6.夜食

「分かったわよ」

昨日、清明寮の男子寮生が、岩屋公園へ来ていた。


四限目の授業を終えて、寮に戻った時、井上先輩は、外出していた。


井上先輩は、漠然とした目的で、今日も岩屋公園へ出掛けた。

漠然とした目的とは、岩屋公園に、誰が来ているのか、確認する事だ。


申し訳ないけど、千景の提案だ。

携帯で、周辺の写真を撮る事になっている。


午後五時。

千景は、シャワーを浴びた。

久しく浴槽に浸かっていない。

シャワーを終えると、すぐに、学寮食堂へ向かった。


正本先輩と夕食が、一緒になった。

寮生の名前が、分かったと教えてくれた。


小森良和。二年生。古条市、古条西中学校出身。

昨年は、自宅から学校へ通っていた。

どうしてなのか、分からないが、今年から入寮した。


殺された森本薫子さんと、同じ中学校出身。

学年も同じ。

親しかった可能性が高い。


「そこまでは、知らなかったわ」

正本先輩が云った。

知らなかった?

誰に聞いたんだろう。


「もう一度、確認してください」

千景は、頼んだ。


午後七時を過ぎた。

井上先輩が、岩屋公園から帰寮する筈だ。

しかし、まだ戻らない。


「もしもし」

正本先輩に電話だ。

井上先輩からだ。

正本先輩が、電話のスピーカーをオンにした。


井上先輩は、今、古条駅に居る。

今から、石鎚山行の電車で、寮に戻るという連絡だった。

正本先輩は、井上先輩に、寮生の名前を伝えた。


午後八時過ぎ、井上先輩が戻って来た。

井上先輩もパンツスーツ姿だった。


もしかすると、寮生案内用の腕章を持っているのかもしれない。

井上先輩は、共用部清掃に間に合った。


点呼の後、二階の補食室へ集まった。

山岡さんもいた。


井上先輩が帰寮した時、夕食の時間は過ぎていた。

井上先輩は、夕食を食べていない。


正本先輩が、カップラーメンを四個、レジ袋に入れて持参した。


千景は、カップラーメンを遠慮した。

山岡さんのラーメンが、足りないと思ったからだ。


律子は、さっさと、カップラーメンの準備を始めた。


井上先輩が、岩屋公園で、撮った写真をメッセージに添付して、三人に送った。


井上先輩が、寮生の跡を追った経緯を説明した。


あの寮生、つまり、小森君が、岩屋公園から移動したので、井上先輩も公園を出て、バス停へ向かった。


ところが、高専前で、バスを降りなかった。

井上先輩もバスを降りずに、跡をつけて行く事にした。


石鎚山駅から電車に乗った。

古条駅で降りた。

十分程、跡をつけると、どこかの家に入って行った。

自宅かと思ったが、五分も経たないで、すぐに出て来た。


女性が、見送りに出て来て、丁寧にお辞儀をした。

だから、母親ではない。

自宅ではなかった。


井上先輩の方へ向かって、歩いて来たので、慌てて引き返した。

そのまま、後ろを気にしながら、駅へ向かって歩いた。


古条駅に着いた。

これ以上、別の場所へ回ると、共用部清掃に戻れなくなる。


電車が石鎚山駅に着いた。

高専方面のバス停に、小森君が居た。

同じ高専前のバス停で降りた。

小森君は、清明寮へ戻って行った。


「でも、誰を待っているんでしょうね」

律子が云った。


「そう。でも、周辺をきょろきょろ見てるから、誰か、探しているんじゃないですか」

千景は、云った。


「チカは、誰を探してると思う?」

律子が云った。


「だから、誰かよ。友達とか」

千景は、そう云った。


本当は、犯人を探しているのだろうと思っている。

皆、黙っているけど、そう思っているのだろう。


「さあ。友達を待っているようには、見えないし」

律子は、見当が付かないようだ。


「彼女?」

千景が答えた。

だったら、電話で話しが出来る。と、皆から否定された。


「案外、私達と同じように、誰か来るか。と思って、待ってるのかもしれないわ」

正本先輩が、犯人と表現せずに云った。


「今日は、どうやって、記者軍団を突破したんですか」

律子が、井上先輩に尋ねた。


井上先輩は、正本先輩に倣って、記者に紛れて脱出したそうだ。

井上先輩は、カップラーメンを食べ終わっていた。


「これ。食べる?」

正本先輩が、もう一個、井上先輩に、カップラーメンを勧めた。

井上先輩が、礼を云って、カップのセロハンを破った。

もう一杯食べるのか。

千景は、黒のパンツスーツ姿を思い出した。


「正本先輩。あの黒のスーツ。似合ってましたね」

千景が云った。お世辞ではない。


「ああ。就職活動で準備してたんだけど」

専攻科へ進む事にしたそうだ。


「難しいけど、お互いに頑張ろう。って」

正本先輩が云った。


成程。

「お互いに頑張ろう。ですか。彼氏さん。素敵ですね」

千景は、さり気なく云った。


「ちょっと待って。彼氏じゃ」

正本先輩が慌てた。


「分かりました。彼氏じゃないんですね」

千景は、澄まし顔で云った。


「小森さんの事。その彼氏さん。じゃない人から聞いたんですね」

千景は、追い討ちを掛けた。

日曜日に、揶揄われたお返しだ。


着信音。

正本先輩の携帯電話だ。

「もしもし」

正本先輩が電話に出た。


「レイコさん。戸田です。小森く…」

携帯電話のスピーカーがオンになっていた。

正本先輩が慌ててスピーカーをオフにした。


「はい」

正本先輩が電話を聞いている。


「はい」と「ええ」しか云わない。

「えっ。そうなの」と云って驚く。

「ありがとう。それじゃ、また」

電話を切った。


「小森君は、森本さんと、親しかったそうよ」

正本先輩が皆に伝えた。


麗子さん。新入生が、口々に呟く。

井上先輩は、麺を啜った。


「小森君と同じ清明寮に、須崎君という友達が」

正本先輩が説明を続ける。


戸田さんって、彼氏じゃない人かな。

井上先輩が、スープを啜る。


「他に、清音寮に入谷君がいて」

小森君、須崎君、入谷君の三人は、中学校も同じだ。


彼氏じゃない人が、麗子さんとは、呼ばないよね。

新入生が、顔を見合わせて頷く。

井上先輩は、横でカップラーメンを食べている。


他に、鈴音寮に豊田さんと、北村さんが、入寮している。


「森本さんが、行方不明になった時、捜索隊に加わったのは、誰ですか」

千景は尋ねた。少し気になっていた。


「北村さんよ。どうしたの?」

正本先輩が答えた。


「豊田さん?は、行かなかったんですか」

千景は、更に尋ねた。


「豊田さんは、インフルエンザで帰省してたの」

豊田さんは、寮日に体調を崩し、病院を受診して、インフルエンザと診断された。

先週一週間、自宅に帰省していた。


今週、月曜日に、帰寮予定だった。

森本さんの事件で、北村さん同様、森本さんの両親に付き添っている。

正本先輩が説明した。


現在も、鈴音寮の二人は、自宅へ帰省している。

授業も欠席している。


かなりショックが、大きかったようだ。

正本先輩が、悲痛な面持ちで云った。


「そして、明日、森本さんが、自宅へ帰るそうよ」

正本先輩が云った。


「うっ」

井上先輩が、啜っていたスープを喉に詰まらせた。


新入生は、神妙な面持ちで、背筋を伸した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る