第4話 情報収集



 シーラは身をかがめ、アンシェル石を細かく砕く。

 粉末状になった青い石を、木の樹脂で伸ばしてインクにするのだ。

 それを羽根ペンの先に乗せて、子牛の革を使った羊皮紙に、慎重に文字を描いてゆく。

 間違ったらそこだけ削り取って書き直せば良いのだが、シーラはオリジナルの魔導書にないことをするのが、あまり好きではなかった。

 だから間違っても、間違ってはいけない。


「……はっ」


 文字を書き終わって、詰めていた息をほっと吐く。間違っていないことを確かめつつ、椅子の上で背伸びをすると、骨が鳴った。

 すると仕事が一区切りついたのを見透かしたように、扉が勢いよくノックされた。


「シーラ! あたしあたし、ミルカだよー!」

「ああ、入ってくれ」


 全て言い終わる前に部屋に飛び込んできたのは、くりくりとした金髪が愛らしい、十代の少女だった。

 まるで子犬のように懐っこい目をしており、ピンクのドレスが嫌味なく似合っている。彼女の表向きの仕事は、屋敷勤めのメイドだ。


「早いな。もうアルフレッドの情報が入ったのか」

「アルフレッド・ケンデルバッハは有名人だからね。天使の目があってケンデルバッハ家の庶子で、おまけにあのイケメンぶり! 色んな女性を泣かしてきたらしいよ」

「年齢は」

「ん? 二十五歳。天使の目を得たのは二十三歳の時だってさ。でも何を見たのかは覚えてないんだって」


 ミルカは持ってきたキャンディを口に放り込みながら、壁際の踏み台の上に腰かけた。

 この部屋の物に許可なく触れてはいけないことを知っているミルカは、シーラの貴重な情報源だった。


「アルフレッド・ケンデルバッハ二十五歳。妾の子で、十一歳の時まで街中で暮らしていたんだけど、お母さんが亡くなったことがきっかけでケンデルバッハ家に引き取られたみたい。顔の良さと如才なさで、社交界では引っ張りだこ! 家を継ぐことは最初から放棄してるらしくて、ケンデルバッハ家の男たちから敵視されることもないようね」

「そんなものか。美しい男ほど、同性からねたまれると思っていたが」

「へえ、シーラでもあの男は綺麗に見えるんだ」

「シーラでも、とは何だ。私は美しいものは美しいと、ちゃんと評価するぞ」

「はいはい、美学があるんだもんね。まあ敵視されてないとは言ったけど、居心地が悪かったのかな? 十八歳から軍に入隊してる。尉官らしいよ。天使の目を得てからはほとんど仕事してないみたいだけど」


 シーラはインクが乾くのを待ちながら、なるほど、と思う。

 女性を口説くだけがとりえのような言動をしているわりには、立派な体つきをしていると思ったのだ。軍人ということならば納得できる。


「天使の目を得た経緯については知っているか」

「諸説あるね。まず本人は覚えてないって言ってるし、軍隊で流れている噂は、仲間が悪魔みたいに変質する恐ろしい姿を見たとか、想像もできないようなおぞましいものを目撃したとか、そんな感じ」

「女相手には何て説明してるんだ?」

「それこそ色々。自分が死ぬ瞬間を見たとか、自分が独りぼっちになる未来を見たとか。それで女の人の同情を誘って、家に連れ込む……ってのが常套句ね」

「特定の相手はいないのか」

「そういうのは作らない主義みたい。だからこそ色んな女性に手を出しても許されるっていうか、皆の物って認識みたいね」


 基本的には賢い男なのだろう。少なくとも、見せたい自分を見せる力がある。

 シーラは腕組をして考え込んだ。


「基本的な情報は分かった。あの人が嘘をついていないということも。あとは、誰と親しいか教えてほしい」

「よく付き合ってるのは陸軍で一緒だったフェルナンド・ハイスミスとその妻、エリザヴェータ・ハイスミス。彼らに接触すればあとは芋づる式じゃない?」


 頷いたシーラは、懐から小さな革袋を取り出すと、ミルカに放った。

 さっとそれをキャッチしたミルカは、人懐っこく笑う。


「ありがと! にしてもミルカがこんな有名人を調べさせるなんて驚き。今まではずっと魔導書の元の持ち主とか、引退した写本師とか、そういう人ばっかり調べてたから、今回は楽ちんだったよ」


 にしても、とミルカは探るようにシーラを見る。


「あの金髪王子を探らせるなんて、何かあった? ひょっとしてシーラもアルフレッドに一目惚れした感じ?」

「天使の目の持ち主というから、興味がわいただけだ。彼を狙う魔術師は多いんだろうな」

「引っ張りだこらしいね。特に狙ってるのは王立学院の魔術師たちだって! 百年ぶりの天使の目、何としても保存したいって浮足立ってる。派閥的にはトリストスとケアンが一歩リードしてるってもっぱらの噂」


 シーラは鼻で笑った。既に天使の目はシーラのものだ、王立学院の魔術師たちの勘違いには呆れる。

 王立学院とは、新しい魔術を開発する魔術師を輩出する国の教育機関だ。

 象牙の塔らしく排他的で、市井の魔術師を下に見ており、技術を独占しようとする傾向がある。

 もっとも、写本師であるシーラにとっては、最も太い写本の依頼主でもあるため、なかなか無下に扱うこともできないのだが。


「あとは天使の目を、純粋なコレクションとして手に入れたい収集家とかね。他国からも狙われてるって聞いたことある」

「天使の目は、人を一瞬で死に至らしめる劇薬・グランクリンカの別名でもあるからな。好事家の心をくすぐる何かがあるんだろう」

「ああ、三年前に大臣暗殺に使われたってアレね。でも最近じゃ対策が取られてるから、グランクリンカで死ぬこともなくなったって聞いたけど」

「それでも劇薬であることに変わりはないよ」


 シーラは肩をすくめると、


「他国からも狙われているのに、あの男は護衛の一つもつけないのか」

「護衛をつけた状態じゃ、満足に女遊びができないだろうからねえ」


 ミルカが苦笑する。それほどまでにアルフレッドの中で、女遊びの優先順位は高いのだろうとシーラは思った。

 あるいは、自分の命にさほど頓着していないのかも知れない。


「引き続き調査を依頼したいのだが、これはキャクストンの預かりになるかもしれないな」

「え、兄さんに頼むような荒事ってこと?」


 ミルカはあくまでメイドとして情報を集めてくる。彼女の守備範囲は邸宅内だ。

 だが彼女の兄――キャクストンは、金を積めばどんな情報でも集めて来てくれる。

 王宮内のことであっても、軍隊のことであっても。あるいは魔術師以外は不可触とされる、王立学院のことであっても。


 シーラは懐からもう一つ革袋を取り出すと、ミルカに向かって投げた。


「これは前金だ。天使の目を狙う連中の洗い出しをしてくれ。誰が一番ヤバそうか、優先順位もつけてな」

「おっけ。兄さんに伝えとく」


 ミルカはウインク一つ投げてよこすと、さっさと部屋を出て行った。

 跳ねる金髪を見送りながら、シーラは仕事を再開しようとして――自分のお腹が派手に鳴る音を聞いた。


「あー……。最後にご飯を食べたのが、……いつだったかな」


 不遇を訴えるように、さらに大きく腹が鳴る。

 シーラは無造作にマントを羽織ると、腹を満たしに部屋を出た。

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