第20話 えっ、そんなに分からないものですか?

 応接間に入ってきた屋敷の主人――アシュレイ・クラークは、イアンの姿を視界に捉えると「どうしてここに居るんだ?」と不思議そうな顔をした。


「ビッキー先生の面接してた!」

 

 ぴょんとソファから降り、アシュレイの元に駆け寄るイアン。


「アシュレイ、こちらビッキー。イアンの先生。ダンスが得意だから教えてくれるって。あと、ジのびょう――」


「き、昨日は助けて頂きありがとうございました!」


 私は慌てて挨拶することで、イアンの言葉をそれとなく遮った。


 イアンくん、いま完全にビッキーは痔の病気って言おうとしてたよね?

 

 あぶない、あぶない……。

 危うく誤解を生んで変な空気になるところだった。

 

 背中に冷や汗がつーっと伝う。動揺を押し隠して、私は面接用の爽やかな笑顔を浮かべ続けた。


 そんな私の顔を、アシュレイが腕組みしてじっと見つめてくる。


 ……なんでしょう。すごーく不審な目で見られているんですが?

 私、何かまずいことしちゃったでしょうかね。

 

 アシュレイが私をたっぷり時間をかけて眺めたあと、はっと何かに気付いた様子で「もしや」と口を開いた。


「貴方は、ビクトリア・フェネリー侯爵令嬢ですか……?」


 気付いてなかったんかーい!

 

 「はい」と返事をすると、アシュレイは尚も珍獣を観察するように、まじまじと私を見つめた。


 確かに髪型とメイクを大幅に変えたけど、そんなに分からないものかしら?


 とりあえず、改めて自己紹介をしましょう。


「家庭教師の面接に参りました。ビクトリア・フェネリー改め、ビクトリア・キャンベルです。本日はどうぞ宜しくお願い致します」


「え、ええ……、どうも。なぜキャンベル姓を……? というか、なぜ高位貴族のご令嬢が家庭教師を?」


「侯爵家を出ましたので、私はもう貴族令嬢ではございません。今後は遠縁のキャンベル家の姓を名乗り、職業婦人として生きていく所存です」


「侯爵家を出た? それは、また一体」


 私は手短に経緯を説明する。その間、アシュレイは一度も余計な口を挟まず、あいづちを打ちながら真剣な顔で聞いていた。

 

 彼の隣では、イアンが私たちの顔を交互に見ながら、アシュレイの真似をして同じタイミングで『うんうん』と頷く。でも多分、話の内容は分かっていないと思う。


 すべてを聞き終えたあと、アシュレイが「そうでしたか」と呟いた。


「事情は分かりました。ですが、家庭教師については、女性ではなく男性を希望しております。過去に、その……面倒なことがありまして。せっかく来て頂いたのに、すみません」


「どうか謝らないで下さい。恐らく、紹介所の方で手違いがあったのでしょう」


 残念だけど仕方ない。口ぶりから察するに、過去の面倒事とは恐らく女性関係。


 おおかた、女性の家庭教師がアシュレイに惚れて問題でも起したのだろう。


 これほどイケメンだと、使用人を雇うのも大変そうね。


 アシュレイの苦労に想いを馳せつつ、私はすっと立ち上がった。今回は縁がなかったということで、次の仕事を探しに行きましょう。


「では、これで――」と帰りかけた私を止めたのは、意外な人物だった。

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