3章:大切な居場所

第54話 一体、どうしちゃったのさ?

 二人を見送った私はイアンの学習計画を立てたり、屋敷内の雑用を手伝ったりと忙しなく動き回っていた。


 気がつけば、もうそろそろイアンが帰ってくる時間だ。

 

 出迎えるため玄関ホールに向かうと、手紙の束を持った執事に声をかけられた。


「あっ、ビクトリア先生。良い所に。ちょうど、先生宛にお手紙が届いたんですけど、差出人が分からないんですよ」


「あ、本当だ」


 受け取った封筒の宛先欄には『ビクトリア』の文字、差出人欄は空白だ。


「書き忘れかしら? 読んでみますね。ありがとう」


 礼を言うと、彼は一礼して仕事に戻っていった。


 私はその場で封を切り、中にある便せんを取り出した。


 貴族がよく使う透かし模様の入った高級便せんではなく、庶民が使う無地の便せんだ。


 平民の友達や知り合いは殆どいないはずだけど、誰からだろう?

 

 手紙に目を落とした私は、驚きのあまり言葉を失った。


 

 そこに書かれていた内容は――。



【 オマエを許さナイ――。

 オマエの幸せと大切な人間ヲ、壊してヤル 】



「なに……これ……」


 手紙を持った手が震える。


 筆跡を隠すように曲がりくねった文字で、悪意のこもった脅し文句が書かれている。

 これは紛れもない――脅迫文。


 恐怖で頭の中が真っ白になった。


 寒い玄関ホールに立ち尽くしているせいか、はたまた恐怖のせいか。体が勝手に震えて歯がガチガチと鳴る。


 

 一体、誰がこんなことを……。

 


 手紙を握り絞めたまま呆然としていると、突然玄関の扉がガチャッと音を立てた。

 

 ビクッと肩を跳ねさせ見やると、開いたドアからイアンがぴょこっと顔を覗かせた。



「ビッキー、ただいま!」


 

 無邪気な笑顔に、ほっと全身の力が抜ける。


 恐怖に支配され、まるで石化したように動かなかった頭と体が活動を再開した。

 

 一目散に走ってくるイアンを抱きとめて、私は「おかえりなさい」とほほ笑んだ。


「あれ、ビッキーの手すごく冷たい。風邪引いちゃうよ」


「そうですね。イアン様のほっぺたも冷たいです。お外、寒かったですか?」


「うん。秋風ピューッて吹いて寒かった」


「じゃあ、温かい飲み物を淹れますね」


「僕は蜂蜜ミルクティーがいい!」


「分かりました」


 リビングまでの廊下を並んで歩く。


 あれ……、イアン様、歩き方がちょっと変?

 右足を引きずっている?


 注意深く見ていると、右足を地面につけた瞬間、イアンがちょっと顔をしかめた。


 怪我を隠すのは、私に心配をかけたくないから?

 それとも、学校で誰かに虐められた?

 

 

 もしくは――。


 

【オマエの幸せと大切な人間ヲ、壊してヤル】

 


 一瞬にして、全身の血の気が引いた。


 椅子に座るイアンの前にしゃがみ込み、彼の両肩を掴んで目を合せる。

 

 突然の私の行動に、イアンは目を丸くした。


「イアン様、右足どうしたんですか?」


「足? ええっと……。ビッキー、顔怖いよ。どうしたの?」


 ズボンの裾をまくって右足を確かめる。

 

 傷は見当たらないが、そっと触れると、イアンが「いたた」と顔をしかめた。


 私は急いでタオルを水で濡らし、足首を冷やしながら尋ねる。


「大事なことなので教えて下さい。この怪我、どうしたんですか?」


「大したことないよ」


「イアン様」


「……ビッキーに早く百点のテスト見せたくて、走ったんだ。そしたら足くじいた。ちょっと痛いだけなのにぃ、大げさだよ」


「突き飛ばされたりは」


「してないよ」


「知らない人に、何か変なことされたり――」


「されてない! 今日、僕が会った中で一番ヘンなのはビッキーだよ。一体、どうしちゃったのさ?」


 良かった……脅迫文の犯人に危害を加えられた訳じゃないんだ……。

 

 イアンの返事を聞いた私は、心底ほっとした。

 

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