第79話 地獄から舞い戻って参りました

「アシュレイ様に何をしたの」


「僕は何もしていないよ。言いがかりはやめておくれ」


「全部あなたのせいなのね。私への復讐のつもり? であれば、恨む相手を間違えているわ」


「なんだって?」


「婚約破棄して私との関係を終わらせたのは殿下です。恨むべきは、私でもアシュレイ様でもなく、過去のあなた自身よ」


 毅然と言い放つと、オスカーが怒りで顔を真っ赤に染め上げた。眉間に盛大にしわを寄せ、奥歯をギリッと噛みしめる。


「さすがに温厚な僕でも我慢の限界だよ。僕はね、他人に侮辱されるのが大嫌いなんだ。そうやって反抗的な態度を取るところが、君とアシュレイはそっくりだよ。――反吐が出る」


 オスカーは小声で口汚く私を罵ると、衛兵たちに向かって叫んだ。


「この女を捕らえろ! 処刑日が決まるまで、絶対に牢から出すな! あぁ、そうだ。クラーク家の屋敷にいる子供も捕らえ、二人まとめて牢獄送りにしろ」

 

 この人、イアン様にも手を出す気なの!?


 早く屋敷に知らせて逃がさなきゃ――。


 だが、私を拘束しようと衛兵の手が伸びてきて、進路を阻まれる。

 

 

 ――アシュレイ……アシュレイ……!

 

 心の中で、愛しいひとの名を呼んだ瞬間――大広間の扉が勢いよく開け放たれた。

 

 人々が一斉に広間の入り口を見やる。

 

 あまたの視線に晒されながら、救国の英雄はマントをひるがえし凜と胸を張って、堂々と広間の中央を歩いた。


 頭や腕に包帯が巻かれているものの、彼の足取りは軽やかだ。

 怪我をしてはいるが無事な様子がうかがえる。

 

 

 ああ、良かった。

 生きて、帰って来てくれた……。


 安堵のあまり私の目から涙がこぼれ落ちた。

 

 

「アシュレイ・クラーク。ただいま帰還致しました」


 国王陛下と王妃殿下の前で優雅に膝を折ったアシュレイは、胸に手を当て、深々とこうべれる。


 壮健な姿を目の当たりにしたオスカーは、まるで幽霊を見たかのような驚愕の表情を浮かべていた。


「貴様……なぜ、ここに……」


「あなたに崖から突き落とされ、死んでも死にきれず地獄から舞い戻って参りました」


「僕が貴様を崖から突き落としただと? でっ、でたらめを言うな! どこにそんな証拠が……」


「証拠ならございます。ロジャース――!」


 アシュレイが名を呼ぶと、広場にもうひとり男性が現れた。

 

 御前にひざまいた騎士を見た途端、オスカーの顔が驚きを通り越し、絶望に染まった。顔面からダラダラと冷や汗を流し、「な……なんで……」と掠れた声で呟く。

 

「あの戦場で一体なにが起きたのか、この者に説明させたいのですが、発言をお許し頂けますでしょうか」


 アシュレイの問いに、陛下が物々しく頷く。

 

 するとひざまずいて頭を垂れた男性騎士が、静かな声で語り始めた。


「わたしは、オスカー殿下の親衛隊長を務めておりますロジャースと申します。わたしは……許されざる罪を犯しました」


 声を震わせながらも、必死に経緯を話すロジャース。


「殿下に『アシュレイ・クラークを殺せ』と命じられたわたしは、戦場のどさくさに紛れ、アシュレイ様を背後から斬りつけました。そして海へ突き落とそうと……。ですが、オスカー殿下に思いっきり蹴り飛ばされ、アシュレイ様共々、崖から転落いたしました」


 オスカーが「でたらめを言うな!」と叫び、言葉を遮る。だがロジャースも負けじと、事件の真相を語り続けた。


「いいえ、全て事実です! 拒否すれば家族を殺すと脅され、命令に従いました。しかし、まさか口封じのために自分も殺されるとは思いもしませんでした」


 家族を守るため命令を実行したロジャースだが、剣に迷いがあったため、アシュレイに深手を負わせることは出来なかった。


 そしてオスカーに突き落とされ、崖から転落したかのように見えた二人だが、間一髪、岩肌にしがみつき、事なきを得たという。


 事件の顛末を話し終えたロジャースは、深くうなだれ「申し訳ございませんでした」とかすれた声で謝罪した。

 

 人々は、事件に巻き込まれたアシュレイとロジャースに同情し、悪事を企てたオスカーに怒りと非難の眼差しを向けていた。


 それはオスカーの両親である国王陛下と王妃殿下も例外ではなく――。


 特に国王陛下は、事態をこれ以上なく重く見ている様子だった。

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