第2話

 麦にはいつものドライフードに、ササミ味の犬用ふりかけをかけて盛り付け。ローテーブルのそばが麦の定位置だから、そこにお皿を置いてやる。

 麦はお皿に近付いたけど、すぐに食べることはなく、お座りして私を見上げた。

 いつもそう。麦は私がご飯を食べるのを待ってるんだ。待たなくていいんだよって言っても、いつも待ってくれる。


 私は急いで、昨日の残り物を電子レンジに入れて加熱する。ちょっと焦げ付いたホワイトシチュー。味には問題ないから、今日もこれを食べることにした。

 準備が終わり、テーブルに運ぶ。私が腰を下ろして「いただきます」を言うと、麦はようやく食べ始めた。


 うん。いつ見ても、気持ちいい食べっぷり。はぐはぐっていう咀嚼音まで聞こえてくる。


 私はスプーンをシチューに沈めて、気付いた。


「あ、これ、スマラグドゥスのスプーン……」


 スプーンを持ち上げる。

 普通なら、とろみがついた白いシチューが、スプーンに掬われているはず。なのに、金色のスプーンは、汚れさえない綺麗な状態で持ち上がる。


「え?」


 もう一度スプーンを沈めて、持ち上げる。

 やっぱり、綺麗なスプーンがそこにあるだけ。

 スプーンって、スープを食べるためにあるはずなのに。とても不思議だった。


 ふと、麦を見た。

 ご飯を食べている麦から、光が溢れていた。

 私は目をぎゅっと閉じて、また開く。やっぱり麦は光っている。

 その光は綺麗な蜂蜜色。そして甘い香り。私は生唾を飲み込んだ。


 どうかしている。そう思いながら、私はスプーンで光を掬った。掬えたんだ。

 私は掬い上げたそれを口に入れ、とろりとしたそれを飲み下す。


 幸せの味。そう表現するしかない程に美味しい。

 深い甘みの中に、爽やかな酸味。口いっぱいに広がるそれは舌を撫で、喉を通り抜ける。後味はあるのにしつこくない。私はグルメリポーターさながらに、天井を仰いで目を閉じた。

 何だこれ。頭の中に幸せがいっぱい広がってくる。美味しくてたまらない。

 もう一口だけ。そう思って、私は麦を見る。


 麦は私に寄り添って丸まっていた。

 麦を包んでいた光は、なくなっていた。麦のお皿には、一口だけ残ったドッグフード。


「麦、もういらないの?」


 麦は私を見上げる。にこっと微笑んで。

 麦がご飯を残すなんて珍しい。その時の私は、麦の様子をそのくらいにしか思っていなかった。


 次の日も私は残業で、家に帰ると夜十時になっていた。麦は相変わらず、私を見て嬉しそうにお尻を振る。

 いつものように麦の分ご飯を用意して、私は買い置きをしていたレトルトカレー。冷凍していたご飯を電子レンジにかけ、カレーを湯煎で温める。

 ふと、麦の姿が目に入る。いつものように、私を待つ麦の姿。蜂蜜色の光がふわふわと立ち昇っている。


 私は、無意識にスマラグドゥスのスプーンを握っていたみたいだ。どうも、このスプーンを握っている間だけ、あの光が見えるらしい。


 チーンと、電子レンジから音が聞こえてきた。電子レンジからお皿を取り出し、ラップを解いたホカホカのご飯にカレーをかける。

 有名ホテルが監修したカレーという謳い文句だけど、美味しいんだろうか。野菜どころか肉さえ見えないサラサラのルーに、不安を抱く。

 麦の隣に座ると、麦はご飯を食べ始めた。やっぱりすごい食べっぷり。食べ始めた瞬間から、蜂蜜色の輝きが増している。


 ごくりと喉を鳴らす。

 口の中がカレー一色になってしまう前に、幸せを味わいたいと思った。光をスプーンで掬い、口に運ぶ。

 この時の味は、例えるなら優しい旨味。じんわりと舌に広がる幸せを、私は味わう。昨日の華やかな甘みとは違うけど、これもまた幸せの味だ。舌鼓を打つ。


 ふと目線を麦に向ける。

 麦はピタリと動きを止めていた。ぼんやりとした表情を浮かべて、ご飯から目を逸らしてしまう。まだまだご飯は、半分以上残っているのに。


 私は、ここでようやく気付いた。

 私、もしかして、とんでもないことをしてしまっているのではないかと。

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