21
それほど敷地の広くない神社には、細い参道を覆うように、桜をはじめとした木々が植えられている。本堂以外にもぐるりと小さな社があちこちに立ち並ぶせいもあって、見通しはよくない。すぐ隣は歩道で、目の前にはマンションや戸建て住宅があるというのに、そこからは目の届かない場所がとても多いのだ。
参道から外れても同じこと、苔の生えた地面の上に行けば、ほんの数メートルで木隠れに姿も見えなくなる。
山田はそこに、㓛刀と千石を誘いだした。
「で、どこに隠してあるんだ?」
山田はもう本性を隠そうともしない。これまで㓛刀が関わったことのない人種、暴力で物事を捻じ曲げてきた非合法の世界の男だ。この裏の顔を、よくも二十年近くも隠し続けてこられ、だまされ続けてきたものだと、㓛刀はあきれた。見る目がない以前の問題だ。自分がきちんと見ようとしてこなかったのだ。
「それに答える前に、僕の質問に答えてもらいます」
「ダメだ。こっちが先だ」
初っ端から膠着だ。㓛刀は歯噛みをした。こういう交渉ごとは、圧倒的に経験値が足りない。
「実物の免許証は、今は所持していません。自宅にもありません。安全な場所に隠してあります。まず僕とちゃんと話をしてください。お返しするかどうかは、話の内容次第です」
「あの女と親子なだけはあるな。親子して、俺を脅そうってのか」
「脅していません。お話をしてくださいと、お願いしているんです」
「同じだろうが。人のこと、コソコソ調べて、余計なことしやがってよぉ。あんなもん一枚、たいしたことねぇんだよ。実際もう、今の免許証もなんもかんも、俺のこの顔にさし変わってんだ。それで何十年もやってきたんだよ。いまさらなあ、あんなもん一枚で、くつがえるわけないだろうがよ」
㓛刀は大きく息を吸った。肺が窮屈で、なかなか空気が入らなかったし、震えてぴりぴりもした。けれどこれは、自分自身が、腹にぎゅうっと力を入れて、口にしなくてはいけないことなのだ。
「でもそれを取り戻したくて、母さんを刺したんですよね」
山田は激高した。見てわかるほどに顔に血をのぼらせ、真っ赤になる。額に、首筋にも、血管が浮いた。白目はぎょろりと黄色く濁り、血走っている。
「んなことで刺すかよ! あの女はなあ、こんだけ俺が苦労してお膳立てしてやったのに、ろくな情報も取って来やしねえ。そのくせして、絞られるのはいつも俺だ。俺が悪いか? 違うだろ? あの女が無能なだけだろ? それがなんで俺のせいになるんだよ。そのくせあんな免許証一枚で鬼の首でも取ったような気になってよぉ。バカ過ぎにもほどがあんだろ?」
「……あなたは、ミハイルさんに叱責を受けていたんですね?」
「てめえにゃ関係ねぇだろうがよ。いや、あるな。使えるコマなんかいくらでも使ったらいいだろ? なんも知らねぇガキなんざ、ちょっと言い含めりゃ目ぇキラキラさせて尖兵になってくれるってもんだ。なのに、エレナのやつ、グズグズしやがって。自分はろくすっぽ仕事もできやしねぇくせに、笑えるよなあ、『私のことを達矢にバラすつもりなら、私はコレを持って警視庁に駆け込むから」ってよぉ。脅しにもなってねぇ」
「……脅されていたのが、母を殺した理由ですか?」
「なってねぇって言っただろうがバカが。クソ生意気にも楯突こうとしやがるから、ちょっと教育指導しただけだろ」
山田は目を真ん丸に剝いたまま笑った。人がそんな顔で笑えるなんて、㓛刀は今まで知らなかった。
「面白かったぜぇ! 虫みてぇに手足バタバタさせてよぉ。『なんで、なんで』って、なんでじゃねぇよ自業自得だろうがよって、ありゃあ笑ったなぁ!」
事実関係は予想していた通りだった。
けれど実際に、男の太い声で、興奮を隠さず語られる。それを聞くと、頭のてっぺんから血液がざっとすべて足元に落ちていくような感覚に陥った。血の気の失せた脳では、夜の暗さだけではなく、世界は鬱蒼として見えた。
「消されると思ってなかったのかねえ? 脅しにもなってねぇって言ったよなあ。『達矢にバラす』もなにもねぇ。エレナさえいなくなりゃ、ガキのオマエひとり、いくらでも好きにできるんだよなあ、こっちはよぉ。実際にオマエは、どこにも頼る人間もいねぇ、ぼっちだろ」
㓛刀は、意思を持って千石の手を握った。
たしかに数日前までの自分はそう考えていた。育児放棄気味の母からは放置され、付き合いの長い大人である山田も土佐も、母と仕事としてつながっている人間であって自分の人間関係ではない。高校、大学と、特に親しい友人もおらず、やりたいことも好きなこともない。ごく平凡で、地味な、流されて生きているだけの男。
今はそうではないとわかっている。自分が目を塞いでいただけだと。人からの好意も、悪意も。
「その、千石千早ってのも、いったいどこのまわしもんなんだ? 調べてみたが、一切素性がわからねぇ。どこの国のもんか知らねぇが、おおかた㓛刀達矢を引き入れて、ウチの国の弱みでも探ろうって腹だろ。言っておいてやるが、そりゃ無理だよ。そいつはなんも知らねぇ。引き入れる価値もないガキだ」
「引き入れるなんて人聞きが悪いな」
千石が口を開いた。
「それに私は日本のものだ。正真正銘、この国の土地に根差すものだ」
「……日本の、回しもんか」
明らかに誤解をしている山田は、敵意と侮蔑のこもった目で千石を睥睨した。
千石は、その程度では屈しない。
「私は責務がある。㓛刀に頼まれた。英玲奈を殺した犯人が、捕まるようにしなくてはならない」
暗い境内で、千石の白い髪はほのかに発光するかのように明るい。
「へえ、俺を捕まえる? お嬢ちゃんが?」
山田は嘲弄的だ。人を脅かすのが楽しくて仕方がないという下卑た興奮で、チノパンのポケットに太い指を突っこんだ。そこから出してきたのは、折り畳み式のナイフだった。
「ミハイルさんにはなぁ、達矢君のこと、始末しろって言われてんだよ。オマエ、何やったのか知らねぇが、ああいう人に逆らっちゃいけねぇな。そんな世間知らずだから、知らん間に親も死に、自分も殺され、彼女も奪われるんだよ」
山田がゆっくりと近づいてくる。木の根元を覆う苔が、山田の足音を消している。ゆらゆら、ナイフを見せつけながら、歩いてくる。
「安心しろよ、お嬢ちゃんはなあ、高く売れそうだから、大事にしてやるよ。達矢君はもうダメだな。ここで死んでもらうしかないなあ。免許証もなあ、がんばったんだろうけど、しょせん、達矢君が思いつくような隠し場所なんて、すぐに見つかるようなところだろうしなあ」
㓛刀は、向かってくる山田から一瞬も目を逸らさないようにと、息を殺した。心臓の音がばくばくとうるさい。勝手に手足が震える。
ここまでは予想通りなのだ。
「いまさらビビッてもおせえよ」
山田がナイフを振り上げた。銀色の軌道が頭上へひらめき、㓛刀に向かって振り下ろされようとする。
まず千石が動いた。山田の足へタックルをし、つかみかかる。そのまま浮き上がった。
「――はぁ⁉ な、なんだ、これ⁉」
突然空中に逆さづりにされ、パニックにならない人間などいない。山田は悲鳴を上げる。
その山田が状況を把握する前に、今度は㓛刀が山田の腕に飛びついた。ナイフを持った腕を両手両足で押さえつける。
「テメェ、くそ、はなせッ! はなせっつってんだろうがよぉ!」
㓛刀は罵倒されながらも懸命にすがりつく。凶器を奪い取ろうとしても、山田は渾身の力で握っていて、そう簡単には手放しそうにない。
「――数橋さん! 確保です!」
㓛刀は全力で叫んだ。
神社は無人だったはずだ。それが㓛刀の一声で、茂みから、社の影から、木の裏側から、人影が飛び出してくる。防弾チョッキやヘルメットで武装した物々しい警察官たちが、ずらりと銃口を山田に向けた。
「殺人未遂の現行犯だ。山田全、ナイフを捨てて投降しろ!」
鋭い一括が境内に凛々と響いた。数橋だ。
山田は呆気にとられたような顔をして、動かない。そのすきに㓛刀がその手から、搔きむしるようにしてナイフを奪う。山田の手から凶器が離れた瞬間に、警察官がどっと群れを成して襲い掛かってきて、数人がかりで山田を腹ばいに転がし、乗り上げ、両手を拘束し、手錠をかける。
警察官が矢継ぎ早に、逮捕時刻や、容疑の罪状、容疑者の権利についてなどを捲くし立て、山田を連行していく。
あっという間に、迅速に、テキパキとコトが進む。
㓛刀はそれを腑抜けに茫然と見ていた。苔の上、土の上で泥だらけになっていることに気づいたのは、山田がパトカーに乗せられて、行ってしまった後だった。
かわりのように、数橋が、㓛刀のそばに歩いてきた。
「犯人逮捕のご協力、感謝する」
「……こちらこそ、ありがとうございました」
㓛刀は深々と頭を下げた。
これが千石発案による、根回しだ。あらかじめ、数橋にはこの現場、神社へと、人員を配置してもらっていたのだ。
地面の上に座り込んだままだ。ジーパン越しに、尻に小石が刺さる。苔が吸った湿気が、じんわりと布に染みてくるようだ。
㓛刀の隣には千石が座っている。同じように地面に直接腰を下ろし、㓛刀へ微笑みかけている。㓛刀は達成感とともに、微笑み返した。
「……捕まえられましたね」
「本願、達成だな」
ふたりはぎこちない、小さなハイタッチをした。
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