第3話 眠れる懐古

 結界牢の中の苔は、お守り屋と魔王が長いこと食したおかげで、もうずいぶんと減った。辺りは薄暗く、ボロボロになった穴のような窓から、微かに橙色の昏い光が漏れている。


「——というように。世界には人間以外にも、長い耳や鱗、角に尾や翼など、さまざまな姿かたち、体質を持った異人類と呼ばれる者たちが存在するのです。一番有名なのは花山羊はなやぎの民〝魔女〟でしょうか。といっても、現在はその多くが人間たちによる奴隷化や密猟によって絶滅しかけていますが」


 お守り屋は、魔王のいる檻から少し離れた場所で胡坐をかき、膝の上で頬杖をついて魔王の話に耳だけを傾けていた。魔王は相変わらず鉄格子のすぐそばで正座しており、真っ直ぐにお守り屋の横顔を見据えて、外の世界の話を語っている。


「ふーん。……そういえば、きみ。なんで魔王なんかになっちゃったの。そんなに物知りなら、先生とかにでもなればいいのに。やっぱり、世界征服とか目論んじゃったわけ?」

「魔王なんか、とは何ですか。本当に失礼ですね、あなたは。……そうですね。世界征服でも、しておけばよかったのかもしれません」


 お守り屋は横目で魔王を一瞥しながら、ずっと聞きたかったことを何となく尋ねてみた。魔王は一息吐くと、左手で山羊の仮面の輪郭をなぞるように触れて、お守り屋の問いに答える。


「すきに、生きました。世界各地を放浪し、気に入らない戦争国家に喧嘩吹っ掛けたり」

「ええ……いきなり怖っ」

「各国の郷土料理を食べ回って、感想日誌をつけたり」

「緩急が激しい」

「どこぞの国の王族を誑かし、宰相となって国を豊かにしては、自ら特産品の菓子を考案してみたり」

「食べ物が心底好きなのはわかった」

「大市を急襲して、人間の奴隷であった異人類たちを強奪したり」

「また物騒……」

「そして、滅びかけていた異人類を統合し、街を造ってみたり——と。このように好き勝手しながら生きてみれば、いつの間にか〝魔王〟と呼ばれるようになっていました。今や魔王とは、好き勝手生きた者の代名詞のようなものですよ。お守り屋さんに自由を還してもらった後は、世界の絶景巡りにでも行きたいですね」

「いや本当に好き勝手すぎる……でも、すごいね」


 お守り屋は首だけを傾けて、ようやく魔王に顔を向けた。何か、眩しいものを見るような——細められた瞳の茶色が、黄昏時の昏い光に混じって、美しい。


「俺にはそんなこと、到底できないよ」

「でしょうね。だからあなたは、お守り屋さんなんですよ」

「……なんか、腹立つ」


 魔王の言葉に、お守り屋は子供のように頬を膨らませてむっとする。しかしすぐに、はっとしたように息を呑んだ。


(あれ。何に腹立ててるんだろう、俺……俺は、このままでいいはずなのに。お守り屋は、俺の誇りなんだから)


「お守り屋さん」


 不意に魔王が、片手を軽く掲げて手招きをしてくる。お守り屋は何の躊躇いもなく、四つん這いになって檻の近くへと移動すると、鉄格子越しに間近で魔王と向き合った。


「なに」

「腹を立てたご褒美に、いいものを見せて差し上げます」

「はあ? 腹を立てたご褒美って……俺のこと馬鹿にしてる?」

「それに関しては全く。いつもはお守り屋さんの全てを馬鹿らしく思っているので、安心してください」

「安心するか! やっぱり馬鹿にしてんじゃん!」

「近くで喚くな。ほくろ千切りますよ——ほら、手を山羊の額に」

「ほくろへの暴力反対だってば! ああ、もう……はい」


 お守り屋は促されるままに、魔王の山羊の仮面に手を伸ばす。そして、山羊の額中央部に触れた。魔王はお守り屋の両眼を左手で覆い、瞑らせる。


「え。なに、なに。何すんの? ほくろに手を出したら泣き喚くから!」

「うるさい。黙って眼を閉じていなさい」


 お守り屋は渋々と眼を閉じる。しかし、すぐに眩い光が弾けて視界を覆った。


「うわ!? 眩し……!」

「ゆっくり瞬きを。そして、深く呼吸をなさい」


 お守り屋は微かに震えた息を吸い込み、何度か瞬きをして恐る恐るといったように眼を開けた。


「? ……っわ!?」


 思わず小さく驚嘆を上げる。目の前に広がっていたのは、広大な雄々しい峰々と、高原いっぱいに広がる鮮やかな花畑。そして大きな青空からも、ほろほろと色とりどりの花々が雨の如く降り注ぎ、風に流されては妖精のように舞い踊っている。

 お守り屋は眼を大きく見開き、口をポカンと軽く開けて辺りを見渡した。


「ここ、は……」


 背後から、姿は見えないが魔王の低い声が聴こえてくる。


「年中、祝福の風に運ばれた花雨かうが降り注ぎ、精霊の如く花弁が舞い踊る。ここはかつて魔女たちの国が栄えた地——妖精の丘と呼ばれる場所です」


 お守り屋は魔王の言葉へと無意識に頷いて、小さく声を漏らした。


「妖精の、丘……知ってる」

「そうでしょうね。——この光景は、封印されたあなたの記憶を呼び覚ましているのだから」

「これが、俺の記憶……? 封印、ってなに」

「そのままですよ。あなたの記憶は……強力な呪いで封印されているんです」

「……まさか。そんなこと、あるわけ」


 酷く困惑した様子のお守り屋の瞳が、大きく揺れる。


(あるわけない、のに——なんだ、この違和感は)


 お守り屋はその場に屈みこむと、降り積もった美しい花々を掬い取る。指の隙間から溢れ出て、落ちてゆく花の流れを目で追いながら、更に目を見開く。


(花の雨。祝福の薫風くんぷう。大山脈にいだかれた妖精の丘……俺は、知ってる。なんだろう? この気持ちは……安らぐような、苦いような、泣きたくなるような……ああ、なんで。どうして。俺は——)


 花が全て流れ落ちた両手で、お守り屋は顔を覆う。


「なつか、しい……?」


 そう呟いた瞬間にまた光が弾けて、お守り屋の視界は真っ暗に染まった。


 ◇ ◇ ◇


 いつの間にか、夜のとばりが世界に落ちきっている。窓から差し込む光は、月の青白くて柔らかい、やさしい光に変わっていた。


「ぐっ……! あァ……!」


 記憶の夢から覚めたお守り屋は、キィンと激しい頭痛に襲われて頭を両腕で抱えた。そして、痛む頭を鉄格子に擦りつけて唸りながら、その場で胎児のように丸くなって蹲る。一方魔王は、鉄格子を挟んだすぐそばで蹲っているお守り屋を正座の体勢のまま見下ろしていた。


「もう一押し。だが……負荷をかけ過ぎた。また、記憶を辿らねば」


 魔王は細い溜め息を吐き出して、月光が漏れる窓を見上げた。


「とっとと魔王に自由を還していただきたいところですが。手っ取り早い方法とは言え、やはり手間はかかりますね……お守り屋とは、まあ……厄介なモノだ」

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