ヤドリギ~偽りの幸せ~

桔梗 浬

不実の告白

「なんだ?」


 俺は酔っ払っていた。夜中の2時を少し回った頃だったから、家の電気が全部消えていることはそんなに気にならなかった。でも…。


 なんだ?この違和感…。部屋の明かりをつけて、部屋をもう一度見渡してみる。


 何かがおかしい。嫁の麻里香まりかの姿も、娘の由貴の姿もない。寝てる時間ではあるが、それにしても静かだ。

 実家に帰るって言ってたかな?出かけるって言ってたかな?


 俺はひたすら考える。でもそんな話をした記憶はないのだ。


麻里香まりか?」


 名前を呼んでみる。名前を呼ぶのも久しぶりだ。お互い”ねぇ〜。”とか、”おい”とか、"パパ"とか"ママ"、そんなんだったな、とふと思う。

 ベッドルームに行くといつも通り整えられたベッドが置かれている。もちろん、麻里香まりかの姿はない。何かが変だ。


 娘の部屋に行ってみる。そこで違和感の全貌を理解した。ここにあるべきものがないのだ。由貴の買ったばかりの勉強机、ベッド、おもちゃ、洋服…。全てがない。もぬけの殻なのだ。


「なんでよ?」


 俺は声を出していた。どうなってる?何が起きてる?酔っ払った頭をフル回転させて考える。由貴は4歳になったばかり。めちゃくちゃ可愛い年頃だ。4歳になったからお姉さんになる予行練習を始めたのだ。

 でも一人ではまだ眠れないといい、俺たちのベッドに忍び込んでくる。そんな時、必ず持っていた大好きなぬいぐるみも、どこにもない。


「出てったのか?」


 猛烈な悲愴感ひそうかんが、俺を襲う。でもそれだけじゃなくて、何だかほっとしている自分がいる。

 いつかこんな日がくるんだろうなって思ってたから。イヤ…むしろ期待してたのかも知れない。


 麻里香まりかと出逢ったのは、俺が叔母の会社を引き継ぐことになり、独立をする直前の職場だった。

 麻里香まりかは、とても綺麗な子で誰にでも優しい、その上しっかり者で秘書的要素を兼ね備えた誰もが心惹かれる、会社の中でも高嶺の花のような存在だった。


 興味がなかったと言えば嘘になる。


 その麻里香まりかが男にフラレたと聞いて、ちょっと気持ちが傾いたんだ。別に彼女の悲しみに付け込もうなんて思ってなかった。ただいつもは誘っても来ない飲み会に麻里香まりかが来た。それだけのはずだった。


 当時、俺には学生時代から付き合ってた子がいたし、それなりにふんわり未来を考え始めていたんだ。そろそろ男としてのケジメを…って。


 でもその気もちはあの日、そうあの日に違う方向に向いた。俺のケジメのベクトルは、全く違う方向へ傾いたのだ。


「赤ちゃんが、出来たの。」


 麻里香まりかは、俺とそういう関係になって少し過ぎた頃だったか、そう告白してきた。申し訳無さそうにそう言った。


 あの飲み会の夜、俺は麻里香まりかにお持ち帰りされた。正直、今思えば言い訳だけど、記憶が全くと言っていいほどない。でもきっとそう言うことなんだと理解した。


 そんな曖昧な関係からスタートした俺たちだったけど、麻里香まりかの告白は俺を男として幸せにした。


「俺と家族になってください。」


 俺に迷いはなかった。


 麻里香まりかは、あの時何て言ってたかな?思い出せない…。でも今こうして夫婦になり、由貴が産まれた。俺は本当に幸せだったんだ。仕事も、覚えることはいっぱいだったけど、順調だった。


 そう…あの日までは。


 何でこんなことが起きたんだろう。こんな事ってテレビドラマとか小説の中の話だけじゃなかったのか?


 俺は何もないソファーにどかっと座り、考える。テレビもない…ソファーとローテーブルだけが置かれた場所で。



 あれは…半年ほど前の事。


 由貴が滑り台から落ちて怪我をした。頭から血を流して。だから慌てて救急車を呼んだことがあった。

 命には別状がなかったけど、ちょっと大掛かりな手術もしたんだ。


 その時俺にとって、大きな事件がおきた。ベッドに書かれた文字、西崎 由貴 AB型。


 母さんも、お義母さんも、俺たちもバタバタしてた。でも俺はこの時知ってしまったんだ。


 俺はO型だ。多分、母さんも気づいただろう。


 それから俺は、あんなに可愛がっていた由貴に100%の愛情を注げられなくなってしまった。


 かわいくて、愛おしいとは思う。でも何かが違うのだ。


 そして、一番俺が変わったのは麻里香まりかに対して。俺は麻里香まりかの全てが嘘に見えて、何もかも信じられなくなってしまった。触れることも出来なくなってしまったんだ。

 あいつが作る料理も何もかも…。


 俺はクズだ。血の繋がりがないと分かったとたん、全てをリセットしたくなったんだ。

 でもそのモヤモヤした気持ちを麻里香まりかにぶつけることも出来ず、真剣に向き合って話すこともせず、気づいてないふりをして彼女を、彼女たちを避けた。


 仕事を言い訳にして。


 『パパ!』って呼ばれることも苦しかったんだ。


「俺が何をした?今まで通りの生活を君にさせてきたよね?」


 俺は怒りが湧いてきた。何も言わず出ていった麻里香まりかに。一通りの家具まで持ち出して消えた麻里香まりかに。

 でも半分は、これで俺はリセットできるのか?という安堵の気持ちがあるのも事実だった。


 冷静に考えてみる。がらんとした由貴の部屋。寂しさが、急に襲ってくる。もう二度とあの時のような幸せな時間は訪れないだろう。

 あの小さな手は、俺の指をしっかりと握りしめてた。柔らかくて、暖かくて甘えん坊な由貴。


「何も…何もしなかった俺が悪いのか…?」


 怒りにも似た感情が腹のそこから沸き立ってくる。


「お前は俺を裏切り続けてたのか、と問いただせば良かったのか? そう思うこと事態、俺の人間としての器が小さいってことを、お前の前で認めれば良かったのか?」


 気付いたら俺は涙を流しながら、ソファーで眠っていた。こんな時でも人は眠れるのだ。


 翌朝、俺は麻里香まりかに連絡をいれてみた。もちろん、電源も入っていない。既読にもならない。


 くそっ。俺が何をしたって言うんだ?



 そして何日か過ぎ、何もない生活を受け入れ始めた頃、急に麻里香まりかから電話がかかって来た。


 俺は電話に出ることさえためらった。一体何を今更話せばいいのだろう。行くな、帰って来てくれ?そう言えばいいのだろうか。

 イヤ…そうなって欲しいと、望んでいない自分がいる。


 じゃぁ、別れよう?


 それも何か違う気がする。わからない。気持ちに整理なんかつきやしない。


『もしもし…大空ともひろさん?』

「あ、あぁ。」


 彼女はしっかりと、迷いのない声をしていた。いつもの麻里香まりかの声。


『お願いがあるの。離婚届送ったので、都合の良い時に届けを出して欲しいの。』

「えっ? わけわかんないんだけど。電話で話すこと?(いきなり本題かよ。)」

『メールよりいいと思ったんだけど…。』


 麻里香まりかの声が遠くに聞こえる。俺に対して罪悪感が、あるという意思表示なのか…。


『もう…話すことはないかな?大空ともひろさん、何かある?』


 事務的な声が聞こえてくる。


「ごめんね。とか、今までありがとうとかないの?」

『あなたこそ、由貴の事や、私の事聞かないのね。』

「…。」


 俺は何も言い返せなかった。麻里香まりかが言っていることも本当だから。俺は彼女たちが今どうしていようが知らなくて良いと思ってた。知りたくもなかった。

 知ってしまったら、また手をさしのべたくなるかもしれない。そして帰ってきてくれって言ってしまうかもしれない。だって、この時代母子家庭で子どもを育てるのは厳しいだろう。俺の子じゃないけど…。


『私たち、いつもそう。相手の事を思いやっているふりをして、自分の事ばかり考えてた。私たちの間には、何もなかったの。今は、そう思ってる。だから別れるの。これ以上あなたが重荷を背負うことはないわ。それがいいでしょ?』


 俺は言葉につまる。麻里香まりかは、身を引いたのか?それとも、俺に説明することすら諦めたのか。

 そして俺は…。何を望んでいるのか…。


麻里香まりかがそうしたいなら、そうすればいい。」

『いつもそうだね。まるでそこに自分の意志なんてないみたいな言い方。』


 何なんだよ。俺にどうしろって言うんだよ!怒りがふつふつと湧いてくる。もうやり直せないし、やり直したくもない。きっとこれが本音。


 ただ、人としてそれが正しい行為なの?と問われれば、路頭に迷うかもしれない母子おやこを放り投げることに抵抗を感じるのだ。


 そして俺は、ちっぽけな自分に腹が立つ。


「生活…していけるのかよ?」


 あぁ、語尾に気持ちが表れちまった。俺から離れたら、生活できないんじゃないのか?って。何様だ?俺。こんな自分にも腹が立つ。


『へぇ~。心配してくれるんだ。意外。』

「なんだよ。」

『大丈夫。必要なものは持ってきたから。それと、お金の事とか揉めるのも嫌だから、離婚届を出すことで終わりにしましょう。それだけでいいから。』


 俺が慰謝料貰いたいくらいだ!って思ったけど、何もしてこなかった俺にも非があるんだろう。立場が変われば解釈も変わるのだから。


 俺は、分かったと言って電話を切った。この電話と、紙切れ一枚で俺たちは終わる。



 その後、風の噂で麻里香まりかが、男と暮らしてるって話を聞いた。相手は俺の知ってる奴だった。


 あぁ~そうか。麻里香まりかは最初から俺を宿り木にしてたってことだ。あいつが嫁さんと別れるまでの間の繋ぎ。子どもを抱え、生きていくための手段。

 なぜ、俺が選ばれたのかわからないけど、俺が麻里香まりかに興味を持っていたことを見抜いていたのかもしれない。


 俺はそう思うことで心が軽くなった。俺たちの間に、愛があったのかはもう確かめようがない。俺には少なからず情は存在していた。だから麻里香まりかたちが、生活が出来ていることにホッとした。


 そして…俺の手元には高額なクレジット払いの請求書が届いた。それは、300万を越えている。家族カードを使ったんだな。今月だけで済むとは…考えがたいが、仕方ない。

 あいつは俺の収入を知ってる。だいぶ前からコツコツ準備をしていたんだろう。由貴の勉強机だって、ベッドだってまだ用意するには早かったんだ。


 高い勉強料だ。仕方ない。綺麗に別れるためだ。


 女って賢い生き物なのかもしれない。俺は尊敬の気持ちすら沸き上がっていた。


 麻里香まりか、お前はすごいよ。



END




 

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