第75話 さようなら、救国の英雄殿

「敵艦の大半は沈没しましたが、数隻、こちらへ向かって来ています。我々は崖上に陣を築き、登って上陸しようとしてくる敵兵を一掃。背後にある街を守り抜くのが使命です」


「分かった。僕も掃討作戦に参加する。手柄もなく王宮に戻れば、兄上に嫌味を言われるからな。――ロジャース。話がある、付いてこい」

 

 オスカーに呼びかけられた親衛隊の男は、どこか緊張した面もちで頷き、共に第二王子専用の幕舎へ消えていく。


 ほどなくして、不気味なほほ笑みを浮かべたオスカーと、顔面蒼白のロジャースが戻ってきた。


 一体、この二人は何の話し合いをしていたのか。

 嫌な予感に胸がざわつく。

 

 だが問いただす間もなく、オスカーは自身の専属近衛兵――通称『親衛隊』の面々に出陣を命じた。


 危険な前線に王子と親衛隊だけで向かわせる訳にはいかない。

 オスカーが不審な行動をしているのなら、尚更自分が見張っていなければ。


 アシュレイは指揮をジェイクに一任し、オスカーと共に出撃した。


 

 消化試合的な掃討作戦とはいえ、断崖絶壁の前線では激しい戦闘が繰り広げられていた。


 崖をよじ登り襲い来る敵兵。

 敵味方入り乱れる混沌とした戦場。

 

 無数の叫びと怒号が飛び交い、辺りはむせかえるほどの血と硝煙の匂いに包まれている。


 屍の上を飛び越え、群がる敵兵をアシュレイは馬上から槍の一振りでほふった。

 

 その時、近場から「ひぃぃっ」という情けない声が聞こえてきた。


 見れば、オスカーが馬上でぶるぶる震え「来るなッ、来るなぁッ」と叫んでいる。


 怖いのなら黙って自陣へ逃げれば良いものを。

 

 悲惨な状況を目の当たりにして恐慌状態パニックに陥ってしまったのか、オスカーは何故か前方へ駆けだした。

 

「殿下、そちらは崖です。危ないのでお戻り下さい――!」


 必死に叫ぶが、錯乱したオスカーには届かない。それどころか、馬の腹を蹴り、戦場の奥へ奥へと走り続ける。


「チッ、あの暴走王子、何を考えているんだ」


 アシュレイは思わず舌打ちした。だが冷静さは失わず、愛馬をって追いかける。


 王子を守るはずの親衛隊は、みな練度が低く、己の身を守るだけで手一杯のようだ。辛うじて親衛隊長のロジャースだけがオスカーに付き従っている。


「殿下、お待ち下さい! そちらは崖! 止まって下さい!」


 ひときわ大きく叫んだその時、前方のオスカーの馬に流れ矢が当たった。

 

「うわっ――!」

 

 前足を高くあげて馬がいななき、オスカーが間抜けな声を上げながら転げ落ちる。


 アシュレイも馬から下り、崖際でうずくまる彼に駆け寄った。

 

「お怪我はありませんか」


 声をかけた時、呆然としていたオスカーがハッとした様子で顔を上げ、「やれ!!」と意味不明なことを叫んだ。


 何かと思った瞬間、アシュレイの背中に衝撃が走った。

 

 次いで、焼け付くような痛みが全身に広がっていく。

 

「なに……を……」

 

 振り返ると、そこには青ざめた顔で血の付いた剣を構えるロジャースがいた。


「早くとどめを刺せ!」


 再びオスカーが叫んだ。


「……申し訳……ございません……!」

 

 ロジャースが剣を振りかぶる。

 勢いよく振り下ろされた一撃を、アシュレイは何とか剣で受け止めた。

 

 断崖絶壁で刃を交えたまま、数秒のつば迫り合い。

 勝敗を決めたのは、ロジャースでもアシュレイでもなく、オスカーの一撃だった。


「証拠が残ると面倒なんだ。まとめて死んでおくれ」

 

 声が聞こえた瞬間、オスカーが全体重をかけてロジャースの背を思いきり蹴り飛ばした。


「――!」


 痛みで鈍化した体は衝撃に耐えきれず、突き飛ばされる形で、アシュレイはロジャースともども宙を舞った。足場が消え、ふわりと体が浮く。

 

 

(ビクトリア……イアン……)

 

 

 断崖絶壁から転落したアシュレイが最後に見たのは――。


「さようなら、救国の英雄殿」


 歪んだ笑みを浮かべる男の姿だった。

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