第55話 あしゅれー、びっきーをまもってぇ

 安堵のあまり、私はその場にヘナヘナとしゃがみ込んだ。


 腰が抜けてしまったのか、立ち上がることが出来ない。


 倒れ込むように床に座り込んだ私を見て、イアンが泣きそうな顔で狼狽える。

 

「具合悪い? お医者さん呼ぶ? あっ、執事さんに言って、アシュレイに帰って来てもらお!」


「ちょっと目眩がしただけなので、大丈夫ですよ」


 安心させようと、にっこり笑ってみせる。

 だがイアンは両手を握り絞め、唇を噛んで首を横に振った。


「ママも、いっつも『大丈夫だよ』って言ってた。けど、急に倒れて病院に運ばれて。それからすぐに、死んじゃったんだ。だから、大人のひとの『大丈夫』は信じないって、僕は決めてる」


「イアン様……」


「ビッキーは今、大丈夫じゃないって顔してる。でも、僕は何してあげればいいか分かんないから、アシュレイを呼ぶ。いいですね!」


 必死に私を助けようとしてくれるイアンの姿に、泣きそうになる。


 いつの間に、この子はこんなに頼もしくなったんだろう。


 素直に「はい」と従うと、イアンが「うん、よろしい」と大人ぶった口調で言った。


 頼もしいイアンのおかげで、だいぶ冷静さを取り戻せた。


 私は、アシュレイ宛に早馬を出すよう執事に頼み、さらにクラーク邸の警備を強化するよう門番や守衛に注意喚起した。

 

 脅迫文は私宛に届いたが、犯人の目的が本当に私だけとは限らない。


 アシュレイの婚約者として、この屋敷の人々とイアンを何としてでも守り抜かなきゃ。


 怯えて、狼狽えている暇なんてないわ。

 しっかりしろ、私――!

 

 ひと通りの防衛策を講じると、疲れがどっと押し寄せてきた。


 ぐったりとソファに座り込む私を見て、イアンはいよいよ具合が悪いと思ったらしい。


「具合の悪い人は寝なきゃダメです」


 可愛らしい顔に精一杯の怖い表情を貼り付けて、私をベッドに強引に寝かしつけた。



「私、体調が悪いわけじゃないんですよ」


「起きちゃ駄目! 僕がトントンしてあげるから、アシュレイが帰ってくるまで良い子で寝てて下さい」

 


 イアンはすっかり看病モードだ。

 

 いつも私がするように、(絶妙に音程が外れている)子守歌をうたったり、(不器用な手つきで)頭を撫でたりして、私のことを寝かしつけ始める。


「なんだかお父さんみたいですね」


「そう? へへっ、ビッキー。いい子、いい子……」


 私を寝かしつけるうちに、自分も眠くなってしまったのだろう。次第にイアンの目がとろんとしてきた。


 しばらくすると私の隣に潜り込んで、こてんと寝落ちしてしまった。


 毛布をかけ直すと「あしゅれー、びっきーをまもってぇ」と寝言をいう。


 愛らしい寝姿に私はふふっと笑って、小さな頭を撫でた。

 

 もうすぐアシュレイが帰ってくると思い安心したためか、私の目蓋も重くなってくる。


 あぁ……だめ、寝ちゃだめよ。

 あの脅迫文を見せて、今後のことを話さなきゃ。

 

 そう思いつつ、強烈な睡魔に襲われた私は目を閉じ、微睡みのふちに落ちていった。



◇◇


 一方、その頃――。


 騎士団本部にある第一部隊の詰め所は、和やかな雰囲気に包まれていた。


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