第5話 読んだ者は皆死ぬという




「ねえ、今日のアルってば何だかごきげんね。何か良いことでもあったの?」

「君に会えたからね? それにこうして腕を組んで公園を歩ける」

「まあ、アルったら!」


 くすくすと笑いながらアルフレッドの腕にしなだれかかるのは、緑色のドレスをまとった未亡人だった。

 アルフレッドはこの未亡人が嫌いではなかった。自分以外にも恋人がいるため、アルフレッドにのめり込みすぎないところが気に入っている。


「今夜のノリーナ夫人の夜会にはいらっしゃるの?」

「むろん行くとも。君もだろう?」

「そうね、どうしようかしら。あの方の夜会って最近ちょっと退屈で」

「私が行くのに、君はそうして渋るのかい? 私が君を退屈な気持ちにさせたことが?」

「ないわ、アル。でもね、あなたは夜会でいつも人気者。いつも私の側にいてくれるわけではないでしょう?」


 意味ありげな視線を送り、アルフレッドの唇に触れる未亡人。

 微笑んだアルフレッドが未亡人の手を取り、その手の甲にキスしようとした瞬間。

 彼の目は、公園脇の公道を、ものすごい速さで歩く女を見つける。


「――失敬、急用を思い出した。今日はここで失礼させて頂く」

「えっ?」

「この埋め合わせは今晩、必ず。ではまた!」


 アルフレッドは自分の腕から未亡人をぺっと引き剥がし、公園内を駆け出した。

 軍人らしい足の速さで公道に躍り出たアルフレッドは、見たことのあるマント姿の女の肩に手をやった。


「やあ、シーラ!」

「……」


 振り返ったシーラは、いかにも迷惑そうな顔でアルフレッドを見上げた。

 日の光の元で見る赤毛は鮮やかで、緑色の目は海みたいにきらきら輝いている。


「何だ。私は今から晩飯だが」

「時間的に昼食では?」

「何でも良い。腹が減ってくらくらするんだ」

「……もしかして君、作業に没頭して寝食を忘れるタイプか」


 そう言えばシーラの部屋には、ドアが一つあるきりで、キッチンや流し台といったものは見受けられなかった。

 ドアの向こうにキッチンがある可能性もあるが、そこはトイレであってほしい。とすると消去法で、彼女の家に物を調理する手段はないということになる。


「なるほど。それなら私の行きつけの場所に行こう。融通がきく」

「お貴族様の行きつけに興味はない。私はたらふく食べたいんだ、安くて早くて大量に出してくれればそれで良い」

「もちろん、君のご要望にお応えできる店だとも!」


 アルフレッドはにっこり笑うと、シーラの腕をとって、有無を言わさず道を曲がった。

 彼が案内したのは紳士サロン。普通であれば女人禁制のはずだが、逢引きにも使われる施設であるため、黙認されている。

 ましてやアルフレッドの連れだ。受付も笑顔で通してくれる。

 そうしてこぢんまりとした個室に通されたシーラの前には――。


 ミートパイにライチョウの丸焼き、バターたっぷりのビーツスープの横に、湯気の立つパン。

 更に作りたてのマカロニチーズまで皿いっぱいに盛られてきた。


「どうかな? どれか一つでも口に合えば良いのだが」

「ビールはあるか」

「今持って来させよう」


 シーラは静かにフォークを手に取ると、すさまじい勢いでミートパイを侵略し始めた。

 その食べっぷりと言ったら、様々なタイプの女性を見慣れているはずのアルフレッドも、目を見張るほどだった。

 食べ物が瞬く間に口に消えてゆく。本当に咀嚼しているのかと疑ってしまう程のスピードで、皿の上の食べ物がなくなるのだ。

 ウェイターがビールを持ってきたときにはもう、山盛りあったミートパイは跡形もなくなっており、シーラはライチョウの丸焼きにナイフを突き立てたところだった。

 ――これはまずい。

 ウェイターとアルフレッドは素早く目線を交わす。優秀なウェイターはすぐにお代わりを命じにキッチンへ走った。


「君……すごいな。何日食べていなかったんだ」

「腹の音からして二日くらいだな」

「ちなみに今までで一番長かった絶食期間は?」

「四日。写本の依頼を急かされすぎて、食べるどころかトイレに行く時間もなかった」

「妙齢の女性がなんてことを」


 苦笑しながらアルフレッドは、シーラの早食いを特等席から観覧した。

 あれほどの速さなのに、不思議と下品な印象は受けない。フォークとナイフの扱い方も見事で、恐らくは元々貴族階級の出身だったのだろうと推測できる。

 ビールを水のように飲むところは、ちっとも貴族らしくないが。

 アルフレッドが横で、ワインとコールドミートをつまんでいると、ライチョウをすっかり胃に収めたシーラが言った。


「すまない、まだ天使の件については分かっていない」

「そ、それは当然だろう。君と会ったのは三日前だ、たったそれだけの間に成果が出るとは思ってない」

「聞き忘れていたのだが、期日はあるのか」

「ないな。十年かかってもおかしくはないと思っている」

「十年かけても知りたい、ということだな」


 そう言われてアルフレッドは虚を突かれたような顔になった。

 言葉の意味を噛み締めるように手元を見つめる。


「……そうだな。時間や金に糸目はつけない。私は知りたいんだ。なぜこんな目を持つに至ったのか。私は選ばれたのか、それともただ不運なだけだったのか」

「知りたいという気持ちは、最も傲慢で美しい人間の欲望だ。気にすることはない」

「君に言われると元気が出るな。そうそう、天使の目を持つと呪われる――なんて言説もあるようだが」


 アルフレッドはからっとした様子で笑った。


「今のところ、全くそういう不調はない。これから何かあるかも知れないが――ま、そうなってから考えよう」

「魔術が使えなくなったり、魔術具が正常に作動しなくなったりしたこともないか」

「ああ、通常通りだ。私は元々そこまで魔術も上手くなかったからね」

「私の部屋にも簡単に入ることができたし、天使の目そのものは、魔術的な要素を持たないのかも知れないな」

「君の部屋には何か特別な仕掛けでもあるのかい?」

「防犯程度だがね」


 シーラほどの魔術の腕前であれば、きっと王立学院にも匹敵するレベルなのだろうな、とアルフレッドは思った。

 王立学院は好きではない。彼らはアルフレッドのことを、天使の目を持つ実験動物ていどにしか見ていないからだ。

 天使の目が、貴重な魔術的資料であることは、アルフレッドも分かっている。だからといって、はいどうぞ、と左目を抉り出して差し出せるほど、聖人ではないのだ。


 スープ皿を両手で持って、行儀悪く飲んでいたシーラが、おもむろにスープ皿を置いた。まだ全部飲み干していないのに。

 不思議に思っていると、扉が勢いよく開け放たれた。


「よう、アルフレッド!」


 ノックもなしに現れたのは、アルフレッドの親友、フェルナンド・ハイスミスだった。

 いつものようにきっちりと服を着こみ、洒落たハットを忙しく手の中でもてあそんでいる。

 シーラは借りて来た猫のようにすましているが、手にしているものがビールの巨大ジョッキであるせいで、どんなすまし顔も台無しだった。

 だがフェルナンドがやって来る気配を察知し、スープ皿を置いた判断力は称賛に値するだろう。

 フェルナンドは興味深そうにシーラを見つめた。


「だいぶ毛色の違う子を連れ込んだんだな? しかも、仲睦まじい昼食……というわけでもなさそうだ」

「まあ、私のちょっとした友人だ。ビジネスパートナーでもある」


 そううそぶいたアルフレッドは、ところで、とフェルナンドに向き直った。


「お前が部屋に乱入してくるなんて珍しいな」

「女といつもイチャイチャしてるお前の部屋に乱入するなんて危険な真似できるかよ。だが今回は別だ、何と言っても『キリエの書』の競りが行われるって話だからな」

「『キリエの書』って……」


 がたっと立ち上がったのはシーラだ。好奇心に目をらんらんと輝かせている。


「『キリエの書』前679年に魔術師キリエライトによって書かれたとされる魔術の深淵に関する書物。既に書かれてから数千年が経っているにも関わらず、状態は極めて良好、しかしながら読む者を魅了してやまないその内容から禁書として指定されていた書物だな」


 一息に言い切ったシーラは、フェルナンドに詰め寄る。


「だがつい十五年前、カリオス五世のもとで禁書指定が解除された。その結果写本が許されるようになり、既に九冊もの写本が世に出回っている――が! それら全てが「いわくつき」だ」

「ご名答。なんだアル、博学な女性は好みじゃないとか言ってなかったか?」

「宗旨替えをしたんだ。それよりシーラ、いわくつきというのはなぜだ」

「その写本を読んだ人間全員が死んだからだ」


 簡潔にして明朗な答え。アルフレッドはひゅうと口笛を鳴らした。


「そりゃあ良い。しかし、死ぬのは写本を読んだ人間だけか?」

「良いところを突いたな。そう、写本だけだ。オリジナルの本を読んで死んだ人間の話は聞かないが、写本を読んだ者は例外なく死ぬ」


 シーラの説明に、フェルはにやりと笑った。


「そういうの好きだろ、アル? だから真っ先に話を持ってきてやった」

「まあな。天使の目になってから、そういういわくつきのものに興味が出て来た」

「競りは明日クリスティーズで行われるらしいぞ。読んだ人間が全て死ぬ本だから、特別な個室で行われるとかなんとか。そうそう、あのミラベル夫人も来るそうだ!」


 ミラベル夫人は有名な収集家だ。いわくつきのものを集めることに執心しており、家は収集品がぎっちりと詰め込まれ、異様な雰囲気を放っているという。

 だがアルフレッドは眉をひそめ、


「読んだ人間が全て死ぬなんて、正直眉唾ものじゃないか。本の希少性を高めるためのでっちあげって可能性がある」

「それはない」


 シーラがあっさりと否定する。彼女は淡々と補足した。


「その九冊の写本を作った写本師を一人知っている。私の顔見知りだった。間違いなく死んでいる」

「そ、そうか。残念だったな」

「それから、一度禁書指定がなされた本というのは、持ち主をトレースできるよう、通し番号と特殊な加工が施されているから、全ての本の所在地が判明している」

「持ち主がトレースできるということは、死んだ人間の身元を洗うことも容易い、ということか」

「そうだ。そして禁書指定の本は王立学院で管理しているから、彼らに確認すれば、読んだ人間が全員死んでいることは確実だろうな」


 ふむ、とアルフレッドは考え込むように宙を睨んだ。


「持っているだけでは死なないんだよな。読むから死ぬ」

「そうだ。いい点を突いたな。『キリエの書』は所持しているだけでは死なない」

「ということは、その本自体が呪具というわけではなさそうだ。読む……ページを開くと何かが起こる?」

「あるいは内容を読み込むと、その文字がトリガーとなって呪いが発動するとか」


 シーラとアルフレッドのやり取りに、フェルがひょいっと入って来る。


「死んだ奴らの死因は分かってるんですか?」

「さあ、そこまでは知らない。王立学院で調べれば分かるかも知れないが」

「私は止めておこう。飛んで火に入る夏の虫になってしまう」


 苦笑するアルフレッドとは裏腹に、シーラは険しい目つきで、にやりと笑った。


「なら私は参戦しよう。クリスティーズといったな? そこの鑑定人になれば話は早そうだ」

「クリスティーズの鑑定人につてがあるのか!?」


 そんな社交的な人間には見えない。アルフレッドが大声で尋ねると、シーラは事もなげに言った。


「何言ってるんだ。そのつてを繋げるのは、あなたの仕事だろう、アル」

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