3.空室

「起きてますよ」

千景からメッセージの着信だ。

午前七時に、お母さんがメッセージを送信していた。


「ちゃんと眠った?」

千景からメッセージが届いたので、更にメッセージを送信している。


「眠ったんだけど、ちょっと事件があって」

千景からのメッセージ。


「どんな事件?」

お母さんが送信する。


「式が終わってから話す。今から朝食」

千景から着信。

「生活規範」を見ると、午前七時起床から始まり、十分刻みで行動が記載されている。

入学式の、今日も同じかどうかは分からない。


「朝食は何?」

弘が送信した。

それでも、千景は、忙しそうだ。

先程まで、送信、既読、着信が続いていたのに、弘の送信には、既読が付かない。


「あっ」

何だ。既読が付いたと思ったら、お母さんだった。

更に。

「どうでも良い事、送るの止めましょ」

お母さんに、どうでも良いと云われた。


入学式は、学校から少し距離のある市民会館で、午前十時から開催される。


しかし、事件というのが気になる。

千景が、何か、仕出かしたのか。

それなら、入学式の後で話す。とは云わないだろう。


弘は、お母さんと、入学式の会場へ歩いて行った。

だから、市民会館に近いホテルに宿泊したのだ。

千景は、寮から歩いて、会場へ向かっている筈だ。


入学式の出席受付を終え、会場へ入った。

新型コロナの影響で、皆、マスクを着用する事になっている。


一人ひとり、名前を呼ばれ、その場で起立する。

遠過ぎて、写真も撮れない。

国歌斉唱でさえ、心の中で斉唱するように。と案内された。


つい最近、中学の卒業式が終わった。

中学校の入学式は、新型コロナの影響で、保護者一名だけの出席だった。

それで、お母さんが出席した。


卒業式は、制限が無かったので、弘も出席出来た。

お世話になった先生方と、携帯電話で写真を撮っていた。


二年生担任の斉藤先生や、三年生の担任、西川先生と写真を撮った。

特に、学年主任の川口先生とは、何回も写真を撮っていた。


それと比べても仕方ないが、記憶に残らない入学式だった。


正午前に、式は終わった。

千景は、また歩いて、寮に戻った。

弘は、お母さんとホテルへ戻り、車で学校へ向かった。


千景が、寮で昼食を摂り、駐車場へ出て来た。

「おめでとう」

お母さんが祝った。

千景が頷いた。


「おめでとう。それで、事件って何や」

弘は、お祝いよりも、事件が気になっていた。


「それがねえ」

話し始めた千景をお母さんが遮った。

写真を先に撮ろうと云いだした。

これで、今日、新入生は解散だ。


校庭の、満開の桜の前で、写真を撮った。

写真を携帯に送信し合った。

鈴音寮の前で、校舎の前で写真を撮った。

校庭で清掃していたおじさんが、三人の写真を撮ってくれた。


寮生は、この後、午後五時まで自由時間だ。

ショッピングモールへ行く事にした。

モール内の喫茶店へ入った。

喫茶店には、高専の一年生だろうか、何組か席に着いて居た。


「隣の部屋。空いてたやろ」

千景が云った。


「そうやなあ。当たり前やけど、全部、同じ間取りなんやなあ」

お母さんが云った。


「そうじゃなくて」

千景が否定した。


「えっ。同じ。じゃないの。間取り」

お母さんが、勘違いしている。


「事件やろ」

弘は、早く聞きたかった。


「そう。事件」

千景が話し始めた。


昨日が入寮日だった。

入寮しない学生が、入寮申請をしていた。

誰かが、入寮しない学生の名前で、入寮申請をした。


入寮申請は、手続書類提出日の二日前までに、却下の連絡がなければ、許可された事になる。


その誰か。つまり「ナリスマシ」は、入寮を許可された。

ナリスマシは、入寮日に受付を済ませて、鍵を受け取った。


当然だが、ナリスマシも、ナリスマシされた学生も、入寮しなかった。

実際、その学生本人は実在するし、入学している。


寮務委員は慌てた。

部屋に、荷物を何一つ、運び入れていない。

しかも、部屋の名札が、剥がされている。

剥がされた名札と鍵は、部屋に備え付けられている机の上に置かれていた。


入寮申請に、記載されている名前の学生に連絡して、寮まで来てもらった。


しかし、本人も戸惑うばかりだ。

本人は、入寮を希望していない。

入寮申請も手続書類も提出していない。


確かに、入寮申請と手続書類は、郵送でも持参でも受付している。

ナリスマシが、書類を郵送する事は可能だ。


ただし、学校から書類は、郵送している。

余分な用紙は無い。

記載事項についての訂正は、分かり易く表記されている。

書類に不備が無い限り、学校から連絡は無い。


「それで、どうなったの」

お母さんが尋ねた。


防犯カメラの映像を確認している。

まだ、詳細は分からない。


午前十時頃、寮の前の広場に到着した順に、受付をしている。

入寮予定者は、ナリスマシを含めて、全員、受付を済ませて、鍵を受取っている。


ナリスマシが、いつ受付をしたのか分からない。


ただ、不審者が、奥の部屋の鍵を持っていた事は、間違いない。

部屋の鍵は、机の上に置かれていたが、合鍵を作られている可能性もある。

だから、早急に、隣のドアの鍵を取り替える事だけは、決まっている。


不審者も、ドアの鍵を取り替えるだろう事は、分かっていた筈だ。


寮務委員は、慌てている。

千景も衝撃を受けている?

何のために、そんな事をするのか。

分からない。


「気持ち悪いわねえ」

お母さんが気味悪がった。


寮の部屋は、満室だし、部屋を替わる訳にもいかない。

替われるとしたら、隣の奥の部屋しか無い。

それは、もっと怖い。


「そのナリスマシ。何のために。目的は何やろなぁ」

弘は、気になった。


不審者の目的は、何なのか分からない。

寮生の誰かを脅すためなのか。

寮に恨みがあるのだろうか。

不審者は、特定されていない。


「誰から聞いたんや?」

弘が尋ねた。


「四年生の井上先輩や」

千景が答えた。

井上先輩は、指導寮生候補になっている。


「どこから来とる人や?」

弘は、同郷かもしれないと思って尋ねた。

井上先輩は、隣の古条市から入寮したそうだ。

寮の部屋に余裕があれば、入寮できるそうだ。


「仲良う、してもらいなよ」

お母さんが嬉しそうに云った。


「うん。先輩は、皆、しっかりしてる」

ちょっと恐い先輩も一人いるが、皆、親切で優しい。


それにしても、不審者は、何故、騒ぎを起こしたのだろうか。

寮生を脅すためなのか。


「千景。大丈夫なんか?」

お母さんが心配している。


「千景。頑張れ!」

弘は、応援した。


千景は、余裕でカレーを食べている。

つい、さっき、寮で昼食を食べたばかりなのに。

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