第83話 エピローグ

 数年後――。

 

 仕事が休みだったアシュレイは、屋敷でのんびり過ごしていた。

 

「すぴぃ〜すぴぃ〜。――はぁう!」


 アシュレイの腕の中で、さっきまでスヤスヤ眠っていた赤ん坊がパチリと目を覚ました。


 柔らかなブロンドの髪に大きな青い瞳。キョロキョロ視線を彷徨さまよわせたあと、一点を見つめて「う~~」と手を伸ばす。


 赤ん坊が見ていたのは、写真立てが所狭しと飾られている部屋の一角だった。

 

 運動会の徒競走で一位を取り、泥だらけでピースするイアン。

 国立劇場公演で主演を務め、楽屋でイアンに花束を贈られ微笑むビクトリア。

 夏休みに三人で南の島に旅行へ行った時の写真。

 

 結婚してから写真撮影が趣味となったアシュレイが、数年かけて撮りためた宝物ブースだ。

 

 ひとつひとつ見せていると、赤ん坊が「あぅあぅ」とお喋りを始めた。


 相変わらず何を言っているのか、さっぱり分からない……。

 が、一生懸命なにかを伝えようとする我が子に、自然と頬が緩む。


「これはパパとママが結婚したときの写真なんだ。ほら、イアンお兄ちゃんも映ってるよ」


「にぃ、にぃ!」


「レティがもう少し大人になったら、おめかしして四人で家族写真を撮ろうか」


 アシュレイの問いに、娘のレティが目をまん丸くさせて頷く。


 こんな幼い赤ん坊に言っても分からないと思いつつ……。


 ひょっとしたら、うちの子は優秀だから大人の言葉も理解しているんじゃないか……なんて思ってしまうのは、親馬鹿だろうか。

 

 

 ――まさか、自分が家族を持ち、幸せな日々を送れるとは思わなかったな。


 愛情とは無縁の人生を歩んできた。

 それなのに今では愛娘も授かり、四人家族に。


「人生は何が起きるか分からないな」


 しみじみ呟いていると、玄関の方から賑やかな声が聞こえてきた。


「レティ。ママとイアンが帰って来たみたいだよ」


 そう言っている間にも、ドアの向こうからイアンがひょっこり顔を出す。


「ただいま! 着替えて手洗ってくる! レティ、待っててね!」


 ワンパク怪獣の賑やかな足音が一瞬遠ざかり、ほどなくして戻ってきた。


「お待たせ、レティ。にぃにぃが抱っこしますよ!」

 

 ソファに座ったイアンは、慎重に妹を抱きかかえると、優しい笑顔を浮かべながら「可愛いねぇ」「美人さんだねぇ」といつものように語りかけた。


 念願の妹誕生から、イアンは毎日ご機嫌だ。我が家で一番レティに「かわいい」と言っているのは、イアンかもしれない。



「ふふっ、イアンはすっかりレティに夢中ね」


 部屋に入ってきたビクトリアが、ほほ笑みながらアシュレイの隣に座った。


「だね。それで? 子供劇団の面接はどうだった?」


 アシュレイの問いかけに、ビクトリアが「じゃーん!」と言ってカバンから紙を取り出した。そこには『イアン・クラークくん、合格』と書かれている。


「すごいじゃないか!」


 アシュレイが手放しで褒めると、イアンとビクトリアは揃って胸を張った。


「ふふん! 僕にかかれば、子供劇団の面接なんてヨユーさ」

「そうそう!余裕よ!」


 ドヤ顔でふんぞり返る二人。血は繋がっていないものの、ビクトリアとイアンはとても良く似ている。無邪気で明るい仕草なんてそっくりだ。

 

 家族は似てくるというが、本当だなとアシュレイは微笑んだ。


 

 国立劇場の舞台に立つビクトリアを見て、イアンが『演劇をやりたい』と言い出した。

 

 ちょっと前までは「アシュレイみたいな凄い騎士になる!」と言っていたのに、最近の夢は「ビッキーみたいなカッコイイ俳優になる!」ことらしい。


 さらにキャシーが演劇好きということも相まって、イアンは俄然がぜんやる気だ。


 アシュレイもビクトリアも、息子の不純な動機に苦笑しつつ、奮闘をほほ笑ましく見守っている。


 無事に子供劇団に合格し、夢の第一歩を踏み出したイアンはご機嫌。そんな兄の様子に、妹のレティもきゃっきゃとはしゃぐ。

 

「レティ、僕のことお祝いしてくれるの? 良い子だねえ。可愛いねぇ」


「にぃ、にぃっ!」


「よし! にぃにぃがお歌をうたってあげよう!」


 すっかりご満悦なイアンが、自信たっぷりに童謡を歌い始める。

 

 その歌唱力はお世辞にも高いとはいえず……。音程の外れまくる歌を聞きながら、アシュレイはちょっぴり苦笑した。

 

 隣に座っているビクトリアが、こそっと耳打ちしてくる。


「『イアン君は、演技力は素晴しいのですが……お歌がちょっと』って、劇団長に言われたのよね。お家で歌の練習して下さいって。あなたが教えてあげて」

 

「俺は歌なんて無理だよ」


「ダンスの時も渋っていたわよね? 本当は歌も上手なんでしょう?」


「歌は本当にダメなんだって」


「そう言われると聞いてみたくなるわ。ねぇ、少しで良いから歌ってみて! お願い」


 ちょっと意地悪な顔で上目遣いにおねだりしてくるビクトリア。


 小悪魔な妻の誘惑に弱いアシュレイは、思わず頷きそうになるのをぐっと堪え「駄目だよ」と首を横に振る。

 

 美声な彼女の前で、自分の音痴を晒すなんて恥ずかしすぎる。

 男はいつだって、好きな人の前では格好つけたい生き物なのだ。

 

 ビクトリアが「なぁーんだ、残念!」と言って、少し口を尖らせた。可愛い。

 

 気付けばアシュレイは「心配だ」と呟き、物憂げなため息をついていた。

 

「何が心配なの? 悩み事?」

 

「君に悪い虫がつかないか心配なんだ。子供劇団への付き添いは、次回は俺も行くよ」


「ええ? 私ひとりで大丈夫よ?」


「君は昔から魅力的だったけど、レティを産んでからますます綺麗になった。世の男が君に惚れたら大変だ。一人じゃ危険だよ」


 ストレートに褒めると、ビクトリアは頬を染めて「ありがとう」と呟いた。恥ずかしがり屋な所は何年経っても変わらない。あと鈍感なところも。

 

「悪い虫なんて付くわけないじゃない。私、既婚者だし子供もいるのよ」


「はぁ、君は自分の魅力に無自覚だから困る。俺が二人いたら、こんな美人は放っておかない」


「ふふっ、あなたが二人居たら、毎日二倍口説かれて大変だわ。それに、救国の英雄の妻に手を出そうなんて命知らず、この国に居ないわよ。あと――」

 

 イアンがレティにメロメロになっているのを横目で確認すると、ビクトリアは顔を近づけて、そっと唇にキスをした。


 驚くアシュレイの顔を見て、ふふっと可憐にほほ笑む。


「私があなた一筋だってこと、知ってるでしょう?」

 

 豊かな金の髪をかき上げ、色っぽくウィンクする妻は想像を絶するほどセクシーで魅力的だった。


 あぁ、参ったな。

 自分は一生、彼女には敵わない。

 

「まったく、君はなんて罪な女性なんだ。いったい俺を何度惚れさせれば気が済むんだい?」


「死ぬまでずっと、って言ったら重い?」


「いいや、全然。そんなの当たり前だろう?」

 

 心のままに告げると、ビクトリアが嬉しそうにはにかむ。ちょっぴり照れたように笑う癖が愛おしい。

 

 嘘でも冗談でもなく。自分は死ぬまで、いや……きっとその先も、何度だってビクトリアに心惹かれるのだろう。


「レティがもう少し大きくなったら、四人で写真を撮りに行こうか」


「いいわね! そういえば、店長が新しい魔道写真機を仕入れたって言ってたわ」


 楽しみね――!とビクトリアがほほ笑む。その側ではレティとイアンが、無邪気な声をあげてはしゃいでいた。


 

 家族が集まるリビングに、昼下がりの柔らかな陽光が差し込む。

 光溢れる空間に、クラーク一家の楽しげな笑い声がいつまでも響いていた。

 



 ~ Fin ~


ラストでお読み下さり、誠にありがとうございました!

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