第84話 10/27 書影公開記念SS(1)

 コンコン──というドアをノックする音で、アシュレイは書類から目を離した。

 

 入室を許可すると、部屋に入ってきた家令が、恭しく一礼する。


「お仕事中に申し訳ございません、旦那様」


「いや、構わない。どうした」


「今し方、イアンお坊ちゃまの家庭教師の先生が、面接にいらっしゃいました。ですが、その……」


 いつもハキハキと話す家令が、珍しく口ごもる。

 何事かと思い尋ねると、彼はやや困った顔で告げた。


「実は、いらしたのは女性の先生でして……」


「女性? 職業紹介所には、男性教師をと念を押していたはずだが……まさか……」


「いいえ、そうではないようです。紹介所から直接、面接の連絡を受けておりましたし、紹介状もきちんと確認しましたが、正規の物でございました」

 

 過去に、わざわざ偽の紹介状を作って面接にやってきた女性がいたため、今回も偽造かと疑ったが、どうやら本物で間違いないらしい。


「であれば、紹介所の手違いか。それで、その女性は今どこに」


「門前払いするわけにもいかず、とりあえず応接間でお待ちいただいております。先生には、わたくしから事情を説明してお断りいたしましょうか?」


「いや、俺から直々に話すことにするよ」


「かしこまりました。今お茶をお出ししたばかりですので、もう少ししてからがよろしいかと」


 茶を飲む時間も与えず屋敷を追い出すのは忍びない。

 アシュレイは「そうだな、分かった」と素直に頷いた。


 家令が再び一礼して、部屋を出ていく。


 アシュレイは椅子の背もたれに身体を預け、「ふぅ」と溜息をついた。


 正直、女性と話すのは気が重い。

 

 これまで我が家にやってきた女性家庭教師はみな、なにかしら問題のある者ばかりだった。


 教師として雇ったにもかかわらず、イアンに見向きもせず、自分の機嫌を取ろうと必死になる者。

 なにを勘違いしたのか「私は未来の夫人なのよ」とのたまい、使用人に横柄な態度をとる者。


 不採用を言い渡した途端、火が付いたように泣きじゃくり、「絶対帰らないもん!」と駄々をこねて応接間に籠城する女性もいたな……。


(あれは、本当に参った)


 その時の苦労が思い出され、アシュレイは顔をしかめた。


(あまり待たせて騒がれても面倒だ。気は進まないが、そろそろ行くか)


 手違いとはいえ、相手はわざわざ当家まで足を運んでくれたのだ。

 なるべく穏便に済ませるためにも、事情をきちんと説明した上で、誠実に謝罪し断るのが上策だろう。


 

 廊下を進み応接間に近づくにつれて、楽しげな声が聞こえてくる。


(この声は、イアンか?)


 不思議に思っていると、部屋の前に侍女と家令が立っており、薄く開いた扉の隙間から中を窺っていた。


「そんなところで、なにをしているんだ?」


 そう声をかけると、ふたりはハッと顔をあげて、口元に指を当てる。


「旦那様、お静かに! 今、イアン様が家庭教師の先生とお話していらっしゃるんです」


「なぜイアンが?」


 侍女と家令の話によると、イアンが「僕、あたらしい先生、見てみたい! あっ、アシュレイにはナイショだよ!」と言って、ひょっこり侍女の後ろをついてきて、あっという間に応接室のソファに座ってしまったらしい。


 ふたりは、家庭教師が万が一にもイアンに暴言や暴力を振るうことが無いよう、すぐに止めに入れる場所で密かに様子を見守っていたらしい。


「それで、中の様子は?」


「今のところ、和やかな雰囲気でございますよ。明るく優しそうな先生で、イアン坊ちゃまも楽しそうにお話されております」


 人見知りなイアンが楽しそうに大人と会話をするとは、珍しいこともあるものだ。


 どのような女性が面接に来たのか、アシュレイも僅かに興味を抱いた。

 といっても、警戒を解くつもりは毛頭無いが……。


「イアンのワガママに付き合わせてすまなかった。あとは俺が対応するから、仕事に戻ってくれ。事情説明は手短に終わらせるから、俺の分の茶は要らないよ」


「はい、旦那様。かしこまりました」


 家令と侍女はその場を離れ、アシュレイはノックの後、応接間の扉を開いた。

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