二章

開寮日の午後、関節が怠く、身体に悪寒がした。

体温を測ると、三十八度二分だ。


これは不味いかもしれない。

新型コロナに感染すると、授業には、二週間くらい、出席出来なくなる。

保健室へ行くと、すぐ、病院へ連れて行かれた。

新型コロナと、インフルエンザの両方の検査をした。


結果は、インフルエンザだった。

少し安心した。


病院で、治療薬を処方してもらった。

感染症に罹患すると、回復するまで、寮を一時、退去しなければならない。


暫くすると、病院まで、お母さんが迎えに来た。

お母さんは、午前十時から午後三時まで、スーパーでレジ打担任のパート勤務をしている。


学校から、母親へ連絡が入っていた。

お母さんは、パートを休んでいた。

すくに病院へ駆け付けた。


そのまま、薬を受け取り、お母さんの車で、帰省する事になった。

でも、良かった。

寮へ荷物を搬入した後だったから。


処方された薬を服用して暫く眠った。

目が覚めると、随分と身体が楽になった。

もう、すっかり回復したと思った。


二階から下りて、階段下から居間を覗いた。

夕食が出来ている。


「おお、大丈夫か」

お父さんが、会社から帰っていた。

オムライスを肴に、酒を飲んでいる。

酒の肴がオムライスか。

お父さんは、お酒さえ飲めれば、満足しているようだ。


弟は、まだ帰っていない、

部活が忙しいのだろう。

弟は、小学校まで、野球をしていた。

中学校からサッカー部に入部している。

プロ野球選手の夢は、諦めたようだ。


「食べる?」

お母さんが準備をしてくれた。


「うん。部屋で食べる」

家族に、インフルエンザを感染させる訳にはいかない。

お母さんが、部屋の前まで、夕食を運んでくれた。


食後に体温を測ると、まだ三十七度三分あった。


携帯で、グループメッセージを送信した。

インフルエンザに感染した事を伝えた。

まだ、体温は下がっていないので、今週中は、授業を欠席する。と送信した。


薬を飲んで、横になった。

随分、楽になったと感じたのだが、まだ平熱になっていない。


しかし、翌日には、平熱になっていた。

メッセージグループの皆から「ガンバレ」と返信が届いていた。


これで、火曜日には、授業に出席出来る。

春休みの、ほんの少しの延長だった。


暫く寝込んでいたので、散歩に出掛けた。

駅前通りへ出て、海岸通りまで歩いた。

海岸通りを真っ直ぐ、水車公園へ向かって歩いた。


水車公園の桜は、まだ、残っていた。

水車小屋の前のベンチに腰掛けて、桜を見ていた。


「豊田さん」

聞き覚えのある声で、呼び掛けられた。


「あっ。小森君」

メッセージグループの小森君だ。


「大丈夫なんか?」

小森君が、尋ねた。


「もう、ずっと平熱になってる」

美沙は答えた。


「四日間も寝てたから、歩いて来たんや。小森君は、どぉしたん?」

美沙は、尋ねた。


「ええっと。豊田さん。西峰裕太。覚えてるやろ?」

少し考えて、小森君が云った。


忘れる訳がない。

昨年の三月。

石鎚山高専に合格した八人は、ファミレスに食事へ出掛けた。


後ろの席に店員さんが、料理をテーブルに置こうとしていた。

その時、薫子が、席から立ち上がった。

薫子が店員さんに接触した。

店員さんがトレーを落とした。

後ろの、通路側の男の上着と床に、シチューが飛び散った。


「こら。長田」と男が怒鳴った。

奥の席の男を睨んでいた。


「ああ。申し訳ありません」と店員さん。

薫子も、店員さんと一緒に謝った。


薫子の後ろの席は、二十代半ばの男三人だった。


どうやら、奥側の男は、店員さんが運んだ料理を受け取ろうと立ち上がった。

アクリル板の間仕切りが、邪魔だった。


その時、奥側の男は、トレーをしっかり掴んでいなかったようだ。

薫子が立ち上がった拍子に、店員さんに当たってしまったようだ。


気付くと、小森君が、清掃用具を借りて来た。

怒鳴った男に、新しいおしぼりを手渡した。


「おい。須崎。これ」

そして、小森君が、須崎君に雑巾を渡した。

一緒に、床の汚れを落とすように促した。


入谷君に布巾を渡して、テーブルの汚れを拭き取るように云った。


小森君と須崎君が、通路側に飛び散ったシチューを拭き取っている。

茜も床の掃除に加わった。

すると、女子も加わり、皆で清掃を始めた。


「こちらで掃除しますから」

と、店員さんが小森君に云った。

すくに、店員さんが掃除を始めた。


「すくに、新しいものをお持ちいたします」

店員さんが、新しく食事を用意すると云って、カウンターに戻った。


「あぁあ。シミになったやないか」

男が怒っている。

ジャンパーに、茶色のビーフシチューが斑に付いている。


「ええやん。西峰。流行りの柄になったやん」

向いの席の男が、冗談を云った。


「ごめんなさい。クリーニング代、お支払いします」

薫子が申し出た。


「いえ。こちらで負担いたしますから」

店舗の責任者らしい人が、そう云った。


その場は、それで終わっていた。


しかし、どうやって調べたのか、西峰という男が、薫子に、付きまとうようになった。


事件後、警察から、思い当たるトラブルが無かったか。と尋ねられた。

皆、ファミレスでの一件を話していた。


警察は、当初、西峰が事件に関与していると考えていた。


西峰は、三年前に大阪の私立大学を卒業した。

新型コロナ感染症の影響で、決まっていた旅行代理店の就職がキャンセルになった。


一年間、大阪で、就職活動をしながら、宅配のアルバイトをしついた。

そして、昨年、建設会社の就職が決まった。


茜が、殺害された当日、大阪へ戻っていた。


「あの西峰が、帰って来てるんや」

小森君が、苦々しく云った。


何でも、会社が新型コロナの影響で、自宅待機になった。

それで、退職したらしい。

地元に帰って来て、また、車で暴走しているらしい。


「長田さんが、言ってた」

長田さんは、ファミレスで、西峰と一緒に居た男だ。


小森君は、長田さんと会っているのか。

どうやら、小森君は、西峰が茜を殺害した犯人だと思っているらしい。


小森君は、水車公園の前の、海岸通りを見ている。

いや、見張っているのかもしれない。


月曜日、午前中にインフルエンザ罹患届の手続きを済ませた。


メッセージグループに、「明日から復帰します」と送信していた。

しかし、誰からも返信が無い。


午前十時。

明日からの授業に備えて、鈴音寮に戻った。

まだ、授業中なので、玄関は、施錠している。

カードキーで入館した。

普段も静かなのだが、授業で寮生がいなければ、もっと静かだ。


明日の授業の準備を済ませると、予習ノートの作成を始めた。


それにしても変だ。

グループメッセージのメンバーの誰からも、何の反応もない。

既読にすらなっていない。


「あっ。もう大丈夫なん?」

稲田先輩が、ドアのまえで立っている。


稲田先輩は、四階の隣の部屋だ。

同じ古条西中学校の先輩で、学科も同じで、五年生だ。

五年生からは、一般教養科目もあるが、学科専門分野の講義が多い。

ある程度、講義の調整が出来る。

美沙がドアを開けると、部屋へ入ってきた。


「でも、心配やなあ。森本さん」

稲田先輩が云った。


「えっ?どういう事ですか?」

美沙は、不安になった。


「えっ。知らないの」

今度は。稲田先輩が驚いた。


「薫子に何か、あったんですか」

美沙は、焦った。

何かあったから、何も連絡が無いのだ。


「森本さんは、行方不明なの」

稲田先輩が美沙に、薫子の行方不明になった経緯を説明した。


「何も無い。とは思うんだけど」

稲田先輩が美沙を慰めた。


「それで、純奈。北村さんは?」

美沙は、純奈が心配だった。

稲田先輩は、純奈の昨夜の森本さん捜索の一件を伝えた。


「随分とショックを受けてたわ」

稲田先輩が慰めながら、部屋まで付き添った。

美沙にしても、不安でたまらない。


「大丈夫よ。ちょっと、旅に出てたのよ。って帰って来るわよ」

稲田先輩が、美沙を慰める。


「もう、お昼だから、一緒に食堂行きましょ」

稲田先輩が、美沙を誘う。


気付くと、何だか、支援事務室が騒がしい。

職員さんが、慌ただしく事務室から走り出て行った。

管理棟へ走り込んだ。

事務室を覗くと、仲良くしている職員さんが、電話をしている。


「何か、あったな」

稲田先輩が呟いた。

仲良しの職員さんの電話が終わった。


「何か、ありましたか?」

稲田先輩が、職員さんに尋ねた。


「森本さんが、見付かったのよ」

職員さんが、悲痛な面持ちで云った。


これは、とても、良い知らせとは、思えなかった。

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