最終話 君にのみ告げる真実


 アルフレッドは、控室から出て来たシーラを見、がっかりしたような顔になった。

 あの美しく社交的な装いはすっかり消え失せ、長いマントをぞろりと羽織った、いつものシーラに戻っている。


「何だ、ミス・ウィルコックスは店じまいか」

「当然だ。鑑定人の仕事は終わったし『キリエの書』の謎も解けた。これ以上猫を被る必要もあるまい」

「うーむ。まあ、不審者丸出しのそのマントも、見慣れるとなかなか悪くないからな」

「さり気なく失礼なことを言うな」


 心なしか大股でずんずんと廊下を進むシーラの後を追いながら、アルフレッドは何気なく言った。


「しかしシーラ、謎はまだ解けていないぞ」

「どういう意味だ」

「写本師たちがなぜ死んだかが分かっていない」

「……」

「だって写本師たちは、前半部分の効果も、後半部分の効果も、理解した上で写本を書いていたんだろう? なのにむざむざ死ぬなんて、間抜けすぎじゃないか」


 シーラはぴたりと足を止め、アルフレッドを見上げた。

 猫のようにじいっと見つめられ、アルフレッドはたじろぎながらも、決して目線は外さなかった。


「……では、写本師たちはなぜ死んだと思う」

「殺されたんだろう。口封じに」

「誰に殺された?」

「誰って、そんなの、あの本を見ればすぐに分かる。『キリエの書』の写本は全て、要人暗殺のために書かれたものだろう」

「……」

「グランクリンカを使えば美しい赤が出せるというのは、半分は真実なのだろうが――半分は虚偽だ。ターゲットに毒と気づかせぬまま呑ませるためのカムフラージュに過ぎない」


 シーラはじれったそうに先を促した。


「つまり、写本師たちは誰に殺されたと言いたいんだ?」

「暗殺を企んだ貴族か王族といったところか? 彼らなら写本師の一人や二人、命を奪うことも容易いだろう」

「……へえ」


 シーラは嬉しそうに笑った。


「存外頭が回るじゃないか。いいな、気に入ったぞ」

「気に入られたのは嬉しいな! だがシーラ、君はなぜ、そのことを知っていながら黙っていた?」


 するとシーラは意外そうに片方の眉を上げた。


「伝えてどうする? この写本は暗殺に用いられたものだと喧伝することは、私達がそれに気づいていると示すことに他ならない」

「……次は私たちが狙われるということか? この写本を作った写本師たちのように?」

「可能性はあるだろう? それにあなたは天使の目の持ち主だ、あまり不用意なことはしない方が良い」


 ちなみに、とシーラは補足する。


「『キリエの書』の安全性を気にしているのならば、一応対策は取っておいた。あの本の留め金のところに、グランクリンカを弱毒化する魔術陣を仕込んだからな」

「グランクリンカを弱毒化? そんなことができるのか?」

「あくまで弱毒化するだけで無毒化はできないが、インクを五リットル飲まない限りは死なないだろう。つまり、今後あの写本を暗殺に使用することはできないということだ」

「……そうか。それを聞いて少しほっとしたよ」


 そう言うとシーラは懐から一枚の封筒を取り出した。


「私の本命はこっちだ。――『キリエの書』の写本が、要人暗殺に使われたと知りながら、オークションに出した人物の情報」

「本命。妬けるなあ。あなたの関心をそこまで引くことができる幸せ者は、男かい?」

「女だよ。私の母だ」


 さらりと言ったシーラは、封筒を懐に戻すと、つかつかと歩き出す。

 アルフレッドは大股でその横に並ぶと、


「あなたのお母上か。何となく肉食獣のような、恐ろしい方なんだろうなと思うよ」

「ふはっ、そうだな。よく虎に例えられていた」

「あなたも苛烈な人だが、そうだな、虎というよりは……鳥のように思える」

「赤毛の鳥か」

「燃える鳥さ。書物とは相性が悪いかな?」

「いいや。鳥は好きだ」


 シーラはふわりと微笑んで、アルフレッドの行く手を遮るように立った。


「これは私の推論に過ぎないが。――母はきっと、天使の目について、何か知っているはずだ」

「ほんとうか!」

「ああ。ただ問題は、母が姿をくらまして久しいということだ」

「だからその封筒に入っている情報が必要だった、というわけだな。君のお母上に近づくために」


 頷いたシーラは、アルフレッドの胸倉を掴み、ぐいと顔を引き寄せた。

 至近距離で輝くエメラルドグリーンの瞳が、宝石めいてアルフレッドの心を揺らす。


「私は天使の目の謎を解明するために全力を尽くす。――だからあなたも諦めるな」

「何を諦めてるって?」

「生きることを。あなたはその人好きのする笑顔のまんま、崖の向こうにふらりと一歩踏み出してしまいそうだ」


 それは実に的確にアルフレッドの状況を現した言葉だったので、彼は思わず笑ってしまった。

 女遊びに護衛をつけない理由。天使の目を狙う連中に捕まっても抵抗しない訳。

『キリエの書』を最初から最後まで読んでみたいという衝動の、根本にあるもの。

 シーラは正しくそれを読み解いている。


「別に死にたいわけではないのだろう」

「ああ、ただ生きたいわけでもない」

「それは困る。私が天使の目の謎を解き明かすまでは、その心臓には動いていてもらわなければ」

「……天使の目を損なわないために?」

「あなたと共に在るために」


 アルフレッドは息を呑んだ。それから、きつく唇を引き結ぶ。


「確かに、私が死んでしまえば、天使の目の謎を解くきっかけがなくなるものな」

「それもあるが、私はあなたにそう易々と死んで欲しくない。あなたの天使の目はたまらなく魅力的な謎だし、あなたと一緒にいると退屈しない」


 それはきっとシーラの最大級の誉め言葉なのだろう、とアルフレッドは推測する。写本にしか興味のないシーラが、ここまで言っているのだ。それはとても貴重で、尊いことのように思えた。

 例えシーラの目的が、アルフレッドの持つ天使の目だったとしても。


「この身に過ぎた言葉をありがとう、シーラ」


 アルフレッドはにこっと破顔し、胸倉を掴んでいるシーラの手をそっと両手で包み込んだ。


「では生きよう、あなたのために」

「そうしてくれ。……ところでそろそろ腹が鳴りそうなのだが」

「もちろん私がごちそうしますとも、ミス・ウィルコックス。だってそのために私は生きている」


 微笑んだアルフレッドが差し出す手を、シーラは優雅に取った。

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写本師シーラの欲しいもの 雨宮いろり・浅木伊都 @uroku_M

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