第2話 転校生の正体

「やっ、久しぶり」


 転校生は嬉しそうに、そして少し照れくさそうに小さく手を挙げた。


「……」

「なに? どうしたの?」


 俺の動揺はさらに激しくなる。


 ――なんだよそのフランクな感じ。怖っ……!


 さすがネトスト。勝手に親しくなったつもりでいるらしい。


 これは難しくなった。無視や拒否をしたら逆上するかもしれない。体勢も、座った俺の前に立ちふさがる形だし、圧倒的不利である。下手を打てば逃げる間もなく正面からブスリ、だ。


 ここはうまくなだめすかして、人通りの多い場所に移動するほうがいいだろう。ついでに転校生に関する情報も得られればなおいい。


 友だちに接するように冗談交じりで会話し隙を作りながら情報も引きだす。


 ――大丈夫、俺ならできる。


 静かに深呼吸をして彼女の顔を見た。


「ええと、『久しぶり』というのは――」

「文字通りの意味だけど」

「俺が学校の人と話すのが久しぶりということで合ってる?」

「はずれてるよ!?」

「じゃあどういう」

「わたしと丸瀬が久しぶりに会ったってことに決まってるでしょ」


 決まっているらしい。いろいろとまったく心当たりがないのだが。


「大げさだな」

「大げさじゃないよ。わたしはずっと――」

「たった二時間前くらいなのに」

「……?」

「昼休みに目が合ったときのことだろ?」

「あれはノーカウント!」


 ノーカウントらしい。それ以前だと家の二階から目撃したときになるが、そういうことを言っているのではないだろう。


 というかやっぱり目が合ってたのか。ではつまり、あのときの微笑みは俺に向けられたものということになる。周りは「俺だ」「いや俺だ」と見にくい争いをしていたが、この俺が一人勝ちだったようだ。


 ――まっっっっっっったく嬉しくないがな。


「誰かと勘違いしてないか?」

「してない。だって丸瀬でしょ? 丸瀬柊真」

「それはそうだけど」


 ネトストなのだから名前くらい知っているだろう。住所だって知られていたし、当然と言えば当然だ。


「まあ、わたしもちょっと変わったし。仕方ないかも」


 彼女は鞄からなにかを取りだした。


 それはグレーの眼鏡ケースだった。中から眼鏡を出して、かけてみせる。


 大きな黒縁の眼鏡だった。野暮ったい印象のするデザインだが、彼女がかけるとそれすらもなにやら一流のお洒落に見える。


「どう?」


 と、眼鏡を指でくいっと押し上げる。


「どうって、すごく知的に見える」

「えっ? そ、そう……、ありがとう……」


 彼女はぼそぼそと礼を言った。少し頬が赤い。照れているらしい。褒められ慣れているだろうに、妙に初心な反応だ。


「じゃなくて! 思い出したかって言ってるの」


 ――『思い出したか』……? ということは以前、彼女が眼鏡をかけている状態で俺と直接顔を合わせたことがある……?


 人生の中で俺がしゃべったことのある血の繋がらない女子は、片手の指で数えて余るくらいだ。忘れるはずもない。


「これならどう? ほらっ」


 転校生は自分の髪をつかんで左右におさげを作った。そして口の中に空気を溜めて頬をぷくっとふくらます。チャーミングな変顔だ。相手がネトストじゃなければちょっとくらいはほっこりできたかもしれない。


 ――……?


 そのとき、それらの断片的な情報が頭の中でひとつの形を成した。


 声、眼鏡、おさげ、ふくらんだ頬、親しげな態度。それらの条件を満たし、かつ俺がしゃべったことのある血の繋がらない女子。


 ひとりの姿が思い浮かぶ。今の今までまったく及びもつかなかった可能性。


 それは彼女がネトストなどではなく、――宇多見好花であるということ。


 いや! でも、しかし――。


 ――違いすぎるだろ!!


 どこがどうなったらあの宇多見がこの転校生に――。


 ……いや。ダイエットして、髪を整え、眼鏡をはずし、身長が伸びれば、あり得なくはない……かもしれない。


 自信を持って肯定も否定もできない。


 ――……そうだ。


 思いついた。彼女があの宇多見であるか否かを確実に見極める方法を。


「ひとつ、質問いいか?」

「いいけど」

「正直に答えてくれ」


 俺は乾いたくちびるを舌で湿らし、その問いを口にした。


「深海監督の最新作は観たか?」


 さあ、どうだ。彼女が宇多見なら、きっと、きっと……!


「観てない」

「……なぜ」

「だって」


 彼女は急に早口になって言った。


「過去の名作も配信で手軽に観れる世の中なんだし、別に最新にこだわる必要なくない? 興味が湧いたときに観るのが一番だよ。楽しみにしてたから早く観たいっていうなら分かるけど。あ、でも、盛りあがってるときに観たいっていう意見は分からないかな。それって楽しみたいというよりは、感動を誰かと共有したいからだよね。作品の本質とはあまり関係ないでしょ。わたしは深く作品を楽しめればいい人だから、それなら別にみんなと合わせる必要ないよね。あ、丸瀬は別ね。同志だし」


 ――この面倒くさいオタクっぷり。やはり……!


「本当に宇多見なのか……?」

「やっと思い出してくれた?」


 彼女は呆れたような顔で腕を組んだ。


「思い出してはいた。でもあまりの変貌っぷりに脳が納得を拒否した」

「ちょっと痩せただけだよ」

「どこがだ! めちゃくちゃデb――ぽっちゃりだったろうが」

「なんで言いよどんだの」

「体型を馬鹿にするような表現は最近よく聞くポリコレ的にまずいかなって」

「親しい間柄でそこまでの気遣いは不要だよ。差別的な意図がないのは分かるしね。ポリコレは、理念には賛同するけど今の丸瀬みたいに表現の萎縮を招くし、エンタメを愛するひとりとして憂慮してる」

「分かる。でも宇多見しては――」


 穏当すぎる意見だな。そう言おうとしたとき、彼女は荒々しい口調でまくし立てた。


「ただし! 性別やらなにやらを変えて原作の設定を捻じ曲げるのだけは許さない! 自分が表現したいものは自分のオリジナルでやれ!」

「やっぱり宇多見だ!」

「納得した?」

「ああ、完全に」


 外見はとてつもなく変化したのに中身がまったく変わっていない。


 納得せざるを得ない。彼女は百%、宇多見好花にまちがいなかった。

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