第4話

細い水路を避けて、大きな川のルートを遡っていく。橋をくぐりながら街の中へ続く水路をゆっくり漕ぐ。細い水路を練習したかったが、人を乗せているときにリスクのあるルートは避けたかった。客を乗せる練習にもなると思えば、いい船こぎかもしれない。

「お兄さん、下手ですね」

「降りろ」

「冗談です」

 まだまだ未熟な自覚はあったが、乗せている人間に、しかもガキにそう言われると地味にショックだった。

「おまえ旅行者だろ」

「はい」

「ゴンドラ、乗りに来たのか?」 

「別に。そういうわけではありません。家族旅行のついでです」

「まあ、ここに来たら乗るもんだからなゴンドラは。記念くらいでもいいんじゃないか」

「つまらないです。ゴンドラ」

「そうか」

 その意見にムカつくようなことはなかった。俺自身はゴンドラ乗りに誇りを感じるし憧れも抱いているし、なによりゴンドラに乗ることが好きだ。けれど全員がゴンドラに好感を抱いているわけではない。街中をゆったりと進むこの乗り物に刺激のなさを感じてあくびをする人間がいても、それは十人十色、人それぞれだ。ゴンドラに乗っている客がつまらなそうにしていれば、その人間を楽しませられないゴンドラ乗りの責任でもある。それくらいの分別はわきまえているつもりだ。曲がりなりにも、一応はプロを目指している。

「もっと早く進まないんですか?」

「ゴンドラだからな」

「なんでみんながこれに乗りたがるのか、分からないです」

「おまえぐらいの年頃のやつも、けっこう喜んで乗ってるぞ」

「そのへんの子と一緒にしないでください」

 そんなこと言いそうなガキだと思った。良くも悪くも年より大人びている。その分育ちがいい印象もあるが、ガキらしくなくて違和感もあった。

「どこから来たんだ? ホームのいいとこの出か?」

「いいとこ……世間的にはそうかもしれません。ここです」

 そう言ってゲームキャラのシールまみれのスマートフォンを見せられた。いいところ……どころか、ホームの最高富裕エリアだった。いったい親はなんの仕事してるんだ。

「ヌエボベネティアには初めて来ましたが、不便だとしか思えません。車も入れませんし、全部徒歩移動です」

「そのためにこれがあるんだけどな。でもまあ、言うことは分からなくもない。その不便さがいいってのもあるから、俺はホームよりこっちが気に入ってるんだがな」

「お兄さんもホームの人ですか?」

「出身はな。おまえが住んでるとことは天と地の差がある場所だけど」

「そんな感じがしました」

 失礼なガキだ。だが言い返せない自分が一番悔しい。

「不便さがいいってどういうことですか?」

 ガキ、アキラが顔を上げながら俺を見た。その仕草に子供らしさを感じて少し安心した。スマホのシールといい、当たり前だがところどころは年相応な子供だ。

「なんつうかな。全部自分でやるってとこがいいとでもいうか。キャンプやったことあるか?」

「はい。何度か」

「好きか?」

「嫌いじゃないです。普段やらないようなことをやるのが新鮮で」

「それに近いぜ。キャンプってのは不便さを楽しむってのがあるだろ。いちいち火つけたり、川に水くんだり。こっちは不便さゆえに、ホームよりも環境汚染も進んでない。その自然さが俺は好きでこっちに来た」

 ホームでは汚染どころか汚物のなかで暮らしていたようなものだから、よけいに。そんな話はここではする必要がない。このガキには一生無縁の世界だ。それが幸せだろう。

「分かるようで、分かりません」

 アキラが口をとがらせて街を眺めた。観光シーズンを外れた街並みには賑わいと静けさを併せ持った穏やかな時間が流れている

「なんで俺のゴンドラに乗ってたんだ?」

 ふと思い出した疑問。ただ遊んでいたようには見えない。そもそも、わざわざ電話して乗ろうとしていたんだ。アリアカンパニーを知っていて、師匠のゴンドラに乗りたい理由があったんだろう。

「いろいろ質問が多いですね」

 ため息交じりにアキラが言った。ふつうにムカついた。だが、客が乗っていた場合、こうやってウンザリされないようにあれこれ質問する必要もあるだろう。ある意味、というかふつうに勉強になっている。

「ゴンドラが来ましたよ」

 進行方向から別の会社のゴンドラ。見覚えのある青い髪。ゴンドラ協会所属の老舗「彦屋」の葵だ。

「よお。人さらいか」

 ニヤニヤと笑いながら葵がアキラを見て告げた。タチの悪い冗談が好きなあたり、ホームの仲間を思い出すようなヤツ。それゆえにこっちに来てすぐに連れになった。向こうも向こうでウマが合うと思ったらしい。

「はい。助けてください」

「マジで降ろすぞてめえ」

「どっちの方がゴンドラの運転は上手いですか?」

 俺と葵が目を合わせた。

「歴が長いし葵の方がうまいだろうな」

「じゃあそっちに乗ります」

「なんて野郎だ」

「降ろすんじゃなかったんですか?」

 ゴンドラの片側に体重をかけた。バランスを崩したゴンドラがグラつき、アキラは小さく悲鳴をあげた。

「なんてゴンドラ乗りだ!」

 アキラは真剣な口調で俺を睨みつけた。

「見習いだからうまくいかねーな」

「アンタに客なんてつきやしません。ウソですウソウソウソ!!!」

 さっきよりも体重を思いっきりかけてバシャバシャと揺れるゴンドラの上でアキラが必死に手すりにしがみついた。葵がそれを見てゲラゲラと笑った。

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