第68話 「今夜、私を……」

 ――その知らせは突然だった。


「あ、そうだ。明日から長期任務に行ってくる」


 夕食の席で、アシュレイが軽い口ぶりでそう切り出した。


 驚いた私とイアンが揃って食事の手を止める。


「二人とも、そんな不安そうな顔をしないでくれ。ただの調査任務だよ」


「アシュレイ……ほんと? キケンじゃないの?」


「危険じゃないよ。行き先は南部の港町だから、何かお土産を買って帰ってくるよ」


 心配そうにしていたイアンが「お土産!」と目を輝かせる。


「あそこは漁業が盛んだから、干物とかはどうだ?」


「僕、臭いお魚きらいだよ」


 お菓子のお土産を期待していたのだろう。干物という渋すぎるチョイスにイアンのテンションは急降下。明るい笑顔から一転、不満げに口を尖らせた。


 表情豊かな七歳児に、私とアシュレイは顔を見合わせて微笑んだ。

 

 

 その後、イアンを寝かしつけた私はアシュレイの部屋を訪ねた。

 真実を聞くために。

 

 コンコンとノックすると、すぐに扉が開き中へ通される。


 ソファに腰掛けた私は、任務の内容について改めて尋ねた。

 

「安全な調査任務というのは、嘘ですよね? あの時は、イアン様を不安にさせないように、安全だって言ったんでしょう?」


 そう切り出すと、アシュレイは「やっぱりビクトリアさんには嘘はつけないな」と困ったように肩をすくめた。そして両手を組み、考えながら訥々とつとつと話し出す。


「俺たち騎士は、時に家族にも話せない任務へ赴かなくてはいけません」


「それが、今回なのですね?」


「ええ。詳しくは話せませんが、安全とは言い難い任務です。だから、万が一、俺に何かあった場合に備え、諸々の手配は済ませておきました」


 アシュレイは「念のため」と言って、金庫の鍵と、権利関係をまとめた書類を私に託した。


「具体的な手続きは家令に任せてあります。決して、あなたとイアンに不自由な思いはさせません。だから心配しないで……って言っても、無理な話ですよね」


 必死に平静を装うが、不安と動揺で震えが止まらない。それを見たアシュレイがこちらに手を伸ばし、私の体を優しく抱きしめた。


 私が何か不安を抱えているとき、アシュレイはいつも『大丈夫ですよ』と魔法の言葉をかけてくれる。だが今日、彼はその言葉を一度も口にしなかった。


 アシュレイは、確信のない『大丈夫』は決して言わない。


 ……それほど、危険な任務なのね。

 

 やっと穏やかで幸せな日々を過ごせるようになったばかりなのに。彼は明日の朝に出立してしまう。もう時間がない……。


 アシュレイの胸に抱かれながら、私は意を決して告げた。


「今夜、私を……アシュレイ様の妻にして下さい」


「それ、は……」


 揺らめく灯りの下で、アシュレイは切なげに告げる。


「俺だって君を今すぐにでも妻にしたい。だが、俺に万が一のことがあったらと考えると……」


「だからです。私を生涯ひとりにさせてしまうと思ったら、何としてでも生きて帰って来ようとするでしょう?」


 私の存在を生きる糧にして、どうか無事に戻ってきて――。


「私が愛する男性ひとは生涯アシュレイ様だけです。だから無事に帰ってきて。無茶なことを言っているのは自覚しています。でも……」


「ビクトリア。本当に、君にはいつも驚かされるよ。だけど、凄く嬉しい。――ありがとう」


 アシュレイは目を細め優しく微笑む。別れを惜しむように、互いの存在を刻みつけるように、私達は深く情熱的に口付けを交わした。


 

「愛している。今夜……結婚しよう、ビクトリア」


 囁くアシュレイの唇に、もう一度自らの唇を押し当て、私は「はい」と頷いた。

 


「それじゃ、すぐに婚姻届を出さなきゃいけないな」


「婚姻届? この時間は役所が閉まっているわ」


「大丈夫。任せて」


 アシュレイは私の手を取り、馬車で騎士団本部へ向かった。


 騎士団の敷地内には、騎士とその家族だけが利用できる特別な教会がある。

 夜遅くにもかかわらず多くの人が訪れていた。

 

 聖堂では、騎士やその家族が祈りを捧げている。


 通常、入籍するには役所へ婚姻届を出さなければいけないのだが、騎士は特例。この教会で申請が可能らしい。


 婚姻届と明記された書類に二人でサインをする。係員に提出すると、驚くほどスムーズに受理された。


 シスターに先導され、聖堂の隣にある小さな教会へ足を踏み入れる。

 

 祭壇の前に立つと、静寂の中に神父のおごそかな声が響き渡った。


 アシュレイと私、それぞれが誓いの言葉を述べ、最後に向かい合う。

 

「それでは、誓いの口づけを――」


 闇夜の教会に、月明かりが差し込む。

 神聖な祈りに満ちた空間で、私たちは生涯の誓いを立てた。

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