルフォンスの表情が変わった。
「兄さんだ!」
振り返ってみると、さっきとは別の青年が歩いてくるのが見えた。薄暗いからはっきりとはわからないけど、茶髪で平均よりは少し上程度の顔立ち。アルフォンスとはあまり似ていない。はっきり言って、地味だ。
祓魔師の能力も、弟が持っていて兄はなし。
私だったら心が屈折するかも。
そんなことを考えていると、アルフォンスが、
「兄さん!」と叫んで走り出た。
なんでよ!?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます