第2話 名も知れぬ者共の箱
天井付近の壁面にぽっかりといくつか空いた穴のような窓から、白昼の強い光が結界牢の中を照らしている。
お守り屋はそこら中が
魔王は変わらず、檻の中の鉄格子の前で姿勢よく正座をし、お守り屋を飽きもせずに真っ直ぐ見つめている。
「おい。もうここに来て何日目です? とっとと魔王を外に出せと、何度言わせれば気が済むんですか」
いつの間にか二人の一日の始まりの合図となってしまった魔王お決まりの言葉に、お守り屋は首を横に振って溜め息を吐く。
「だーから、何度も言ってるじゃん。この結界牢に入ったからには、きみはお国の生物兵器。お国の命がないと、俺でも外には出せないよ」
「忠誠心の欠片も無いくせに、何がお国の命、ですか。ここに来た時、みっともなく涎を垂れ流し、間抜け面まで晒して眠りこけ、こちらの存在に半日も気が付かなかった堕落者でしょう、あなたは。あまりにも堕落っぷりに、魔王もドン引きです」
容赦の欠片もない魔王の毒の連撃に、お守り屋は思わずたじろぐ。
「は、はあ!? それは、きみの気配があまりにも薄すぎるから! ああああと、疲れが溜まってたんだよ! ……ていうか、きみもお国に捕まったのは〝昼寝していたら、いつの間にか〟とか言ってたじゃん! 俺と同類!」
「こんな悪趣味な結界牢を造るあなたと同類にしないでください」
魔王の「悪趣味」という言葉にお守り屋は小さく噴き出すと、魔王を指差してあからさまに馬鹿にしたような笑いを零した。
「ぷっ……いや、悪趣味なのはきみの方じゃない? その鮮やかな衣は綺麗だと俺も思うけど。なに、そのヤギ頭。こわっ……よく見れば、きみの顔も間抜け面に見えなくもな――」
しかし、お守り屋の調子に乗った安い煽りは、やはりそう長くは続かない。
ドスッ、とお守り屋の翅よりも軽い言葉は重い音で遮られた。お守り屋が首だけをぎこちなく動かして顔を傾ける。すると、お守り屋の顔の両側、しかも頬を掠りそうなぎりぎりの位置に矢の
お守り屋はさっと顔を青ざめて壁面から飛び退き、情けない悲鳴を上げた。
「ぎゃあああ!? な、何すんだよ!?」
「ごめんなさい。無性にムカついたので、つい拾ったものを……ああ、お守り屋さん。この魔王の〝間抜け面〟、もっと事細かに見たいことでしょう。さあ、近くにいらっしゃい」
「いや怖いわ! そ、その綺麗な衣は気になるけど……俺を殺して、結界牢から出るつもりなんだろ!? この凶暴魔王!」
「……はあ、まったく。魔王、心外です」
魔王はほとほと呆れたように溜め息を零すと、右腕を伸ばして遊女の衣の裾を広げて見せた。今まで見えなかった、衣の中で艶やかに舞い踊る美しい蝶が露わとなる。
お守り屋は意外そうな顔で小さく目を見開かせ、吸い寄せられるように一歩だけ踏み出して檻に近づいた。
「あ。見せてくれるの?」
「どうぞ。——この衣。好きそうですよね、あなた。そんな顔してます」
「え。うん、すき。よくわかるなあ。まあ俺の顔、この通りド美人だから……」
「その頬のほくろ、ぶっ千切りますよ。苔喰い人参頭が」
「なんでほくろ!? つーか人参頭って何!? どういう罵倒だよ……俺の可愛いほくろに手を出したら、もう魔王に苔分けてあげないからね!」
「それは困ります。苔は魔王の好物……常々あなたのほくろは引き千切ってやりたいと思っていたのですが、仕方がありませんね。ほくろは諦めます」
「何だったの!? そのほくろへの執着……怖すぎる」
お守り屋は左の頬骨辺りにあるほくろを両手で抑え、身震いする。しかし怯えながらも、もう一歩踏み出して魔王の衣を食い入るように凝視し、細く感嘆の息を零した。
「それにしても本当、綺麗な蝶柄……その衣、東洋の果てにある小国のものでしょ? 魔王とはいえ、よくそんな遥か遠方の地のモノを手に入れられたね」
「魔王はどこへだって行けますから。……お守り屋さんは、この国から出られたことは?」
「ないね。産まれた時から結界の中。お守り屋は結界の中で産まれ、結界の中で一生を生きて、結界の中で死んでゆくものだから。俺はここから出たことすらないよ」
「ほう。そのようなことは、異国ではどのように言いましたっけ? 確か……まさに〝箱入り〟」
「うーん。大事に育てられるお嬢様やお坊ちゃんみたいな〝箱入り〟とはちょっと違う気がするけど、俺の場合は」
「でしたら……あなたはまるで、文字通りの〝箱入り〟ですね。人の手に余る獣が、堅牢な箱に入れられているようなものですか」
「それはきみのことだろ」
お守り屋は半眼で小さく息を吐くと、腕を組んで魔王に首を傾げて見せる。魔王は衣を広げて見せていた右腕を降ろし、正座した膝の上に手を戻した。
「——それにしても、よく東洋の小国の衣服や言い回しなどをご存知ですね。箱入りのくせに」
「くせにって言うな! ……でも、確かに。何で俺――」
お守り屋は思いがけず口をつぐんで、黙り込む。何故か、この先口に出しかけた言葉を、誰かに聞かせてはいけないような気がした。
そして、そのまま逃げるように魔王に背を向けて檻の反対側の壁面に張られた結界魔法陣に駆け寄ると、金色の花紋様に右手で触れる。
(俺には、外に出た記憶なんてないし。遠い東洋の国のことなんて話せる相手、いないはず。……今までの、生物兵器たちから? でも、ここに入れられた生物兵器は皆、絶望して塞ぎ込む奴しかいなかった。まず、こうやって平然と話せる魔王がおかしいんだ)
お守り屋の脳裏に、檻の端っこでこちらに背を向け、絶望し項垂れるかつての生物兵器たちの姿が過る。
(いったい、どうして? 外の世界なんて、やっぱり俺は知ってるはずがない。知る必要もない。それなのに)
お守り屋の右手に力が入り、触れている結界陣に爪が立てられる。
(もっと、知りたい)
「なるほど――やはり、魔王に自由を還していただくには、お守り屋さんを上手く利用するのが一番手っ取り早そうですね」
「は?」
魔王の声に、お守り屋は結界魔法陣に触れた右手をそのままに背後を振り返る。魔王は相変わらず、すっと伸びた姿勢の正座で、黒い鉄格子越しから真っ直ぐにお守り屋を見据えていた。
「お守り屋さんが、〝外に出たい〟と強く望むようになればいいんですよ。そして、お守り屋さんが自ら外に出ていってくだされば——あとはこっちのもんです」
淡々とそう言ってのける魔王にお守り屋は眉根に皺を寄せ、首を横に振る。
「……そんなことには、ならないよ。俺はお国を裏切らない」
「は。忠誠心の欠片も無い堕落者が、何を言う」
魔王は鼻で笑うと、低い声で毒を差す。それでもお守り屋は、毅然とした態度で魔王に言い返した。
「俺はお国のために産まれて、お国のおかげで生きていられるんだ。こんな俺を役立たさせてくれるお国が在る限り、俺は絶対に裏切らないよ。そんで、きみが俺を殺しても無駄だからね! 俺が死んでも……お国が滅びない限り、生物兵器と成ったきみを守る〝お守り屋〟も滅ぶことはないんだから」
「……」
魔王は音もなく立ち上がって更に鉄格子へと近づくと、そこに顔を寄せる。お守り屋は、鉄格子の隙間からこちらを覗いてくる山羊頭の不気味な双眸が、これまでにないほど恐ろしく感じた。
「そんなことはどうでもいい。あなたは、必ず外に出たくなる——もう、決まっていることです。お守り屋さん、くそチョロそうな顔してますしね」
「チョ……!? チョロくないわ!」
ふと、お守り屋の無意識に張っていた緊張の糸が切れる音がした。
それが、いつの間にか魔王に得体の知れぬ恐れをなしていたのが、魔王によって解きほぐされたのだということがありありと解ってしまって。お守り屋はあまりにも居心地の悪さに、再び魔王に背を向け、そっぽを向く。
「はいはいはい。さあ、愉快で絶望と恐怖が満載な美しい外の世界のお話をして差し上げますよ。よく聴いて、大人しく魔王に自由を還しましょうね、くそチョロお守り屋さん」
魔王が再び正座をしてその場に座る。そして、犬でも呼び寄せるような様子で手を三回叩いて見せた。お守り屋は片手の拳を震わせながら叫ぶ。
「誰が! きみみたいな怪しさの権化魔王に誘惑されるかよ!」
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