6.誘導

弘君に、判明している範囲で、ナリスマシ事件の詳細をメッセージ送信した。


律子が、正本先輩から、教えてもらった内容を送った。

千景が、井上先輩から、聞いた内容と同じだ。

学校の対応が分かった。


後は、ナリスマシの方法について、律子と話し合った事を伝えた。


新入生と在校生の場合について、可能性もメッセージにした。

ただ、やはり目的が分からない。

長文のメッセージを送ると、朝、四時になっていた。


土曜、日曜日と祝日は、朝の点呼がない。

目が覚めたのは、午前十時だった。

初めて、学寮食堂での朝食を食べ損ねた。

土曜、日曜日に欠食届の提出は必要ない。


律子が、千景の部屋へ訪ねて来た。

両親が近くまで迎えに来るそうだ。

そして、律子が、今日、帰省する。

毎週、帰省したいと云っている。

食事は、学寮給食があるから、炊事はしなくて済む。

しかし、掃除、洗濯が面倒だと云う。


近隣の町から入寮している学生も、殆どが帰省するそうだ。

しかも、近隣から入寮している学生は、金曜日の授業終了後、帰省するそうだ。


そんなに、自宅が良いのだったら、自宅から通学すれば良いのに。

何で、入寮しているのか、千景には、理解出来ない。


外泊する場合は、外泊届出書を提出する事になっている。

共用部清掃当番の人は、誰かと交替する必要がある。


長期休日期間は、部屋に荷物を置いておけない。

部屋に運び込んだ荷物を全て運び出す事になる。

荷造りして自宅まで発送するか、自宅から車で寮まで来て、持ち帰るしかない。

だから、夏休み、冬休み、春休みには、帰省するしかない。


もし、長期休日期間も、寮で居られるのなら、千景は寮で過ごしたい。


何故なら、弘君の既読があったのは、朝八時過ぎだった。

その後、すぐに。

「起きとるか?」と弘君。

「大丈夫なん?」と景子さん。

延々と続く。


自宅で、目の前に居ると、景子さんと弘君が、際限無く、構ってくれと絡んで来るからだ。


昼食を摂りに食堂へ向う途中、正本先輩と一緒になった。

「おはようございます」

千景は、挨拶してから、「こんにちは」と云い直した。


「こんにちは」

正本先輩が、笑顔で挨拶を返した。


「正本先輩。平沢先輩から、父の事、お聞きになりましたか」

千景は心配だった。


「ええ。聞きました。何でも、お世話になったと言ってました」

正本先輩が、怪しい笑顔だ。


「あれは、嘘ですから。いえ、誇張していますから。信じないでください」

千景は、一気に云った。

正本先輩は、微笑むばかりだ。


千景は、正本先輩と一緒に昼食を摂った。

その後、コミュニケーションスペースで話しをした。


正本先輩が、千景に帰省しないのか、と尋ねた。

帰省しない。と答えて、理由を云った。

正本先輩は、マスクの下で、大きく声を上げて笑った。


「正本先輩は、帰省しないのですか」

千景が尋ねた。


「予南市だから」

予南市は、県外の栗林市よりも遠い。

しかし、車で迎えに来てもらえれば、帰省出来る。

ただ、帰省してしまえば、寮の清掃をする人が少なくなる。

だから、残るようにしているそうだ。


「今夜、清掃が終わったら、相談に乗って」

正本先輩が、千景に頼んだ。


千景は、「はい」と答えた。

「はい」と返事をしたものの、相談とは何だろう。


午後九時。夜の点呼。


正本先輩の部屋は二階。

待ち合わせ場所、二階のコミュニケーションスペースへ向かった。


「こっち」

正本先輩が居た。


もう一人、後姿の人が振り返った。

井上先輩だ。


「こんばんは」

千景は、二人の先輩に挨拶した。

しかし、緊張は、しなかった。


先輩二人は、千景に挨拶を返して云った。

「早速なんだけど」

相談とは、難しい内容だった。


ナリスマシ事件の後、寮生に妙な噂がある。

学校は、ナリスマシ事件を徹底的に調査する。

と宣言しているのだが、一向に埒が明かない。


「まさか、私に調査依頼」

千景は、即座に断った。


「勘違いしないで。噂の方よ。ウワサ」

正本先輩が否定して、井上先輩が説明した。

相談とは、噂の件だった。

千景の部屋の隣、一番奥の空き部屋の事だ。


寮では、宿直の先生が、午後九時と午前七時三十分に、全階を巡回する。


入学式の夜、宿直当番の鳥井先生が、午後九時に、三階を巡回した。

一番奥の部屋をドアの窓から覗いた。

異常は無かった。


翌日、午前七時三十分。宿直当番の鳥井先生が三階を巡回した。

一番奥のロールカーテンが閉まっていた。


空き部屋のロールカーテンは、開けておく事に決まっている。

ドアの窓から、中を見渡せるようにしているのだ。


鳥井先生は、何かの拍子に、カーテンが閉まったのだろうと思った。

そんな訳、ないのだが。


一階の支援事務室から、鍵を持ち出し、三階の奥の部屋へ戻った。

鍵を開けて、カーテンを開けた。

念のため、北側の窓の鍵を確認した。

異常は、なかった。


部屋を出て、鍵を締めている時、寮生と会った。

「何かあったのですか」寮生が、鳥井先生に尋ねた。


「何でもない。カーテンが閉まっていただけだ」と、鳥井先生が答えた。

寮生は、午前七時の起床から登校まで、忙しい時間だ。


その日、寮生の一部に噂が広まった。


空き部屋のカーテンが、自然に閉まる。

ロールカーテンだから、何かの拍子に開く事があるかもしれない。

しかし、何かの拍子に、閉まる事はない。

三階の一番奥の部屋で、異常現象が起こっている。

という噂だ。

千景は、隣の部屋なのに、噂を知らなかった。


しかし、千景に何を相談するというのだろうか。

尋ねると、答えは単純だった。

どうにかして、噂が広まらないようにしたい。

なにか手立がないか。


「素直に、噂を立てないように。と呼び掛ける」

千景は答えた。


「秋山さんみたいに、噂を聞いていない学生もいるのに?」

正本先輩が云った。


わざわざ、噂がある、と伝える事になる。

もしかすると、噂を広める結果になる可能性がある。


「事実を伝えて、噂を信じないように。と呼び掛ける」

千景は答える。


「誰が、空き部屋のロールカーテンを閉めたのか。犯人探しになるわ」

井上先輩が云った。


実際、千景の部屋のロールカーテンも、いきなり、開く事はないが、何かの拍子に開く事はある。

しかし、コード手で引き下げない限り、閉まる事はない。


つまり、誰かが、鍵の掛った隣の部屋へ入って、ロールカーテンを引き下げた事になる。

もっと大事件だ。


「空き部屋があるから、問題が起こるんですよね」

千景は、云った。


正本先輩と井上先輩が頷いた。


「いっその事、誰かに入寮してもらえれば、」千景は提案した。


「その通り。誰か、入寮したい友達。居ない?」

井上先輩が尋ねた。


無茶を云う。

入寮して五日だ。

同郷の友達こそ出来たが、同じ

クラスの他の学生と話しをした事もない。


寮でさえ、律子以外の一年生と、喋った事がない。

寮生とも、挨拶するくらいだ。

そんな新入生の千景に、何を期待しているのか。

揶揄っているのか。


「誰か知らない?」

正本先輩も、祈るように見詰めている。


「高専に、誰か、知ってる人?」

井上先輩が尋ねた。


「でも、本当に、平沢先輩しか知りません」

千景は、困った。


「そうね。平沢先輩がいたわね」

井上先輩が云った。


「そうか。平沢先輩ね。でも私は、とても頼めないわ」

正本先輩が云った。


「私も恐れ多くて無理だわ」

井上先輩が困った顔をしている。


そして、正本先輩と井上先輩が、千景の顔を見詰めている。


「えっ」

これは、千景が、平沢先輩に事情を伝えて、入寮を説得しろ。

という意味か。


尋ねるのが怖くて、正本、井上両先輩を交互に見ていた。


「秋山さん。お願いします」

先輩二人が、丁寧にお辞儀をしている。


空き部屋を無くす。という答えに誘導された。

更に、千景から平沢先輩へ、お願いするように、仕向けられた。

千景は、どうやら、嵌められたようだ。

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