第21話 イアン少年、完全拒否!
「ビッキー、行かないで!」
両手を広げたイアンが、通せんぼするように扉の前に立った。
アシュレイが「お客様をお見送りしよう」と優しく諭し、やんわり退かそうとするものの、イアンは「いやだ!」と首を横に振った。
イアンの完全拒否に、アシュレイは面食らっているようだ。
いつもは何事にも動じなさそうなポーカーフェイスの彼にしては珍しく、目をぱちくりさせて言葉を失っている。
普段のイアン少年は、こんな風に我が儘を言う子ではないのだろう。
「僕の先生は、ビッキーがいい!」
「だが、女性は……」
「家庭教師の女のひと、僕にアシュレイのことばかり聞いてくる。アシュレイの近くにいたいから、僕の先生やってるんだ。僕が邪魔だって言うひともいた」
子どもの口から語られる残酷な内容に、私は絶句した。
アシュレイも過去の出来事を思い出しているのか、やるせない表情を浮かべている。
難しい顔をする大人二人を見て、イアンは怒られていると勘違いしたのだろう。涙を浮かべながらそれでも話し続けた。
「でもビッキーだけは違った! 好きなことは何?って聞いてくれた。ダンスの練習しようって約束した。あと、そ茶おいしいって、ありがとうって。だから僕の、イアンの先生はっ、ビッキーが、いいっ! ビッキーじゃ、なきゃ、やだぁっ!」
両目から大粒の涙を流し、イアンがうぇぇんと大声をあげて泣き出してしまった。
アシュレイが慌ててしゃがみ込み、えぐっ、えぐっとしゃくり上げるイアンの頭を撫でる。そしてこちらを振り返り、申し訳なさそうに言った。
「お断りしたばかりで心苦しいのですが、イアンがこう言っているので、引き受けて頂けないでしょうか」
「お許しを頂けるのであれば、ぜひ! 良い先生になれるよう頑張ります!」
「――ということだ。良かったな、イアン」
さっきまで大号泣していたイアンがぴたっと泣き止み、満面の笑顔で「わぁい!」と飛び跳ねる。
ぴょんぴょんするだけでは気持ちが収まらなかったのか、勢いよく私の腰に抱きついてきた。
六歳児の全力タックルはそこそこの衝撃があった。受け止めきれず後ろによろけた私の背中を、アシュレイがとっさに片手で受け止め支えてくれる。
「こらっ、はしゃぐな。危ないだろう」
「すっごく嬉しくて。ビッキー、ごめんね」
「私は大丈夫ですよ」
ありがとうございます、と支えてくれたお礼を言い、私は素早くアシュレイから体を離した。彼もまた、私から一定の距離を取る。
この仕事を失いたくなければ、私のすべきことは二つ。
一つ目は、イアンの良き先生であること。
二つ目は、アシュレイに対して個人的な感情を抱かないこと。
私はまだ、男性に熱烈な恋愛感情を抱いたことはないけれど、恋は時に冷静な判断を鈍らせ、ひとを愚かにさせるものだと思う。オスカーとエリザのように。
彼らのような脳内お花畑の
私は姿勢を正すと、改めてアシュレイに向き直った。
「クラーク様、どうかご安心下さい。これは仕事だと、私はきちんと理解しております。決して私情は持ち込みません」
言外に『あなたに惚れて、面倒事を起したりしません』と告げると、アシュレイは私の言葉の意図に気付いたのだろう。安心したように少しだけ肩の力を抜いた。
「俺のことは、どうかアシュレイと。イアンを頼みました」
「はい、アシュレイ様」
こうして、私の住み込み家庭教師生活が幕を開けた――。
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