第7話 種明かし


 クリスティーズのオークションは、分厚いカーテンのかかった部屋で行われる。

 分厚い絨毯と、年月を経た調度品が、全ての音を吸収するかのようだ。それでも抑えきれない人々のざわめきを聞きながら、アルフレッドは競りに参加する面々をちらりと見た。

 有名な収集家、ミラベル夫人。異国の紳士に、鋭い目をした抜け目なさそうな男――これは恐らく代理人だろう。


「もう少し野次馬がいても良さそうなものだが、さすがはクリスティーズだな」


 呟いていると、競りの司会者――オークショニアが現れた。意外なことに、すらりとした長躯の女だった。

 彼女が立っているだけで、かすかなざわめきさえも蜘蛛の子を散らすようになくなった。


「それでは、競売番号五百七番を開始いたします。五百七番、通称『キリエの書』。かつて禁書として指定されていましたが、十五年前に指定解除、以来九冊の写本が市場に出回っており、こちらはその一冊です」


 オークショニアが目配せすると、いよいよ『キリエの書』が運ばれてきた。

 ガラスケースに入ったそれを一目見ようと、後ろに座っている人間は腰を浮かせている。

 ケースの後ろをついて歩いているのは、シーラだ。今はミス・ウィルコックスと呼ぶべきだろうか。

 彼女は表情を引き締め、ガラスケースの横に立った。


「ごきげんよう、皆様。私はシーラ・ウィルコックス。今回の鑑定人を務めさせて頂きます。王立学院の方で写本師を生業としており、古書・奇書・古文書の類を研究しております」

「鑑定人。まず最初に、その『キリエの書』は本物ですか」


 オークショニアの問いかけに、シーラは小さく頷いた。


「ええ、本物ですわ。つまり、最初のページから最後まで通読すれば死に至る、ということです」


 人々がざわつく。最前列に腰かけたミラベル夫人が、ぐいっと前のめりになった。

 オークショニアは鋭い視線をシーラに投げかける。


「死に至るという証明は?」

「私がここで死んでみせるのが最も手っ取り早いのでしょうが――まあ、それは止めにしておきましょう。証明はできませんが、からくりをお伝えすることはできます。ついでに言うと、この本を読んでも死なない防衛策もお伝えできますわ」


 艶然と微笑んだシーラは、ガラスケースを持ち上げて『キリエの書』の留め金を外した。

 オークショニアが咎めるような視線を向けたが、シーラは気にすることもなく、最初のページを競売の参加者たちに見せる。


「『キリエの書』は伝統的なスタイルを取った、魔術の理論書でございます。フォントはゴシック・カーシヴ体で、羊皮紙は透かし模様が入った子牛の革を使用しております。表紙の革は、まだ子を産んでいない若い雌鹿の尻の部分をなめしたもので、手触りが柔らかいのが特徴です。…‥この留め金は頂けませんが、取り外しは可能ですのでご安心を」


 シーラはうっとりとページを見つめる。


「魔術の深淵を解き明かさんとする意欲が、全てのページから伝わってきます。その証拠に、この飾り文字をご覧になって下さい。海の青、空の青にも負けぬほどの、目が覚めるようなプルシャンブルーです」


 参加者達が身を乗り出して、ページの飾り文字を凝視する。オペラグラスを持っているものは、それを目に押し当てて食い入るように見ていた。

 アルフレッドがその色を薄目で見ながら、


「どこかで見たような色だな」


 と呟くと、それに応えるようにシーラが解説をした。


「この飾り文字にはアンシャル石のコアが使われております。アンシャル石は、暗所では魔術妨害の効力を持つと言われておりますが、このように粉末にして膠などの材料を混ぜて塗料にしますと、全く逆の効果が発生します。――それは、魔術の効力を高める力です」

「効力を高める、というと」

「最近の例ですと、近衛兵たちの防衛魔術書に多く使用されておりますね。この色を視認すると、体を巡る魔力の総量が多くなり、魔術の威力が上がるのです」


 ただし、とシーラは付け加える。


「それは一冊にせいぜい数か所の話です。この本は、一ページ目から半分ほどまで、執拗に青い文字が使われています。飾り文字だけではなく、周りの装飾にも同じ青が使用されていますね。最初から半ばまで本を通読した方は、アンシャル石の効果によって、体を巡る魔力の量が膨れ上がっていたはずです」


 人体で言うと、血行が良すぎる状態になるのだろうか、とアルフレッドは想像する。

 だが、それ自体は悪いことではなく、死に繋がるような印象は受けない。

 参加者の疑問を読んだように、シーラが続ける。


「問題はこの本の後半部分です。一部をお見せします」


 シーラは後ろの方のページを見せた。アンシャル石の青とは対照的な、鮮血のような赤が目に付く。

 飾り文字だけでなく、周りの装飾も赤いのは、前半部分の青の使い方と同じだ。


「さて、この赤。私の予想では、原本とは異なる材料が使われているのだと思います」

「原本といいますと、前679年に魔術師キリエライトによって書かれたもの、ということですね?」


 オークショニアの言葉にシーラが頷く。


「ええ。前679年といいますと、今から二千年も前の話になります。その頃と現代では、環境も全く異なるでしょう」

「……なるほど。つまり、原本で赤色を出すために使われた原料と、写本の赤色の原料は、異なると言いたいのですね」

「その通りです。そのこと自体は悪いことではありません。植生が変わって、同じ素材が取れなくなることはざらにありますし、同じ赤色を出せるならどんな材料を使っても問題ないというのが、写本師たちの通常の見解です」


 むしろ、とシーラが唇を舐めて言う。


「写本師たちは執拗なまでに原本に似せることを追求します。――だから彼らは、二千年の時を経てなお赤く美しく輝く文字を見て、その色を再現しようと躍起になったのでしょう」

「美しい赤を再現するために、彼らは何を使ったというのです?」

「『天使の目』。通称、グランクリンカ」


 参加者たちが息を呑む。アルフレッドも例外ではない。

 なぜならばシーラが口にした名は、まだ記憶に新しい、大臣暗殺の時に使用された劇薬だったからだ。

 グランクリンカ。それは赤く発光する液体だ。

 それを飲むどころか、触れるだけでも死に至る。


「グランクリンカは致死性の高い毒物ですが、その反面、非常に目立つ素材です。飲み物に入れたら光るからすぐに分かるし、目立つところに塗布すれば、そこだけ赤く光ってすぐ見つかってしまう」


 それに、とアルフレッドは独り言ちる。


「あまりにも致死性が高いから、その分防衛策もたくさん編み出されてきたと聞いている。だから逆に暗殺には向かない毒物とされていた……」

「硫酸のように、相手の顔にぶちまければ難なく殺せますが、それならナイフでも攻撃魔術でも良い。毒物でありながら暗殺に向かない、なかなか厄介な毒物なのです」


 ではなぜ、大臣は死んだのか?


「大臣が死んだのは、揮発したグランクリンカを吸い込んだからです。暗殺者は、手紙を書くインクにグランクリンカを混ぜ、それを大臣に送りつけて、遠くにいながら大臣を殺してみせたのです」


 もっとも、とシーラは口の端を吊り上げる。


「この手はもう使えません。郵便局にはグランクリンカを検出するための魔術陣が展開されるようになりましたし、そもそも貴族たちは手紙を自分で開封して読まなくなりました」

「それで、そのグランクリンカが、その本には使われているというのですか?」


 シーラの長広舌に痺れを切らしたオークショニアが尋ねる。シーラは静かに頷いた。


「ごく微量です。一ページ分をじっくりと見ても、すぐ死には至らないと思います」

「だからって、そんな劇薬を写本に使うなんて」

「美しい赤が出せるのです。それこそ、天使の目と見まがうほどの」

「おかしな話です。揮発したら読者を死なせると分からなかったのでしょうか?」

「ですから、写本師たちは対策を講じたのです。グランクリンカの効力を弱めるために、インクに色々な混ぜ物をしたと思います。ですが、こんなにたくさんグランクリンカ入りの赤インクを使ってしまっては、その混ぜ物も意味をなさなかったのでしょうね」


 最前列で話を聞いていたミラベル夫人が、静かに口を挟む。


「それに、前半部分を読んだ人間は、体を巡る魔力の量が膨れ上がっている状態のはずよね。その状態でグランクリンカを吸い込めば――」

「ご賢察の通りです、マダム。毒は全身に回り、死に至る」

「そういうことね……! ならば、前半部分を読み、後半部分はまた別の機会に読めば、死ぬこともないわね?」

「はい。時間を置いて読めば問題ないかと思います」

「なら、買わない理由はないわね。さあオークショニア、読んだ人間が全員死ぬ本の謎は解けたわよ! オークションを始めてちょうだい!」


 好戦的な眼差しがオークショニアを射抜く。

 彼女はため息をつき、いつものように競売を始めた。

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