金色の幸せを一匙

第1話

 今日も仕事が上手くいかず、暗い夜道をトボトボ帰る。私はあまりの情けなさにため息をついた。


 私こと竹下たけした愛莉あいりは、家電メーカーに勤めているOL。お客様専用のコールセンターで、修理受付のオペレーターをしている。対応するお客様のほとんどはいい人なんだけど、時々酷いお客様に遭遇することがある。

 今日のお客様はとにかく酷かった。

 五年以上使用して長期保証なんてとっくに切れているのに、無料で修理しろだの後継機種に交換しろだの。一時間も電話口で罵倒を浴びせられたものだから、もう疲れ果ててしまってため息しか出ない。

 こんな仕事やめてやる! なんて、毎回思うんだけど、それでも私はこの仕事にしがみついている。馬鹿みたいに。

 

 でも、家に帰れば、愛犬であるコーギーのむぎが待ってるんだ。私はむぎに癒されたい一心で、くたくたになった体を引きずり夜道を歩く。


 ふと、店の存在に気付いた。

 住宅地のど真ん中。民家にしか見えない洋風の建物は、『星降堂』と書かれた看板を入口に掲げていた。

 店の中から漏れ出る、温かな橙の光。私の足は自然と店の中に入っていく。


 どうやら、雑貨屋のようだった。

 

 海のように青い宝石が埋め込まれた鍵。

 淡い光を発する石が詰め込まれたオーブ。

 宝石が中に入った砂時計。

 他にも、不思議でキラキラした雑貨が、所狭しと並べられている。


 眩しいくらいの煌めきで、目が眩んでしまいそう。


「いらっしゃい」


 店の奥から聞こえた女性の声に、私は驚いた。アクセサリーが並べられた棚の向こう。店のカウンターに、若い女性が座っていた。

 一言で表すなら、魔女。黒いとんがり帽子に、黒い無地のワンピース。首にかけたペンダントには、星の飾りがついている。目は、赤と黒のオッドアイ。長い前髪に隠れた片目は、血を思わせるかのように真っ赤だった。


「あ、あの……」


 あまりにファンタジーな雑貨がたくさん並んでいるから、その中にいる店主が本物の魔女に見えてしまった。ちょっとだけ怖くて、おずおずと声をかけてみる。


「あぁ、君に必要なのは、アクセサリーじゃないよ」


 魔女はそう言って、カウンターを離れ私に近付いてくる。

 小柄な私とあんまり身長が変わらないはずなのに、魔女は私の目に大きく映る。私は緊張のせいで目を伏せてしまった。


「幸せ、欲しいかい?」


「幸せ?」


 そんなの、誰だってほしいんじゃないだろうか。

 いや、既に幸せな人は、幸せが欲しいなんて思うことないだろう。

 私は……果たして幸せなのだろうか。


「いいものがあるよ。こっちにおいで」


 魔女は手招きしてカウンターへと戻っていく。私は恐々ついて行った。

 魔女は、カウンターの下にしゃがみこんで、何やら探している。暫くして、一つの木箱をカウンターに置いた。

 蓋を開ける。そこには、柄に緑の宝石が散りばめられた、金のスプーンが入っていた。いかにも、ファンタジー映画で出てきそうな見た目。


「これは、大昔にドワーフが作り出した一品でね。名を、『スマラグドゥスのスプーン』と言うんだ」


「すま、らぐ?」


 あんまり難しい名前だから、私は舌を噛みそうになった。

 魔女はそれを気にもとめず、こう説明する。


「なんでも、幸せを掬うことができるんだとか」


「幸せを?」


「そう。幸せを」


 私は、魔女に促されるままスプーンを手に取る。

 眩しく輝くそのスプーンは、不思議なほどに手になじんだ。まるで、スプーン自身が使われたがっているかのように。


 幸せを掬うスプーン、か。

 欲しいけど、見るからに高そうなスプーンだし、きっと私には払えないほどに高価だろう。

 返そう。と、そう思っていると……


「お買い上げ、ありがとうございます」


 魔女の声がした。

 まだお金を払ってないし、買うと決めたわけでもない。

 そう言おうとして、顔を上げ……


 私は、自宅であるマンションのドアの前に立っていると気付く。


「え? さっきまで雑貨屋さんにいたのに……」


 夢だったのだろうか。だけど、私の手の中には『スマラグドゥスのスプーン』が握られている。

 何が何だかわからなくて、私は首を傾げながらドアを開けた。


「バウ!」


 その瞬間、私の足にじゃれついてくる茶色いモフモフ。ないに等しい短い尻尾を振って、喜びを表現する小さな存在。


むぎ、ただいまー!」


 私は玄関にしゃがみ、むぎをぎゅっと抱きしめた。

 あったかくて、もふもふで、やわらかいむぎ。コーギー特有の笑顔は、私を癒してくれる。


「遅くなってごめんね。ご飯にしよっか」


「バウバウ!」


 ご飯という言葉を聞くと、むぎは一層喜んで飛び跳ねるんだ。私が家に入ると、足にまとわりつくようにして、むぎも家の奥へと進む。

 1LKの狭い家。それが私とむぎの家。

 私は先にむぎのご飯を準備してから、自分の分を準備することにした。

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