第3話

 私は今日もペンダントに向かっていた。

 ダイニングテーブルに置かれたそれを、私はじっと睨みつける。昨夜の出来事が夢だとは思えなかったのだ。


「和子、昨日はすまなかった」


 隆成りゅうせいさんが私に声をかける。ペンダントを見つめている私を心配したらしい。

 隆成りゅうせいさんには、昨日見たことを話さなかった。話したところで頭がおかしくなったと言われるだろうし。何より私自身、ペンダントが見せた景色を信じきれなかった。

 だから今日は、私一人で確かめるつもりでいる。


「明日は仕事休みだろ。ゆっくりしてから寝るといいよ」


 隆成りゅうせいさんはいつだって優しい。昨日の優しさをふいにして、不愉快なことを言ってしまったことを、申し訳なく思う。


隆成りゅうせいさん。昨日はごめんなさい」


「いや、いいんだ。こっちも配慮が足りなかった」


 私は隆成りゅうせいさんと見つめ合う。なんだか気恥ずかしくなって、お互いにふふっと笑った。


「おやすみ」


「おやすみなさい」


 隆成りゅうせいさんは一足早く寝室へと向かう。私はペンダントに視線を戻してそれを見つめた。

 ペンダントは沈黙している。昨日はあんなに煌めいていたのに。

 昨日は何故煌めいていたのか。私は理由を考える。

 このペンダントは、異世界を覗く道具。だから、条件さえ整えば使えるはず。

 昨日は確か、健一けんいちの写真を持っていた。


 そうか。


 私は健一けんいちの写真を抱える。そして念じた。


「もう一度、健一けんいちが迷い込んだ世界を見せて。お願い」


 ペンダントが煌めく。宝石の中に影が見える。


 私の願いは、健一けんいちに会うこと。

 ペンダントは、その願いを聞き入れた。


 目の前に、おどろおどろしい景色が映し出される。

 そこは何処かの城のよう。ゲームに出てくるような、西洋風の城だ。

 健一けんいちは、昨日一緒にいた少女とともに、得体の知れない化け物に向かって突進する。昨日、洞窟で抜いた剣をかまえて。


「魔王・ダークマター! お前の野望もここまでだ!」


 健一けんいちが剣を振るい、少女がいくつもの矢を放つ。魔王と呼ばれた怪物は、その全ての攻撃を真っ黒なかぎ爪で弾き返した。健一けんいちの体が宙を舞い、床に叩きつけられる。

 私は息を飲んだ。

 健一けんいちも少女も傷だらけだった。きっと激しい戦いであったに違いない。だけど魔王には、傷一つついていなかった。


「ハッハッハ! 勇者だか何だか知らんが、我に勝とうなど千年早い!」


「くそう……ここで俺が負けたら……この国は……」


 健一けんいちは、剣を杖にして立ち上がる。脚はガクガクと震え、息が整わない。でも、健一けんいちは戦おうとしている。


「何がお前を突き動かす? お前はこの国どころか、この世界の者でもないのだろう」


 魔王が尋ねる。魔王には、健一けんいちが諦めない理由が理解できない。

 私にだって理解できない。何故、自分のことでもない、他所の世界のために戦うの。


「俺は……この世界で色んなものに出会った……」


 健一けんいちは語る。その目は虚ろで、声には覇気がない。満身創痍まんしんそういだろうに、それでも健一けんいちはこの世界を語るんだ。


「初めてこの世界に来て、右も左もわからなかった俺を、エルフの村長は助けてくれた。

 リーシャは俺の旅に快く着いてきてくれた。

 獣人族の谷では美味しい料理をご馳走してくれた。

 この国の王様は、俺達に魔法奥義の手ほどきをしてくれた。

 みんなが俺を受け入れてくれた。俺は、それに応えたいんだ……!」


 健一けんいち。あなたは、素敵な旅をしてきたのね。そして、色んな景色を見て、色んなことを学んできた。

 だけど、魔王は健一けんいちから全てを奪おうとしている。


「ああ、素敵だな。笑えるほどに。

 そんな素敵なアホらしい旅も、ここで終わりだ」


 魔王は大きく口を開く。そして、その口から巨大な火球を吐き出した。

 禍々しいほどに真っ黒な火球。目を丸くする少女を突き飛ばして、健一けんいちはそれを真正面から受けた。


 健一けんいちの体が火球に包まれる。

 健一けんいちを飲み込んだ火球は、激しく燃え盛る。

 私はそれを見ていることしかできない。


健一けんいちぃーーーー!」


 私は叫ぶ。

 健一けんいちがすぐそばにいるのに、声をかけることも、手を伸ばすこともできない。

 こんなの、残酷だ。


 私は頭を抱え、泣き叫びながらその場に屈みこんだ。


「まだ、終わっちゃいないよ」


 魔女の声だ。

 何が「終わっちゃいない」だ。今まさに、目の前で健一けんいちが焼き殺されたところを見たばかりではないか。


「死んでないよ。ほら、見てごらん」


 魔女に促され、私は恐々と顔を上げる。

 

 健一けんいちは、火球に飲まれてもなお生きていた。

 体は焼けつつあったけど、その目には諦めが灯されていたけど、でもまだ死んでいない。


「太陽はね、自らの光を星に届けているんだ」


 魔女は唐突に不思議なことを言った。意味ありげな言葉を聞き、私は訝しむ。

 魔女は私に手を差し出す。それを握ると乱暴に引っ張られ、私は立ち上がった。


「かけがえのない健一けんいち君は、君にとって、美しく煌めくせかいのようなものだろう?」


 魔女はなおも語る。

 言わんとすることを理解して、私は目を見開いた。


 健一けんいちは目を閉じようとしている。

 だめよ、健一けんいち。あなたがここで死んだら、世界はどうなるの。


 あなたは勇者なんでしょう?


健一けんいち! 起きなさい!」


 私は叫んだ。

 例え健一けんいちに聞こえなくとも。

 いや、聞かせるつもりで、大声で叫ぶ。


「諦めちゃだめ! 頑張りなさい! そんな奴やっつけて、大手を振って元の世界に戻ってくるの!」


 健一けんいちが目を開く。


「かあ、さん……?」


 そう呟いたかと思うと、健一けんいちの体を光が包んだ。

 焼けただれた肌は瞬時に治り、目には決意の光が灯る。


「そうだ。俺はここで終われない!」


 健一けんいちの声に呼応するかのように、光は火球を消し去った。魔王は、光を纏った健一けんいちの姿に目を丸くする。

 その姿は、勇者と呼ぶに相応しい凛々しさだった。


「俺は、この世界を守るんだ! 喰らえ、ホーリー彗星剣メテオソード!」


 星の輝きを纏った剣が、眩い光を発した。健一けんいちは地を蹴って走り出し、輝く剣を魔王に振り下ろす。溢れ出た星の煌めきは魔王を切り裂き、魔王の体を消し去った。

 後に残ったのは、健一けんいちと少女、そして光の残滓。


「やったのね……」


「あぁ、やったんだ……やったんだ!」


 健一けんいちは「うおー!」と声を上げて、両手を拳にして突き上げた。

 

 私の目には涙が浮かんでいた。

 健一けんいちが魔王を倒した。健一けんいちは、健一けんいちが愛する世界を救ったんだ。胸に熱い感情が込み上げ、健一けんいちと同じようにガッツポーズをした。

 

 突如、光の残滓が円形に広がった。輝く光の縁取りに、銀河を凝縮したかのような銀色の膜。

 これは……


「これ、光のゲートだよ」


 少女が言う。健一けんいちは驚いて少女を見た。


「元の世界に戻れるっていう、あの?」


「うん。村の魔導書に書いてある通りだもん」


「じゃあ、ここを通れば……」


 健一けんいちは、元の世界に帰れる。ということは、現実世界の健一けんいちは、目を覚ます……?


 健一けんいちは、ゲートを見つめる。それに向かおうとするその前に、少女に腕を回した。

 

「え、け、ケン?」


 ドギマギする少女を、健一けんいちは強く強く抱きしめる。まるで、離れがたいと言うように。


「リーシャがいたからここまで来れた。ありがとう。俺、君のこと忘れないよ」


「私も、ケンのこと忘れない」


 二人は涙を流す。健一けんいちがゲートを通れば、二人はお別れ。

 それでも健一けんいちは帰る選択をした。少女から離れて、ゲートへ向かって飛び込む。


「さよなら、元気でな!」


 そう、一言残して。

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