第6話 鑑定人ミス・ウィルコックス
女性から出される難題をこなさないなど男ではない、という思想の持ち主であるアルフレッドは、聞くも涙語るも涙な苦難を経て、クリスティーズの鑑定人にシーラをねじ込んだ。
鑑定人とは、出品される品が本物であることを保証し、保証書を記載する人間のことだ。無論、各分野の権威がなるもので、間違っても二十そこそこの小娘が担うものではない。
だがシーラは澄ました顔で、荘厳なるクリスティーズの建物の一室に鎮座している。
その横にはどこか疲れた様子のアルフレッドが座っていた。
「一生分のコネを使った気がするよ」
「まだまだ手札を残しておいてよく言う。あなたはよく働く策士だな」
「真面目な盗人、みたいで腑に落ちない言葉だな」
そう言いながらも、アルフレッドはシーラの様子を盗み見る。
さすがに身なりを整えなければ、クリスティーズに足を踏み入れることもできない。ゆえにシーラは、実に淑女らしいなりをしていた。
美しい赤毛を邪魔しない濃い茶色のドレスは、地味ながらも同系色のレースがふんだんにあしらわれ、その高価さを存分に表している。
胸元につけたブローチは大きなエメラルドで、シーラの瞳の色とよく合っている。華奢な指にはめられた金の指輪にも、ダイヤとエメラルドがはめられており、調和していた。
何よりシーラの表情である。
髪を淑女のように結い上げ、化粧を施した顔は、つんと澄ました様子ながらも妖精めいた魅力があった。道で彼女を見かけたら、間違いなく口説いていただろうとアルフレッドは思う。
「君、すごく綺麗だ。どうして普段からそういう恰好をしないんだ?」
「用事もないのに、いちいちまつ毛を上げて唇に色を塗ったくっている暇はない。大体、どんなに私の顔が美しくても、鏡を見なければ自分で鑑賞できないのだから意味がないだろう」
うっとおしそうなシーラの表情が、すっと仮面を被ったように変わる。
口角を微かに上げて、目元を笑みの形に緩める。
と、次の瞬間、扉を開けて初老の太った男が部屋に入って来た。
「ミス・ウィルコックス。出品番号五百七番の鑑定人……ですか?」
「ええ、王立学園の方から参りました写本師ですの。どうぞ宜しくお願いしますわ」
ミス・ウィルコックス。当然偽名だ。
人が変わったように愛想を振りまくシーラに、アルフレッドは珍獣を見る目をしている。
男はクリスティーズの従業員らしく、シーラのくびれたウエストや、きらきらした眼差しを興味深そうに見ていたが、ややあってシーラに鍵を差し出した。
「こちらが出品番号五百七番の品が収められている部屋の鍵です。二時間以内に鑑定書を書き上げるように」
「承知いたしました。若輩者ですが精一杯務めさせて頂きます」
シーラは優雅に一礼すると、男の後に続いて部屋を出た。
クリスティーズは魔術で空間を拡大しているので、眩暈がするほど長い廊下が広がっている。部屋には一つずつ番号が振られ、そこに今回出品される品々が収められているのだ。
シーラとアルフレッドは、長い長い廊下を歩いて、五百七番の部屋にたどり着いた。
開錠すると、窓のない部屋にぼうっと蝋燭の明かりがともった。
「ああ、こういう風になっているんだな。鑑定人が保証書を書くためのデスクまである」
「そしてあれが……『キリエの書』だ」
部屋の中央、ガラスケースの中に、その書物は入っていた。
小説や論評の類とは異なり、一抱えほどもある大きさの革張りの書物だ。
シーラはそれを見るなり顔をしかめる。
「勝手に留め金をつけたな。表紙の革と色味も風合いもまるで合っていない。間に合わせでつけたことが丸わかりだ」
「まあ、読んだら死ぬと言われている本だからな。勝手に開けないよう留め金くらいつけるだろう」
「ならば革の色を合わせるとか、素材を合わせるとか、最低限の美意識を持って欲しいものだ。なんだあの取って付けたような宝石は。シチリアーノ産の暗色系の革にギラギラしたダイヤなど合わせるな、せいぜい瑪瑙か琥珀だろうが」
そう言いながらもシーラの手はよどみなくガラスケースを開け、留め金をばちんと外した。その音にも顔をしかめながら、絹手袋をはめる。
白い指先が表紙をあっさりとめくったのを見、アルフレッドが慌てて、
「ま、待て待て。そんなにあっさり触って良いのか? 読んだら死ぬ本なんだぞ!」
「全部読んだら死ぬんだ。半分だけ読めば問題ない」
「それで謎が解けるのか?」
「残りの半分はあなたが読めば、二人で一冊読んだことになるだろう」
「今までで一番ときめかないお誘いだな、それは」
シーラはページを素早くめくってゆく。
「ああ、なるほど……理論書なのだな。フォントはゴシック・カーシヴ体か。羊皮紙は子牛のものを使っている。まあ禁書にしては大人しいデザインだが、悪くない」
専門家による解説つきとあって、アルフレッドはつい後ろから覗き込みたい衝動に駆られる。しかしこれは、全て読めば死んでしまう曰く付きの本だ。
そわそわと指先をいじりながら、シーラが前半部分を読み終えるのを待った。
やがてシーラが振り返る。いかにも嬉しそうな顔をして。
「分かった気がする。後半部分を読んでみろ。ただしあまり顔を近づけず、ページの端を持て」
「あ、ああ、分かった」
「あなたが読む後半部分、ページの一番最初の飾り文字は、全て血のような赤で彩られていると思う」
ちょうど本の真ん中で開かれたページを恐る恐るめくったアルフレッドは、目を見開いた。
「本当だ。飾り文字が赤い! しかも普段見たことのないような赤だ。まるで――」
「天使の目のような?」
アルフレッドは静かに頷く。
飾り文字というのは、装飾が加えられた行頭の大文字のことだ。人間の顔をつけたり、ドラゴンだのグリフォンだのの幻獣を書き加えたり、植物の模様で縁取ったり、魔導書によってさまざまだ。
その飾り文字が全て赤なのだ。鮮烈な印象を残す、赤。
しかも飾り文字だけではない、周りの装飾もほとんど赤と金で彩られている。
アルフレッドは前のページに戻りたい衝動に駆られた。全てのページが、この蠱惑的な赤色に彩られているのか。だとしたら、これを直視することが、死に繋がるのか――。
いつの間にか指先が震えていた。
震える指が、ページを前へと繰ろうとする。
それを押し留めたのは、小さな声だった。
「アル」
アルフレッドははっと顔を上げた。
それから自分を励ますように笑って、一気にページを最後までめくる。
「うん。飾り文字は全て赤。しかも色調は全部一緒だった」
「目が良いな。色調が同じということは、使っている素材も同じだろう。――ふふ。禁書の謎が解けたぞ」
「ほ、本当かシーラ!」
「ああ。これはねアル、写本師の悲しい性が招いた悲劇といえるだろう」
「写本師の悲しい性?」
シーラは頷いた。
「優れた写本師ほど、原本を尊重する。常軌を逸するほどに」
だから、最後まで読んだら死ぬ本ができてしまったのだ。
そういうと、シーラは本を留め金でしっかりと留めた。
「さて、鑑定人としての仕事を果たさねばな。鑑定書には取扱注意の旨を記載しなければ」
「確か鑑定人は、オークションの際に鑑定書を読み上げるという仕事があったよな」
「ああ。だからその時に種明かしをしてやろう」
「楽しみにしている」
アルフレッドの言葉に、シーラはミス・ウィルコックスの顔で微笑んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます