第1話 可愛すぎる転校生

 Twitterのフォロワーたちが深海監督の映画最新作の話題で盛りあがっている。


 ――観てない……。


 俺は会話の輪の外からそれを眺めていた。


 観た、読んだ作品の感想をメモ代わりにつぶやいていたところフォローされ、フォローを返した人たちだ。その数は数十人。


 彼らは俺のマニアックなつぶやきを「知らなかった作品ばかりだ」と面白がってくれた。


 しかし多趣味な彼らは、俺が触れていないたくさんのメジャーコンテンツもチェックしている。


 故に今回のような現象が頻繁に起きる。相互フォローしているのに俺はまったく入っていけない。


 たくさんの人たちに囲まれているのに、なんだか寂しい。


『わたしそれ観てなんですよ』


 フォロワーのひとりのつぶやきに、俺は思わず「おっ」と声をあげた。


 俺と同じ性質のひとがいて嬉しくなる。


 と、思いきや。


『最近、相方ができまして』『ちょっと時間がとれなくて』


 別のフォロワーが質問する。


『相方ってまさかカノジョですか?』


 照れの絵文字。


『Twitterで知りあった子と』


『うおおお、おめでとうございます!』『おめでとう!』『爆発しろ』


 祝福の言葉が乱舞する。


 俺はぎゅっと目をつむり、天を仰いだ。


 ――まぶしい……。俺にはまぶしすぎる世界だ……。


 光に照らされたアンデッドのように、俺のメンタルはごりごりと削れていく。


 力尽きる前になんとか『いいね』を押してアプリを落とした。


 世間では同じ『オタク』でくくられる面々なのに、俺と彼らはあまりに違う。


 イスの背もたれに寄りかかり、部屋の天井を見上げた。


 ――映画、観なきゃ。深海監督と餡野監督のやつ。あ、それから春アニメの覇権もチェックしなきゃだし、みんなが遊んでるソシャゲも遊ばなきゃ。


 大きなため息が出る。


 観なきゃ、読まなきゃ、遊ばなきゃ。いつからこんなに受け身になったんだろう。でもそうしないと、学校だけでなくネットでもひとりきりになってしまう。


 ――あいつどうしてるかな。


 俺の脳裏には、小学五年生まで仲が良かったある女子の姿が思い浮かんでいた。


 毛量の多いもっさりとした髪をおさげにし、大きな眼鏡をかけた、地味でぽっちゃりした女子。名前は宇多見うたみ好花このか。あだ名は『オタみ』。


 俺たちの関係は阿吽、つーと言えばかー。まったく気を遣わない、まさにオタ友の中のオタ友だった。アマ○ラで古いアニメを発掘してはああでもないこうでもないと議論してたっけ。あいつといるときはこんな寂しさなんて感じる暇もなく、毎日が楽しくて楽しくて一瞬で過ぎ去っていったものだった。


 ――やべ、ちょっと泣きそう。


 妙にセンチメンタルになってしまった。気分を変えようと、立ちあがって伸びをする。


 ――そういえば……。


 俺はカーテンの端を少しだけめくり、窓の外を覗いた。


 ――やっぱりいる。


 夜道に人影がある。濃い色のジャージを着た小柄な人物だ。


 ここ三、四日、毎日のように我が家の前に姿を表している。


 それだけならまだいい。そいつはそろりそろりと玄関に近づいては離れ、近づいては離れを繰りかえす。なにをしたいのか分からない。なにかの儀式だろうか。とにかく不気味だった。


 ――なんかあったときのために一応動画に撮っておいたほうがいいかもな。


 カメラアプリを起動し、画面にそいつを収めてズームする。そして録画ボタンをタップした――そのときだった。


 過去数日とは違い、今日は雲が少なかったらしい。玄関前まで近づいたそいつの姿を、月明かりが照らしだした。


 そいつは女だった。髪の長い、若い女。年齢は多分、俺と同じくらい。


 ということは俺が目的だろうか。しかし俺を訪ねてくるような女の知り合いなどいないし。


 ――ストーカー……?


 女と接点がなくても、身に覚えのない逆恨みでストーカー化する可能性はゼロではない。あるいはネットストーカーがリアルで行動に出たか。


 背筋がぞわっとする。


 彼女はふと、斜め上――つまり、俺の部屋のほうを見上げた。


 ――っ!


 俺は慌てて身を隠した。


 心臓がばくばくと暴れている。俺は震える手でスマホを操作し、今しがた撮影した動画を再生する。そして女がこちらを見た瞬間に一時停止し、スクリーンショットを撮った。


 俺は困惑した。


 まったく知らない女だった。しかし俺を困惑させた理由はもうひとつある。


 それは彼女の容姿がまるで女優やモデル……、いや、月明かりに照らされた彼女はそれ以上のなにか――そう、たとえばかぐや姫のような見目麗しい容姿だからだった。





 ――しかしネトストはネトスト。


 昼休み、学校の体育館裏でひとり食事をとりながら、俺はうんうんと頷いた。


 顔が整っているからなんだというんだ。免罪されるわけでも俺の恐怖心が中和されるわけでもない。


 証拠の画像もしっかりと押さえた。行為がエスカレートするようなら、しかるべき手段をとろう。


 ――まあ、向こうも撮られたって気づいただろうし、もう来ないかもしれないしな。


 などと楽観的に結論し、空になった弁当箱を鞄に入れて俺は体育館裏をあとにした。


 一年生の教室のある二階に着くと、廊下に人が溢れていた。B組の前に人だかりができており、みんな首を伸ばして教室の中を覗きこんでいる。


 ――そういえばB組に転校生が来たんだっけ。


 午前の授業の休み時間、クラスメイトがちょっと興奮したように話しているのを小耳に挟んでいた。なんでもとてつもなく可愛い女子らしい。


 ――失礼な話だな。


 興味があるのは分かるが、人を見物するなんて趣味が悪い。動物園の動物じゃあるまいし。


「……」


 ――いやこれは『可愛い転校生』というメジャーコンテンツへの逆張りとかじゃなくてだな……。


 誰にともなく心の中で言い訳しながら、俺は人だかりの横を通りすぎる。


 と、そのとき、なんの偶然か人垣が割れ、教室の中が見えた。


 長い髪の少女が背筋を伸ばして座っていた。窓から差す陽の光がまるでスポットライトのように彼女を照らす。そのたたずまいは映画のワンシーンか、はたまた絵画のようだった。


 その絵画の少女はふと横――つまりこちらに顔を向けた。


 目が合った、ような気がした。


 彼女は微笑んだ。


「っ……」


 時間が止まったような感覚。しかしそれは一瞬の出来事だったのかもしれない。すぐに人垣が再構築され、彼女の姿は見えなくなった。


 俺の周りの男子たちはしきりに「俺と目が合った!」「いや俺だ!」とか「俺に微笑みかけた!」「いや俺だ!」などと無益な言い争いをしている。


 熱くなる彼らとは逆に俺は凍りついていた。


 なぜならその転校生は、昨晩のネトスト女、その人だったからだ。





 放課になった瞬間、俺は教室を飛び出し、学校を出た。


 ネトスト女から一刻も早く距離をとらなくては。その一心で。


 まさかこんなに大胆な行動を、こんなに速やかにとってくるとは予想だにしなかった。


 しかしこれではっきりした。標的は俺だ。


 次はいったいなにをしてくるのか。いきなり学校に乗りこんできたのだ。次は――。


 ――いきなり背中からブスリと……。


 全身に鳥肌が立った。


 俺は駆け足になる。


 ――でも、まっすぐ帰っても……。


 自宅住所はすでに知られているのだ。最悪、鉢合わせになるかもしれない。一度どこかで時間を置いて、それから帰ったほうがいい。


 俺の足は自然と、ある場所へ向いていた。


 そこは俺が生まれるずっと前に廃線になった鉄道の線路跡地を利用した遊歩道だった。道の半ばほどにあるベンチにへたり込んみ、荒くなった息を整える。


 ここは俺が子供のころからお気に入りの場所だった。今もたまに寄り道している。左右に林があるため静かで、ときおり近所の住人が犬の散歩をしているくらいで人通りも少なく、落ち着くからだ。


 しかし子供のころ、ここに寄っていた理由は今とは違う。『気の合うオタ友』と合流し、学校が終わったあと家に帰るまでのアディショナルタイムを目一杯楽しむためだった。


 今もここに足が向いてしまうのは、そのころの気持ちを忘れられないからなのかもしれない。心のどこかで、あいつが大きな身体を揺すってどたどた走ってくるのを期待しているのかもしれない。


「丸瀬!」


 そう、そしてそんなふうに嬉しそうな声で俺の名を――。


 ――……え?


 一瞬、ノスタルジックに浸る俺の脳が聞かせた幻聴かと思った。


 しかしそれにしてはあまりにリアルすぎる。そこで考えられる可能性はふたつ。


 ひとつは、俺の脳がやばい。


 もうひとつは……。


「丸瀬?」


 いや、もう可能性を吟味する必要はない。その声ははっきりと鼓膜を揺すった。


 俺は振り向く。


 ――宇多うた……!


 声の主と目が合う。


 ――……


「ひっ……!?」


 思わず口から悲鳴が漏れた。


 そこに立っていたのは、宇多見とは似ても似つかない、今学校でもっとも話題のメジャーコンテンツ――隣のクラスに転校してきた『可愛すぎる転校生』だった。

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