第62話 ええ、百パーセントお水ですからね!

「王室の評判のために、事実がねじ曲げられるのは許せない――!」


 アシュレイが拳を握り絞め、悔しさの滲む声で言った。

 

 今回の脅迫騒動で一番怒っているのは私じゃなくて、彼かもしれない。


「エリザ・バークレーは、しかるべき刑の執行を受けるべきだ。なのに罪に問うことすらしないなんて……。いくら王室の権威を守るためとはいえ、不当だ!」

 

 私は憤る彼を「まぁまぁ」となだめながらグラスに水を注ぐ。


 いつものようにアシュレイの部屋のソファに並んで座り、晩酌を始めたのが三十分ほど前のこと。

 

 あまりお酒に強くない彼は早々に酔っ払い、酒だと思ってグラスの中身を一気に飲み干した。



「ビクトリアさんっ! もう一杯!」


「はいどうぞ。好きなだけ(お水を)飲んで下さいね~」


 ごくごくっと水を飲んだ彼は、とろんとした目で私のことを見つめた。

 

「今回の件で、いちばん怖い思いをしたのはあなたなのに。どうしてそんなに穏やかでいられるんですか?」


「たぶん、私以上にアシュレイ様が怒ってくれるから、なんだかもう良いかなぁって思うのかも。事件が公表されなくてむしろ良かったと思ってます」


「どうして?」


「エリザ様のことは許せないけど、再起不能になるまで叩きのめしたい訳じゃないので。それに、私のことも含めて新聞にあれこれ書かれなくてホッとしているんです」


 脅迫文を受け取った時はひどく恐ろしかったし、アシュレイとイアンに心配をかけてしまったのも心苦しい。

 

 だが、エリザは『自由』というかけがえのない物を失った。

 牢屋に入らなくても、罪人にならなくても罰はすでに下っている。


 それに、オスカーに振り回され、嫉妬に狂った彼女には同情の余地もある。せめて自領で穏やかな余生を過ごして欲しいと願わざるを得なかった。


 

「彼女も若いですし、いつか反省して、自領で人生やり直してくれたら良いなぁって」


「前から思っていたんですけど、ビクトリアさんって時々やけに達観してますよね?」


 あははは~、そりゃ、前世の苦い記憶があるものですから……。


「そうですかねぇ。まぁまぁ、そんなことは気にせずに。もう一杯、お酒どうぞ~」

 

「……なんかこの酒、やけに薄いような……。水みたい」


 ええ、百パーセントお水ですからね。

 

 すっかり酔って真っ赤になったアシュレイが、まじまじとグラスの中身を見つめる。私はほほ笑み、彼の肩に頭を乗せた。


「私は、三人で幸せに暮らせればそれで満足です。これ以上の過ぎた幸福も、他人の不幸も要りません」


「……うん。そうですね。俺も、あなたとイアンが幸せなら、それ以上に何も要らない」

 

 アシュレイの唇が私の額に優しく触れる。労るように愛するように。


 額からまぶた、頬へと順に口付けが施され――。

 最後に、深く甘やかに唇を重ねた。

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