第10話

「この二人ですか、アキラの兄貴とその嫁さんは」

 夜風がそよぐアリアカンパニーのテラス。ランタンをサイドテーブルに置いて、俺は手すりに背を預けながら言った。

「初めての新婚旅行だって言ってたな。けどこのホヤホヤのお二人さん、ゴンドラで案内してる最中に喧嘩始めたんだ。おたがいのヤなとこがこの旅行で初めて見えたみたいでな。まあ珍しいことじゃねえ」

 師匠が星空を見上げながらタバコを吐き出した。3大精霊の一人ともあろうゴンドラ乗りがヘビースモーカーだと知ったらイメージが崩れるって千度言ってるのに、この人は止める気配がない。客前では絶対に吸わないのがこの人の意志の強さを物語ってるけど、なら禁煙も余裕なんじゃないかと思う。しかもめちゃくちゃ度数が高いやつ吸ってるし。

「簡単なことじゃないけどよ、おたがいのヤなとこを認め合うって。でも、それができりゃあ、新婚さんから立派な夫婦になれるってもんよ。努力が必要だけど、それができりゃあ」

 師匠は空に舞ったヤニの煙を眺めながら言った。

「好きな人は、大切な人になんだよ」

 煙じゃなくて星空を眺めながら言って欲しいセリフだった。

「ある意味、奇跡みたいなものかもしれないですね」

 師匠は顔を動かさず、俺に視線だけを動かして眺めた。

「できたてほやほやの新婚が、本当に心通わせる夫婦になるってのは。ただの好きな人が、本気で大事な人間になるって変化は。奇跡ばりに大きな出来事かもしれないですよ」

「葵がいたらボロクソに突っ込まれるセリフだな」

「死んでも言わないす」

 真顔で俺はつぶやいた。師匠はケラケラと高笑いした。

「でも奇跡っつうなら、おまえはアキラに起こしてやったかもしんねえな」

「俺がアキラにですか?」

 相変わらずドぎついタールのタバコを深呼吸ばりに吸い込む師匠を見つめて俺は言った。

「ああ。だっておまえのおかげでアキラは、兄ちゃんのことが好きになったんだからな」

 去り際にアキラは言っていた。俺たちと出会えて、ヌエボが楽しかったと。

「結果的にアキラはこの街が好きになった。だから、アキラの兄貴がアキラに伝えたかったこの街の幸せな時間が、アキラに伝わったって言えんじゃねえか」

 俺がアキラを幸せにするきっかけをつくることができたなら。それはそれで、俺にとっても。

「まあ、一番はアキラが自分で動いてここに来たからこそ起こった奇跡だ。アイツの奇跡はアイツ自身が起こした奇跡かもな」

 アキラが動いて、俺が動いて、そしてみんなが動いて。連綿とつながった不思議な連鎖。

「今朝までは顔も知らなかったガキが、いまの俺にとって忘れられない人間になったっての、思い返してみりゃ。それも俺にとっての奇跡みてえなもんかもしれないです」

「恥ずかしいセリフだなそりゃ」

 思わず顔が赤くなった。ランタンで照らされているから師匠にあっさり見破られ、師匠は高らかに笑った。

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水の都の見習いゴンドラ乗りの話(登場人物:不良とか格闘家みたいな男) @yugamori

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