第21話 やっぱりきれいって言えない
月曜日の放課後になった。撮影した写真を判定してもらうために、俺は華音先輩の空き教室へと向かった。
彼女は机に浅く腰かけてタブレット端末をいじっていた。
「おや? 好花くんはあとから来るのかい?」
「ああ、いえ、あいつはちょっと体調が悪くて……」
ここには俺ひとりで来た。今朝、好花が暗い顔をしていたので理由を尋ねると、
『今日、華音先輩に写真を見せるんでしょ? そう考えただけで胃がきりきりと痛んで……』
と、みぞおちのあたりを手で押さえた。
好花は人に評価されることを極端に恐れる。せっかくうまく弾けるようになったギターも俺以外に聞かせることはなかったし。
というわけで、仮病ではなく本当に体調不良で欠席なのである。
――打たれ弱え……。
「彼女にお大事にと伝えてほしい。それで、写真は撮ってきてくれたかい?」
「あ、はい」
「ありがとう。ではBluetoothで送ってくれ」
スマホからタブレットに写真を送信する。
「では、拝見するよ」
と、俺に笑顔を向けた華音先輩。しかし写真のチェックに入るとその目は鋭くなった。無言で一枚一枚、じっくりと鑑定していく。
好花ほどではないにしろ、俺も緊張でいたたまれなくなる。
やがてすべてを見終えた華音先輩は、タブレットを脇に置き、難しい顔で腕を組んだ。
「ど、どうでした?」
「いい写真だね」
その言葉にほっとしたのもつかの間、華音先輩は言った。
「でもそれだけだ」
失望したようにゆるゆると首を振る。
「そ、そんな……」
などと言ってみたものの、べつにそれほどショックは受けていない。華音先輩の、まるで映画かミュージカルみたいな振る舞いに釣られてしまっただけだ。
しかし若干の悔しさはある。
「モデルはきれいだ。衣装には清涼感がある。ロケーションもいい。しかし『こうすればきれいに撮れる』というマニュアルに沿っている感じが強く、凡庸な印象を受ける」
――ああ、たしかに。
俺は前日、映える写真の撮り方を調べまくった。おそらく好花も。俺たちの凝り性なところが裏目に出たようだ。
「まあ、これがふつうだよ。奇跡はめったに起こらないから奇跡なんだ」
「……」
「協力してくれてありがとう。ああは言ったがもう好花くんにアプローチするのはやめるよ。お疲れ様」
俺の肩をぽんと叩き、華音先輩は出入り口へ向かう。
「ちょっと待ってください!」
俺は反射的に呼び止めた。ふだんの俺なら出さないような必死の声だ。
――だ、駄目だ。やっぱり釣られて言動にエモが帯びてしまう……。
華音先輩は立ち止まり、ゆっくりと振りかえる。その顔には薄い喜色が浮かんでいた。本当、無駄に絵になる人だ。
「その言葉を待っていたよ」
「い、いえ、べつにそんなんじゃないんですけど……」
なんだか恥ずかしくなってきて慌てて否定した。
「でももう一枚、見せてないのがあって……」
俺が思わず撮った、小さな子どもと楽しげに話す好花の、あの写真。
「いいだろう」
俺はタイムスタンプが最新のファイルをタブレットに送信した。
華音先輩が画面に目を落とし、眉間にしわを寄せた。
「これは……」
「ぐ、偶然というか、スナップ写真なんですけど。や、やっぱり駄目ですよね。はは……」
珍しく困惑したような表情をする。
「たしかにスナップだが……。美しさを求める者としてわたしもエロスには寛容だが、さすがにこれはカテゴリーエラーではないだろうか。動画だし」
「はい……?」
不審に思い、ファイルを開く。
好花のパンモロ動画が再生された。身体中に一気に汗が吹き出す。
「こ、ここここここれは違うんです! ハプニング映像です! 送ったのもハプニングで!」
ファイルの日付が最新だから最後に撮った写真だと思いこんでいたが、連続写真をスマホが自動で動画に変換したせいで、この動画が最新のファイルとして表示されていたようだ。
「本当はこっちです」
と、今度はちゃんと中身を確認してから送信する。
「拝見する」
華音先輩はタブレットで写真を開いた。
「……」
難しい表情。
――まあ、そりゃ駄目だよな……。
華音先輩は顔をあげ、きっぱりと言った。
「これは評価できない」
「で、ですよね~。被写体は遠いし、光源も意識してなかったし――」
「そういうことを言っているんじゃない」
「? じゃあどういう……」
「君はこの写真を――いや、彼女をきれいと思い、シャッターを切ったのではないか?」
「え、ええと……」
「返事はいい、その反応で分かった」
華音先輩は顎を撫でるように触り、しばらく考えてから言う。
「この写真は、恋する気持ちそのものだ。だから評価する資格はわたしにはない。言えることがあるとすればひとつだけだ」
「……なんですか?」
「彼女を大事に」
もやもやしていた感情をずばりと指摘されて俺は慌てるやら恥ずかしいやら、とにかく動揺した。
「そんなあれでは――」
「違うのかい?」
「……」
華音先輩は苦笑いした。
「いいヒントをもらったよ。被写体に恋をする。それくらい心を動かされなければ、美しさの向こう側にはたどり着けないのかもしれない」
「では」と言い残し、華音先輩は教室をあとにした。
俺はそのあともしばらく、その場を動くことができなかった。
◇
翌日の昼休み、俺と好花はまたプール脇の縁石に座り、昼食を食べていた。
写真の評価は昨夜、電話で済ませた。好花は、
『いやー、残念だったねえ』
と、さして残念そうでもない声で言った。
『ま、結果オーライだし、楽しかったし、よかったね』
ということらしい。
世間の評価は気にせず、自分が楽しめるかどうかをもっとも重視する彼女らしい言葉ではあった。
もちろん、最後の写真の件は伏せてある。
昼食を終えたあと、好花が思い出したようにスマホをいじり、
「見てこれ。わたしの女」
と、得意げな顔で俺に画面を向けた。
そこには二次元美少女キャラのイラストが表示されていた。前に見た金髪ツインテールの少女ではなく、銀髪ロングヘアーの大人っぽい女性だった。シーツにくるまり、妖艶な表情でこちらを見ている。
「前の女はもう捨てたのか。エグいな」
「捨ててない! ちゃんとキープしてる!」
「そっちのほうがエグいわ」
会話はいつもの調子だ。でもまだちょっと目をそらしてしまう。まあもともと、ふたりとも目をしっかりと合わせてしゃべるタイプでもないが。
「で、どうよ」
「髪のキラキラ感やシーツのしわがリアルだな。全体的に白っぽい絵面だけどうまく影を取り入れて単調になってないのも評価できる」
好花は呆れ返ったような顔になる。
「前より酷くなってない? 理屈っぽいの」
「お、気づいた? 語彙が増えて表現力が上がっただろ?」
「褒めてない! ――『きれい』の一言で済むのに」
「そればっかりは言えない」
「なぜ……」
好花はますます呆れた様子だった。
『きれい』という言葉を俺は使えない。その言葉は心の底から湧き出てきて、つい口から溢れてしまうような、そういう感動を伴う言葉って感じがするから――。
――するからだった。でも今は……。
俺はスマホのロックを解除した。待ち受け画面が表示される。
以前とは正反対の明るい壁紙。優しい笑顔で子どもと会話する好花の写真だった。
――でも今は……、俺の中で『きれい』の基準が上がっちゃったからな。
「なに見てるの?」
「べ、べつに」
俺は慌ててスマホをスリープさせた。
好花はいやらしい顔になる。
「あ、もしかして――」
「ばっ、ち、違っ」
「ぱ、パンツの写真、見てたんでしょ」
顔を赤くしてもじもじしている。
「し、仕方ないなあ。男の子だもんね。……いいよ、柊真が見たいなら……」
「いやふつうに違う」
「なんでよ! 見てよ!」
「なんの怒りだよ!?」
「だって恋人でしょ!」
ぷりぷりと怒る好花。俺が再び彼女を『きれい』と思う日は、しばらく来なさそうな気配だった。
ずっと恋人ができなかったら付きあおうか、と子供のころ約束した女友達がとんでもない美少女になって会いに来た話 藤井論理 @fuzylonely
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