第6話

3人して水路沿いの段差に座ってじゃがバターをつつく。俺が奢る羽目になったこの古風だが地味にヌエボのグルメとして人気がある湯気立ったイモを半裸の男3人で食べていると、前の水路を通る観光客とゴンドラ乗りが笑いをこらえているのが目に映った。葵は気さくに手を振り、アキラはいろいろと新体験に上機嫌で手を振り、俺は舌打ちしながら睨んだ。

「なんて愛想のねえ野郎だ! そんなんでゴンドラ乗りがつとまるのか!」

 ガンを飛ばす俺に葵がわざとらしく大声で言った。最悪だ。

「あなたが原因でこんなザマなんですから、せめてみなさんに笑顔を返してください」

 辞めるかゴンドラ乗りなんて? なんだこの状況は。

 半裸の男3人のやり取りを見て、ゴンドラはより和やかな雰囲気になっていた。旅の記憶として旅行客たちは半裸の男が騒いでいたと地元の土産にし、ゴンドラ乗りは自分の会社に戻ったらアリアカンパニーの弟子と彦屋の新入りが男児を挟んで半裸だったと楽しげに語るのだろう。

「この食べ物、美味しいです」

「お、アキラ気に入ったか? じゃがバターはホームじゃスラムフードって感じであんま一般には出回ってねえもんな。こっちじゃ名物なのに向こうじゃとんだ扱いだよなあ」

 葵はそう言ってじゃがバターに食らいついた。

「昔は家庭料理で当たり前だったんだよ。けど貧富の格差で裕福なエリアは他の食材が手に入りやいから、わざわざ安いイモを食う習慣がなくなっていったんだよ。で、金のないエリアでは重宝されるというか、仕方なく食われていったってのが一応の歴史だ」

 ホームでは嫌というほど食った。だがヌエボのじゃがバターは良質なイモが取れ、自然豊かな放牧地で育つ牛からは高級なバターも当然のように取れる。あの頃に食ってたのとは大違いだ。もはや別物。

「おまえそういう歴史とかうんちく意外と詳しいよな。そういうとこは尊敬するわ」

「それで話し方に気持ちがこもっていれば船上でのガイドも少しはマシになりそうなものなのですが、もったいないですね」

 なぜいつのまにか俺はこの3人組のなかで2対1で突っ込まれる立場になってるんだ?

「でも、なんだかんだで楽しかったです。ゴンドラを逆さまにされて水に落とされたときは何事かと思いましたが」

「んっとだよおい、ふつうに事故だぞ。でもアキラ友達だからぜんぜん大丈夫だもんな! な?」

 葵が思いっきり釣り上げた口でつくった笑みをアキラの顔の前に向けた。アキラは動じることなく、俺に再び顔を向けた。

「ホームではこういう経験はできないので。外に出歩くときは使用人がついてきますし、何か有事があればすぐに駆けつけてくれるので。僕にとっては冒険みたいで楽しかったです」

 親に知られたら確実にまずいだろと思いながら、おそらく葵もそう思ったらしく、同じような無表情で同じようにじゃがバターをゴクッと飲み込んだ。

「転んでヒザにすり傷一つで大騒ぎです」

 俺とアキラは黙り込んだ。空を渡る鳥の鳴き声がこんなに響いたのは初めてだった。

「言わないので大丈夫です」

 二人して同時に大きく息を吐いた。裁判沙汰にでもなったら終わる。安心した途端、楽しいと言ったアキラの言葉が頭に入ってきた。

「でも、楽しんでくれるってのはいいもんだな」

 ふと頭によぎったことを俺はつぶやいた。葵とアキラが俺を見つめる。

「俺はゴンドラ乗りの姿に魅了されて、俺の師匠に憧れて、ゴンドラ乗りになろうと思ってここに来た。はじめはアキラが言ったように不便さも感じたんだけどよ、その不便さもいつのまにか俺にとって大事なもんになって。不便ゆえに手を加えるだとか、ホームみたいに機械を導入しないようにしてるから環境汚染もないし。不便さもこの空気も俺にとっては大事なもので、そんなかで目標になるものもできて」

 そこまではなんとなく、自分にとっての魅力だった。けど、師匠以外の他人を乗せたのは今回が初めて。そして、その経験は俺にとってとても新鮮だった。そこで気づいたことが、あった。

「アキラ乗せて、いま喜んでんの見て思ったわ。俺、他人を乗せたことってなかったから、人が喜んでんのって俺にとってもデカイんだなって。まあ、ゴンドラ乗りで楽しませられたわけじゃねえから、次はそれが目標かも……んだよニヤつきやがってキモいぞ」

 葵のニヤついた顔を視界から外して沖を眺めた。

「恥ずかしいセリフ言いますやん兄さん」

「るっせえよ大事なことだろうが」

「意外と真面目ですよねお兄さん。だんだん見直していってます」

 はじめの印象がどんだけ低かったって意味だコイツ。

 二人の視線を外すために沖を無意味に眺める。夕日が沈むこの景色はいつ見ても心を穏やかにしてくれるが、いまはいつもみたいなゆったりとした心地に浸ることができない。ガキと悪友にニヤニヤ見られてどう穏やかになれっつうんだ。地平線の彼方、その手前になにかが浮いている。漂流物か。小さな木の板に、小さな影。白い猫が木板に乗って流されている。沖に向かって。よく見ると眉の位置が特徴的に黒い。まるで黒い太眉の、見慣れた白猫。

「社長じゃねえかよおい!!!」

 ゴンドラへ猛ダッシュし、乗り込みながらオールを蹴り上げて手に持つ。社長の方へ向かって、進行方向とは逆に構えてオールを水面に突き刺した。

「お兄さん! それじゃあゴンドラが前に進みません! 混乱し過ぎです! 逆に進んでしまいますよ!」

 アキラの叫ぶような声が耳に届く。頭のいいガキだ。一度乗っただけでゴンドラの仕組みがある程度わかっているのか、それとも単純に見て覚えていたのか。どちらにしろ優秀なヤツだ。嫌いじゃない。

「大丈夫だボウズ! アイツはあれが正解なんだよ! 間違ってんだけどな!」

 葵の大声に、おそらくアキラはきょとんとした顔を向けているだろう。それを確認している暇がない。いまは俺にとって一番早いやり方で社長の元へ向かう。

 オールを漕ぎ出す。通常の進行方向とは逆に向いた状態で、逆手にオールを持って。通常の方法とは逆に漕ぐ。そして、通常の方法よりも安定してスタートし、加速していく。少し遠くなったアイツらの声が聞こえた。

「早い……! さっきよりもぜんぜん船が安定しているように見えます!」

「よく見てんじゃん! その通りなんだよ! アイツはこっちに移住する前、ホームで自主練してたらしいんだけどよ!」

 葵の表情がなぜか頭に浮かんだ。どこか自信を感じさせる笑みをアキラに向けているだろう。

「間違って逆漕ぎで猛練習してたんだとよ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る