7.決着

昼間に、歩いた海岸道路。

今、平沢先輩の車で水車公園へ向かって走っている。


平沢先輩は、とにかく安全運転だ。

初心者マークは卒業しているが、慎重な運転を継続して、守っているようだ。

また、平沢先輩の車を追い越して行く。


道の駅が見えて来た。

また、猛スピードで車が追い越して行く。


対向車が、ハイビームで接近し、あっという間に、後方へ飛び去る。

しかし、平沢先輩は、落ち着いている。


後方をしっかり確認して、ゆっくりと左折した。

進入路に入ると、更に、ゆっくり進んだ。


進入路を挟んで、西が水車公園の駐車場。

東側にある道の駅の駐車場へ入った。


誰か居る。

水車公園側、駐車場の奥の植込み。


人影が見える。

人影が走った。


ベンチだ。

ベンチに向かっている。

奥のベンチに、誰か居る。


駐車場の街灯に照らされて、人影が走る。

水車小屋の方へ向かっている。


誰か、ベンチに腰掛けている。

北村さんだろうか。


人影は、何か握っている。ナイフだ。

ナイフが見える。


「危ない」

ベンチの人は、気付いていない。

ベンチに掛けたままだ。


平沢先輩の車が停止。

千景は、待ち切れず、ドアを開け、外へ出た。


「あぶない!」

平沢先輩が千景を見て叫ぶ。


千景は、ベンチへ走った。


「待ちなさい!」

平沢先輩の制止を振り切って走る。


車が一台、進入口から入って来た。

車のヘッドライトが、千景に当たって外れた。

水車公園の駐車場へ車が入って行った。


駐車場から「チカ」と男の声がした。

振り向く間は無い。

千景はベンチへ駆ける。


千景は走った。

千景と人影の競争だ。


海岸道路から、車のエンジン音が聞こえる。

大きな排気音が近付く。


人影が、ベンチの前に回る。

「危ない!」

千景は、ベンチに追い付いた。


海岸道路から排気音が近付く。

すぐ側で鳴り響く。

一瞬で遠ざかる。


人影が、ナイフを両手に、握り直した。

千景は、ベンチの人に飛び付いた。

一瞬、ベンチの人の顔が見えた。

大垣さん!


研修合宿所の、集会に来ていた大垣さんだ。

大垣さんが驚いている。


「長田!」

大垣さんが叫んだ。

人影は、長田なのか。


ナイフが、大垣さん目掛けて一閃。

千景は、大垣さんの腕を掴んで引き寄せた。

大垣さんが、千景の背に倒れ掛る。


「チカ。止めろ」

弘君だ。


刹那。

目の前をナイフが奔る。

胸に当たった。

強い衝撃。


男だ。

人影は男だ。

北村さんじゃない。

こいつが長田か。


ナイフが刺さった。

千景は、そのまま倒れた。


長田が慌てている。

駐車場の方へ走る。

千景は、倒れたまま、地面から見上げた。


また、駐車場から、誰かが走る。

今度は、道の駅側の駐車場からだ。

長田を追って、誰か走っている。


大垣さんが、立ち上がった。

「純奈!」


大垣さんが叫ぶ。

長田を追っているのは、北村さんなのか。


長田は、一台の、車のドアを開けた。

北村さんが、長田に追い付いた。


北村さんは、何か手に握っている。

振り上げ、長田を目指して振り下ろした。

刃物か。


長田は、身を躱した。

開いたドアから車に乗った。

大きなエンジン音。

長田の乗った車だ。


長田の車が急発進。

進入路へ向かっている。

逃げるつもりだ。


北村さんが車を追って、進入口へ先回り。

大垣さんが、北村さんを追い掛けた。


長田の車が、進入口へ猛スピードで向かう。

北村さんが、車の前に立つ。

車は減速しない。


「ユキ!」

誰か叫んだ。


豊田さんだ。

どこから現れたのか。

豊田さんが、二人の後を追い掛ける。


どういう事なのか、分からない。

混乱した。


平沢先輩が、千景の傍らに駆け寄って来た。


海岸道路に、また、大きな排気音。

車の暴走音が通過する。


誰か、千景と同じように、頬を地面に擦り付けて、千景を見た。

弘君だ。


「おい。千景。しっかりせえ!おい。チカ」

弘君が、必死で千景を呼び続ける。


平沢先輩には、言葉が無かった。

車の大きな排気音が近付く。


うっ。

千景は、起き上がった。


「起きるな。横になっとけ!」

弘君が、必死で怒鳴る。

ナイフが胸に突き刺さっている。


軋む。ブレーキ音。タイヤが軋む。響く。

大きな擦過音。


皆、一斉にブレーキ音の方を見た。


あっ。

「サト!」

平沢先輩が叫んだ。


危ない!

車がスリップして向かって来る。


「山岡さん」

千景は、山岡さんを見た。

山岡さんが、千景を見ている。


大きな衝突音。

長田の車だ。

ガードレールに衝突。


山岡さんが、北村さんを突き飛ばした。

北村さんが、歩道へ倒れ込んだ。


もう一台、猛スピードで車が突っ込む。

山岡さんが、進入口の真ん中に立っている。

ぶつかる!


急ハンドル。軋むタイヤ音。

衝突した。

事故だ。


「ジュンっ!」

大垣さんが叫んだ。


豊田さんと大垣さんが、呆然と立っている。


長田の車がガードレールに衝突している。

その車に、もう一台、車が衝突している。

公園側のガードレールが、大きく外側へ折れ曲がっている。


千景はナイフを胸から抜いた。

「抜いたらイカン」

弘君が叫ぶ。


千景は、衝突した車を見ている。

ボンネットが跳ね上がり、フロントが大きく潰れている。


「純奈!」

大垣さんが叫んだ。


「ジュンナあ!」

豊田さんも叫んでいる。

二人は進入口へ走った。


千景の握ったナイフに、血は、付いていない。

「どうして」

弘君の、不思議そうな顔だ。


千景は、黒いジャンパーの、内ポケットから単行本を取り出した。

一番お気に入りの、作家の短編集だ。


B六判の小さな本だが、ちゃんとハードカバーの表紙が付いている。

自宅から、石鎚山市へ出発する直前、勉強部屋から持ち出した。


ジャンパーの内ポケットへ入れていた。

そのまま、学寮の、部屋のロッカーへ。

ハンガーポールに掛けていた。


裏表紙の、真ん中辺りに、楔形の穴が開いている。

ページを捲ってみた。


表表紙の内側に、ナイフの当たった跡があった。

危なかった。

弘君に、言葉は無かった。


だが、落ち着いている場合ではない。

弘君が慌てて、道路へ走った。

千景も事故現場へ向かった。


二台の車を見た。

豊田さんが、長田の車に衝突した車の運転席を見た。

エアバックが膨らんでいる。

「弘川だ。生きてる。弘川は生きてる」


平沢先輩が、ガードレールに衝突した、長田の車の運転席を確認した。

「あっ!この人」

平沢先輩が大声を上げた。


「やっぱし長田やった」

大垣さんが、男を見て云った。


「あいつや。あいつが居た。あいつ車の前に立っとった」

長田は、怯えていた。

決して、事故を起こした事に対する衝撃ではない。


長田と弘川は、生きているようだ。

弘君が、弘川と長田を支えて、車から降ろした。

二人を公園の木の幹へ誘導した。


水車公園側の歩道に、北村さんが座り込んでいる。


豊田さんと、大垣さんが、北村さんを支えている。

北村さんが、泣いている。

泣いて、二人に謝っている。


平沢先輩と千景は、三人に近寄った。

豊田さんと大垣さんの、目の前で起こった事故だ。


これだけの事故だ。

千景は、豊田さんに、もう一人は、どこへ跳ね飛ばされたのか尋ねた。


豊田さんが、大垣さんを見た。

大垣さんも見ていない。


弘君が警察に通報している。

平沢先輩も電話をしている。


水車公園だった。

最初っから、水車公園だったのだ。

皆、岩屋公園へ誘導されたのだ。


パトカーのサイレンが聞こえる。

救急車が到着した。

事故を起こした長田と弘川を救急車に運んでいる。


「サトって、山岡さん、知ってるんですか?」

千景は、平沢先輩に尋ねた。

「山岡聡子。一年生の時、すぐに仲良くなった人よ」

えっ?


「サト。山岡聡子」

千景は、混乱した。


平沢先輩も、山岡さんが、北村さんを押し退けたのを見たと云う。


「山岡聡子さん。眉山市出身の?」

千景は、平沢先輩に確認した。


「知ってるの?」

平沢先輩が千景に尋ねた。

千景は、頷いた。


「そう。居る筈、無いのにね。もう、六年になるのね」

平沢先輩が云った。

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