第7話

逆漕ぎじゃなければもっとマシな運転ができていただろうにと、こっちに来て師匠に教わってからかなり凹んだ。だがいまは、それをフルに使ってやる。どんどん社長へ近づいていく。木板に乗って揺られているだけだから、このまま進めば追いつける。そのまま海に落ちないことをなにかに祈りながら、まっすぐに社長の元へ向かう。アキラと葵が大声で声援を送っている。違う声も混じってきた。あいつらの騒いでいるのを見て、観光客も野次馬になっているのだろう。見世物じゃねえよと思いながらも、オールを握る力に自ずと力が入っていく。もう少しでたどり着く。そう思った矢先に、波が少し揺らいだ。

 嫌な予感。顔を上げると、視認できる距離に大型コンテナが小さく目に映った。ほんの小さなサイズに見えるコンテナ。しかし、実際は何千ものコンテナを同時に輸送できる超大型船だった。あのサイズが航海しているということは。そう思った矢先、水面が大きくうねった。

「クソが!!!!!」

 思わず声に出た。巨大船の航海した後は嵐のような荒れ方をする。ゴンドラ乗りにとっての天敵でもあった。社長の乗った木板がどんどん離されていく。まずい。あのまま海に落ちると。海に飛び込んでも社長の位置まで泳いでいくのは難しい。ゴンドラが流されていく。こんな波をくぐれるのは、ゴンドラ乗りでも限られている。俺じゃあ到底無理だ。思わずうつむく。オールを持つ手から力が抜けていく。諦めるなんてのはなによりも嫌いだ。なのに、自分の力の無さが、社長から引き離されていく現実として俺の心を直球でエグり込む。

 自ずと頭に浮かんだ人物。あの人ならこの波でも。願望は、眼前の現実となった。


 どこからともなく魔術のように現れたゴンドラが、大荒れの波間を縫うように進んだと思えば。

 オールを水面に滑らせ、三日月を描くようにオールを大きく大胆に、まるでなにかの舞のように優雅に回転させて。

 社長の乗った木板を宙へと浮かせ、水の精霊と称されるアーロン・ブロンドの手に、吸い込まれるように社長が着地した。


 轟く歓声。振り向くと、岸辺にはいつの間にかできあがっていた観光客たちのギャラリーが喜びを表現していた。そのなかに混ざった葵とアキラが、大げさに周りの観光客とはしゃいでいる。ピンチの猫を救出、そしてその救出劇がまるで魔法みてえなオールさばきとくれば、ああなるのも仕方がない。現に、俺も見とれていたのだから。

 これが俺の憧れたゴンドラ乗り。そして俺の目標。動き一つで人々を魅了する。他人に心から尊敬した初めての相手は、いまなお俺の心を突き動かして止まない。しかも驚くことに、師匠。客乗せてやがる。若い男女、おそらく観光客のカップル。女が大はしゃぎで師匠に手を叩き、男の方も関心したように何度も頷いている。

「予定外の動きをしてしまい、誠に申し訳ございません。少し、船を揺らしてしまいました」

 轟くような声が届いた。師匠特有の、低く響き渡る声。そして明らかな接客用の話し方。あんな話し方俺にはぜったいしない。

 あと、客前だから一応気遣っているが、いや師匠からすれば揺れがあったのかもしれないが、おそらく乗っている側からすれば。

「まったく揺れなかったですよ! ビックリしちゃった!」

「猫ちゃんが流されてる時どうなるかと思いましたが、いやー、まさかオールさばきで救い上げるとは。先行していた彼が波に流された時は、僕もヒヤッとしたのですが」

 興奮気味のカップルが俺の方を見つめた。必死だったから気づかなかったが、おそらく付近に師匠のゴンドラがあったのだろう。そして俺の奮闘する姿も見ていた。そして流された俺に気づいて、とっさに師匠がやってきたのか。

 なんとなく師匠から視線を外す。訓練中ではないにしろ、ミスった姿を見られるのは気分がよくない。あとなにか言われそうで嫌だ。嫌味の一つでも客にチクったりするんじゃないか。

「彼もよく頑張りました。あの速度でゴンドラを安定して漕ぐのはなかなかできることではありません」

 予想外の褒め言葉。客前だからなのか、いつもなら言わないようなセリフ。分かっているはずなのに、内心喜んでしまっている自分がなぜか恥ずかしかった。絶対にバレたくない。

「でも、なんか不思議な感じがしたんだけどなんでだろう?」

「僕もなんだよな。なにか違和感を感じる運転だったんだが……なぜかな」

 二人して悩む声が俺の元に届く。逆漕ぎが理由だと気づかないように願いながら、なにごともなかったかのように岸へ向かって漕ぎだした。

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