第66話 ハッピーバースデー、イアン!

 超絶キュートなイアンが、モフモフのクマ人形を持っている。

 眼前の可愛らしい光景に、私は「かわいいっ……」と呻き、きゅんとする胸を押えた。


 隣を見ると、アシュレイも目尻を下げて微笑んでいる。


「あ、しまった。写真機をダイニングに置いてきてしまった……」


「それは大失敗ですわ。シャッターチャンスだったのに」


「一生の不覚だよ」


 親馬鹿を発動している大人二人を軽くスルーして、イアンがクマ人形の背中にある再生ボタンを見た。

 

 私が録音機に音声を吹き込む仕事をしている関係で、イアンも使い方を熟知している。


 ボタンが赤く点滅しているのを見て、何かメッセージが記録されていると分かったのだろう。「押してもいい?」と尋ねてきた。


 私は内心緊張しながら、笑顔で「どうぞ」とうなずいた。


 イアンを真ん中にして三人でソファに腰掛ける。


 ワクワク顔のイアンが「なんだろな」と言いながら、一番の再生ボタンを押した。

 

 ザザッというノイズのあと、すぐさま優しい女性の声が流れた――。



『イアン、お誕生日おめでとう』

 

 

 音声を聞いた瞬間、イアンが「……ママ?」と囁く。


 

『学校は楽しい? お友達はたくさん出来たかしら? もしかしたら、好きな女の子がいるのかな?』


「うん。好きな子、できたよ」


 クマ人形に向かってイアンがちょっと恥ずかしそうに「キャシーっていうんだ」と答える。

 

 流れてくる音声は、私がジェナの声を真似て吹き込んだもの。


 ジェナが生前イアンに言っていたこと、生きていたら伝えたかったであろう事柄をアシュレイとともに考え、口調や声音を練習して録音した。


 偽物のメッセージでイアンを騙すことに、後ろめたさはあった。

 

 だが、たとえ吹き込まれた音声がジェナのものじゃなくても、プレゼントに込められた想いは本物だ。


 イアンに喜んで欲しい。束の間の夢を見させてあげたい。

 

 祈るような気持ちで、私とアシュレイは目の前の光景を眺め続けた。

 

 

『側に居られなくてごめんね。でも、どんなに離れていても、ママはイアンをずっと見守っているから、安心してね』


「うん……うん……」


 イアンは瞳に涙をいっぱい溜め、泣くのを堪えながら何度も頷いた。

 

『イアンはママの宝物。愛してるわ。ママは、あなたの幸せを心から祈ってる。ハッピーバースデー、イアン!』


 その一言を最後に、明るい余韻を残して音声は終了した。


 ピーッという終わりの合図を聞いた瞬間、イアンの目から大粒の雫がこぼれ落ちた。


 小さな体を、私とアシュレイが両方から抱きしめる。

 

 私たちはしばらく、セットのクマ人形のように、三人で寄り添い合っていた。


「イアン様、実はですね――」


 私がそっと声をかけると、イアンがごしごしと目を擦って顔をあげた。


 その瞳にはもう悲しみの気配はなく、少しだけ大人びた表情をしていた。


「ビッキー、分かってるよ。アシュレイと毎日練習してたでしょ?」


「気付いていたんですか」


「ふふん。この屋敷の中で僕の知らないことはないよ! あのね、僕にはアシュレイとビッキーがいる。だから、三人で居れば寂しくない!」


 イアンは右手で私の手を、左手でアシュレイの手を握り、輝くような笑顔を私達に見せてくれる。


「あっ、作文! いいこと思いついた!」


 イアンはハッとした顔をすると、白いクマ人形を持って椅子から降りた。

 

 水色クマをアシュレイの膝に、桃色クマを私の膝にそれぞれ置いて、満足げに頷く。


「はい、これ二人のクマさんね。忘れないうちに作文書かなきゃ! 勉強部屋、行ってくる!」


 イアンは「プレゼント、ありがと!」と明るく言って、元気いっぱいに部屋を出て行った。

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