4.同郷
午後九時。門限、点呼。
やっと落ち着く。
もうすぐ、小倉さんとの約束の時間だ。
午前七時、起床から始まって、午前八時三十分、登校終了まで、途方もなく、慌ただしい。
整頓、清掃、検温、洗面、ラジオ体操と十分刻みだ。
朝食を済ませて、登校準備が終ると、ほっとする間もなく登校。
今日、午前中は、学科教員の紹介と授業に関する注意事項だけだった。
昼食は、寮の食堂で給食。
午後からは、交通安全の講演があった。
これで、今日は終了。
寮は、午後二時に、玄関が解錠される。
部屋へ戻ると、奥の部屋の前で、作業服のおじさんが、何かしている。
おじさんの隣に、四年か五年生の先輩が立っている。
「ただいま。帰りました」
千景は、先輩に挨拶した。
業者さんが、ドアノブの取り替え作業をしているのだと分かった。
「お帰りなさい。もう作業、終るからね」
先輩が、千景に笑顔で、挨拶を返した。
自室に入って、英単語を確認している。
明日、春休みの課題のテストだ。
数学は、自信がある。
課題の英単語は、暗記したが、もう一度、書いて確認している。
夕食までは、ゆっくりできる。
午後五時から午後七時三十分までが夕食の時間。
同じく、午後五時から午後八時三十分までが入浴の時間。
千景は、午後五時半に入浴する事にした。
浴槽はあるが、シャワーだけで済ませる。
千景は、午後六時過ぎ、夕食を摂ろうと食堂へ向かった。
食堂には、十数人程いた。
一つのテーブルに二人ずつ、並んで、あるいは、背中合わせに、給食を食べている。
新型コロナの影響で、今は、そうなっている。
隣の席に、同じクラスの小倉さんが着いた。
「秋山さん?」
小倉さんが、千景に話し掛けてきた。
「小倉さん。ですね」
千景も小倉さんの名前を知っている。
入寮日に、千景が荷物を車から運び出している時、隣に車が停まった。
車を見ると、千景と同じ県のナンバーだった。
少し、気になっていた。
実を云うと、間違えて、二階へ上がって、奥から二番目の部屋へ行った事がある。
引き返そうとした時、コミュニケーションスペースの前のドアが開いた。
同じ県ナンバーの人だ。
その人は、階段の方へ向かった。
千景は、その人の部屋の名札を確認した。
「小倉律子」とあった。
小倉さんが、どうして千景の名前を知っているのか分からない。
弘君が云うには、同じ県で、八人合格している。
何人が、入学したのかは、分からない。
「後で、部屋へ行っても、良えんな?」
小倉さんが、聞いた。
千景は頷いた。
「ほしたら、九時半に」
千景は、小倉さんと約束した。
午後七時過ぎ。
「隣の部屋、異常ないの?」
景子さんからメッセージの着信があった。
明日、テストだから忙しい。と返信した。
本当に、英単語を暗記している。
午後八時三十分から共用部清掃になっている。
比較的、時間に余裕がある。
千景には、疑問があった。
点呼が終ると、午後十一時三十分に消灯。
四、五年生と専攻科の学生は、午後十一時三十分に、自主消灯になっている。
消灯と自主消灯の違いが分からなかった。
実際、鈴音寮では、その時間に、消灯しているように思えない。
午後八時三十分から浴室清掃を井上先輩と担当した。
その時、井上先輩が教えてくれた。
一応、消灯になっているが、実際は、自主消灯のようだ。
だから、翌朝、起床時間を守っていれば、何時まで起きていても構わない。
それを聞いて安心した。
「ああ。そうや。小倉さん。知ってる?」
井上先輩が小倉さんに、千景の名前を教えていた。
昨夜、浴室清掃の時、小倉さんが尋ねたそうだ。
点呼の後、小倉さんが、千景の部屋を訪ねて来た。
小倉さんは、栗林市の出身だ。
「隣の部屋。そうや、奥の。話し、知っとるんな?」
小倉さんが千景に尋ねた。
千景は、井上先輩から聞いた話しをそのまま伝えた。
小倉さんが、千景の話しを聞いて云った。
「そうなんよ。今日、聞いたんやけど、大変らしいわ」
小倉さんの聞いた「大変」を話し始めた。
小倉さんは、入寮する意志の無い学生が、入寮を申請して許可された。と云った。
ほら、やはり、こむつかしい言い回しだ。
ゾクゾクする。
ナリスマシが提出した書類を学生本人に見せて確認した。
ナリスマシされた学生の筆跡でも両親の筆跡でもない。
部屋の鍵も受け取っていない。
名札も剥がしていない。
それでは、一体、誰が。
新入生で、入寮を希望しない人は、誰でもナリスマシできる。
在校生の場合、入寮申請と手続書類を学校へ、請求する事になる。
もし、在校生が、ナリスマシであれば、ある程度、絞られる。
ところが、申請書類を要求したのは二名だった。
その二名は、入寮日に入寮している。
だから、その二人がナリスマシでは無い。
ただし、毎年、書類は同じだ。
在校生が、入学時に入寮しなかったとする。
その在校生が、手許に書類を保管していたとする。
そして、その書類を使用したとすると、もう分からない。
これは、単なる悪戯では、済まされない。
学校として、徹底的に調査し、厳正に対処する方針だ。
という内容だった。
「誰から聞いたん?」
千景が尋ねた。
「五年生の正本先輩」
小倉さんが答えた。
と云われても、正本先輩を知らない。
部屋の鍵を取り替えている時、立ち合っていた人だそうだ。
四年生の井上先輩は指導寮生候補だ。
五年生の正本先輩は、指導寮生に選出されている。
他に、交流委員、環境委員がある。
交流委員は、文化祭やスポーツイベントを企画、運営する。
環境委員は、風紀監督、清掃励行、備品管理を実施する。
この三部委員で毎月、執行部会が開かれる。
近く、臨時の執行部会が開かれるそうだ。
ナリスマシの目的は何なのか。
ナリスマシされた、学生に対する嫌がらせなのか。
単なる嫌がらせ。にしては悪質過ぎる。
もっと別の目的があるのか。
小倉さんと話しをして、懐かしかった。
入学してから、標準語しか喋っていないし、聞くのも標準語だ。
標準語のイントネーションとしては、怪しいのだけど。
久しぶりに故郷の方言を聞いた。
「ほしたら、また明日な」
小倉さんが、明日のテスト勉強する、と云って、千景の部屋から退室した。
同郷の親しみを感じた。
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